そして、ひょうたん愛は世界をつなぐ/和歌山・上富田探訪(5)

by 丸黄うりほ

①別室にもひょうたんがいっぱい並んでいました

②本物のひょうたんで作った「ひょうたんせんぱい」も!

③美しい字で書かれた「愛瓢について」という文章は……

④この絵の左の人物が、リアル「せんぱい」のお父さんでした

⑤「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の杖が!

⑥ホタテ貝とひょうたんがくっついています!

⑦「熊野古道」と「サンティアゴへの道」は姉妹道だった!

⑧「創作館」正面には「田中神社」の森。ありがとうございます「せんぱい」!

昨日の続きです。「こっちの部屋にもひょうたんたくさんあるで!」という、リアル「ひょうたんせんぱい」の言葉に、私たちヒョータニスト4人はわくわくぞろぞろとついていきました。

台所の隣の部屋は和室で、ふすま戸を引くと、またもやひょうたんパラダイスではないですか!こちらにあるのは加工前の素ひょうたんが多かったですが、なかには紐をかけたひょうたんもありました。(写真①)

さらに、私たちのひょうたんアイを強烈に射抜いたのは、「ひょうたんせんぱい」がずらりと並ぶ姿でした。(写真②)

人形に使われているのはもちろん上富田町のひょうたん農園で栽培された千成ひょうたんです。目鼻がつけられ、紐が結ばれ、頭に栓がつけられて。さらに色とりどりのモールが肩のへんにくっついてるのは、「せんぱい」の腕でしょうか?これは作りかけなのかな?それともこれで完成品なのかな?

疑問は浮かびましたが、本物のひょうたんを使った「ひょうたんせんぱい」人形は、ここに集まっておられる人々の手作りだということがわかりました。おそらく完成品は道の駅や、最寄り駅の観光案内所などで売られているに違いない。このとき私はそんなふうに思いました。(実際はちょっと違っていたのですが。その話はまた後日)

この部屋には他にも興味深いものがたくさん置いてありました。写真③をご覧ください。美しい字で書かれた「愛瓢について」という文章です。「瓢箪は人類最初の栽培植物と言われており、」で始まる文章には、なんとなく覚えがありませんか? そうです、湯浅浩史先生の『ヒョウタン文化誌-人類とともに一万年』(岩波新書)です。昨日紹介した「瓢には角がない 円満で和やかです」で始まる文章は、全日本愛瓢会の「瓢道綱領」にも似ていました。

……と、思っていたら、リアル「せんぱい」が、もともと「上富田町でひょうたん栽培が始まったのは、私の父親が奈良の人から受け取ったタネを植えて……」という話を始められました。「もしかして、それは奈良の明日香でしょうか?全日本愛瓢会のことですか?」と尋ねると、「そうや!」と「せんぱい」。そして、その部屋にあった絵をさして、「この左の人が私の父親。右が奈良の人」とおっしゃったのです。ああ、やはりそうだったのかと思いました。(写真④)

「せんぱい」のお父様はもう亡くなったそうですが、お父様のまいたタネが大きく育ち、町の特産品として受け継がれているということだったのですね!つまり、「せんぱい」のお父様こそ、真のリアル「ひょうたんせんぱい」だったのか……!!

さらに、その部屋の中で、私はもう一つ素晴らしいものを見つけました。なんと、スペインの巡礼の道「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」で旅人が持つ杖です。この杖には、ホタテ貝とひょうたんがくっついているのが特徴なのです。

「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の杖については「ひょうたん日記」315日目に書いたことがありますが、私がその実物を見たのは初めてでした。杖には新聞記事の切り抜きが貼ってあり、「熊野古道」と「サンティアゴへの道」が姉妹道提携を行なったことや、この杖がバルセロナ在住の増田感さんという音響彫刻家が上富田町に寄贈したものであることなどが書かれていました(写真⑤⑥⑦)。

ひょうたんは人と人をつないでくれる。道を、世界を、つないでくれる。本当に素晴らしいですね!

わざわざ鍵を開けて「創作館」のなかを見せてくださったリアル「ひょうたんせんぱい」に私たちはお礼を言い、興奮冷めやらぬまま館を出ました。

「創作館」を出ると目の前には青い空と、緑の原っぱ。そして「田中神社」のこんもりした森と、鳥居が見えました(写真⑧)。

(1072日目∞ 10月5日)

*明日に続きます

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