八上神社のひょうたん絵馬/和歌山・上富田探訪(2)
by 丸黄うりほ
昨日の続きです。「コーナン」でお弁当を買い求めた私たち、ヒョータニスト4人組は再び最初の目的地だった「八上神社」の近くまで戻ってきました。
神社の鳥居近くの駐車場に車を止めて、その辺の空地で食事にしようとしていたら、向かいのお家の方から声がかかりました。
「この箱、置いて使わはったらええ」
見ると、梅干しを干しておられる年配の男性です。
「ありがとうございます!助かります」と、4人組。
親切なその人は、しっかりとしたプラスチックの箱を貸してくださり、私たちはそれに腰掛けて弁当を食べました。その男性が、じつは今回の旅における、ひょうたん的最重要人物だったわけですが……、その話はひとまず来週においておきましょう。
昼食を終えた私たちは、「八上神社」の鳥居をくぐり、階段を登って境内に足を踏み入れました。
大きな木に囲まれた、とても静かな社でした。私たち以外に人影はなく、社務所にも人の気配はありません。本殿も境内社も渋くて控えめな色調です。そのなかで、くっきりと目立っていたのがカラフルなひょうたんの絵馬でした。
お参りをしてから周囲を見渡すと、境内には他に、西行の歌が彫られた石碑と、「八上王子跡」のスタンプが入った箱とがありました。スタンプ箱には「八上王子跡」と「八上神社」の由緒を記したパンフレットも入っていました。
世界遺産にも登録されている熊野古道沿いには「王子」と呼ばれる社がたくさんあり、一般に「九十九王子」と呼ばれています。「八上王子」もそのうちの一つ。西行の歌に詠まれ、また藤原定家筆の『後鳥羽院熊野御幸記』や、それより古い天仁2年(1109年)にも記録があることから、平安時代から続く大変由緒のある神社であることがわかります。
今まで写真でしか見たことのなかった絵馬掛けに、私はそっと近寄ってよく見ました。ひょうたんの大きさや形はまちまちで、彩色されたものもそうでないのもあります。紐の色や材質もいろいろ。
ひょうたんの表面に祈りのことばを直接書き込んだものもあれば、書かれていないものもあります。おそらく書かれていないものは、紙などに書いた願い事をひょうたんの中に封じ込めてあるのでしょう。
ひょうたんの絵馬といえば福岡県の太宰府天満宮がすぐに思い浮かんだのですが、太宰府天満宮の「厄除け厄晴れひょうたん」は同じ色で規格が統一されていました。社務所で授けていただくひょうたんだからです。
私は、この神社のひょうたん絵馬は、人々が思い思いに持ち寄ったものなのではないかという感想をもちました。おそらくそれは、この上富田町がひょうたんの産地であるからではないか。神職の方がおいでだったら、ぜひひょうたん絵馬の由来を聞いてみたかったのですが。
(1068日目∞ 9月29日)
*来週火曜日に続きます
※次回1069日目は奥田亮「でれろん暮らし」10月2日(月)にアップ。
1070日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、10月3日(火)にアップします。