
挿し絵:北林研二
バスの行方
荻窪駅を降りて、さて歩こうかと思ったところにバスが来た。あ、これは「スバらしきバス」タイムだ。
平田俊子さんの名著『スバらしきバス』を読んでからというもの、目の前に来たバスに飛び乗って行けるところまで行ってしまう、という行為に密かにあこがれていた。しかし、どこに連れていかれるかもわからずにバスに乗る、という、賭けのような瞬間というのはなかなか訪れない。つい、あそこに行ってみようかなという打算が働いてしまう。打算が働いては、「スバ」らしくない。そんな気後れもあって、これまで「飛び乗る」というほどのすがすがしさでバスに乗れたためしがなかった。いまこそ、乗るしかない。何かの打算が頭に浮かぶ前に。で、乗ってしまった。
乗ってしまってから、後ろめたくなった。正直に考えてみろ。自分には少しずるいところがある。さっき、行き先表示板に「南善福寺」とあるのが目に入って、しめたと思ったではないか。善福寺川のうねうね曲がる川沿いは、以前少し歩いたことがある。途中に遊水池がわりの野球場や、いい感じの釣り堀があるのも知っている。おそらくは、あの川の水源にあたるのが「善福寺」であり、「南善福寺」というのはその水源近くまで行くのに違いない。以前歩いたあのあたりとこれから行く場所とは川で繋がっているのだろう。ならば全く知らぬところに連れていかれるわけでもあるまい。と、そういう密かな打算を抱きつつ、バスのステップを踏んだのではなかったか。この行為ははたして、「スバらしき」に見合う純粋さを持っているだろうか。
いや、そんなことより外の景色である。
バスは荻窪を出て、大通りを走っている。なるほどなるほど。あ、あんな店が、あそこの店は何、などと思いはするものの、大通りというのは、なんとなく捉えどころがない。これが青梅街道であることは、あとで知った。こういうのは常識なのかもしれないが、わたしはどうも大通りを名指すのが苦手だ。だいたい靖国通りとか甲州街道とか青梅街道といった大通りの名称は、大通りを頻繁に使う人、つまりは車を運転する人のことばであり、わたしはあいにく免許を持たないので、タクシーで行き先を説明するときにしか使わない。ともかく、ここは「車でよく通る」道だ。ほら、ニコニコレンタカーの看板だ。
と、「左に曲がります、ご注意ください」とアナウンスがあって、バスがぐぐっと大通りから左に折れ、「桃井第四小学校!」と子どもたちの声がした。乗客の声ではなく、バス停の名を告げる声を録音したものだ。この路線バスでは、「走っているときに席を立つとアブナイよ」などと、ときどき子どもの声で警告してくる。どうやら小学生に協力を仰いでいるらしい。
ほどなくして、前方にいい感じの坂が見えた。いい感じ、というのは、大きく下ってまた上るということ、映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』のあの感じのことであり、下って上るということは、そこは谷、すなわち川筋が走っている可能性が高いということだ。ここだなと思って降車ボタンを押す。
バス停はちょうど谷底にあり、降りるとそばに池があった。これが善福寺川の水源か。鴨がのんびりこちらに近づいてくる。木々の向こうには誘うように遠い紅葉が見える。幸い陽射しは暖かい。看板には善福寺池、とある。
池に沿って遊歩道を歩いてみる。好天が続いていたせいか土はすっかり乾いており、落ち葉はたわんで音を抱えている。池のうしろはどこも傾斜して、住宅地が囲んでいる。皆川典久さん言うところの「スリバチ」だ。そのスリバチの底に鴨が飛来する。空を行く鳥には土地の凸凹が見えているのだろうか、それともただ水面のきらめきを見て降りてくるのだろうか。
水源地にふさわしく弁財天の鳥居があり、遅野井の碑というのがある。かつて源頼朝が奥州征討の帰りにこの地を訪れ、干ばつで苦しむ兵を見て、弁財天に祈り、弓で地面を掘ったが、あまりに水の湧き出しが遅いので、遅野井と名付けたのだという。ずいぶんな名付け方だ。おそい、おそいぞ、おそのいぞ、などといらついたのだろうか。いや、昔の人だから、おそし、おそし、おそのいぞ、か。
池を一回りして、バス停に戻る。ここでバスに乗ってもいいのだが、せっかくだから水源から川を少しだどってみよう。道の反対側には池から川が続いており、傍らにはイチョウに囲まれた広々とした公園があり、そこを抜けるとまた池だ。こちらは善福寺池の「下の池」なのだという。上の池よりも浅く、こじんまりしている。そこから流れ出す川は、池口からすぐにがっちり護岸された深い川筋になり、両側はいかにも宅地という感じになって、公園のリラックスした気分はさっぱり失われた。
手近なところで谷を上がると、坂の向こうに玉垣が見える。こんなところに神社があるのかと思って上り切ると、これが「井草八幡宮」だった。井草、という地名は、西武新宿線の上井草、下井草という駅名として知っていたが、そこからここはずいぶん距離があるはずだ。井草は意外なところまで広がっているのだな。
この神社にも「遅野井の碑」がある。昔は頼朝の植えた松もあったらしい。神社は、ちょうど先ほどの善福寺池を見下ろす場所に位置している。見下ろしてまた、おそのいぞ、おそのいぞなどといらついたのだろうか。
境内は意外に広い。善福寺池公園といい、この神社といい、杉並区の只中にこんなに静かな場所が広がっているとは知らなかった。
どうやらわたしは神社の裏側から入ったようだ。楼門をくぐって参道を逆にたどり、鳥居をくぐると、あっけなく広い大通りに出た。あ、ここは行きにバスで来た道ではないか。なんだか崖っぷちのビルの1階から入って3階に出たらまた地上だったときの気分に似ている。
振り返るとニコニコレンタカーの大看板がある。なんだ、ここに出るのか。行きのバスからこの鳥居は見えていたはずなのに、ちっとも気づかなかった。
ここからはずっと大通りだ。歩く気がしなくなって、すぐそばの「井草八幡宮」停留所(というアナウンスにも、行きには気づかなかった)からバスに乗る。「八丁」で降りて本屋Titleに着く。今日はもともとはここに来るつもりだったのだ。大通りに面した店頭から一歩中に入ると、店内には詩歌集をはじめ選び抜かれた本が並んでいて、ちょっとオアシスのようなところがある。そこから急な階段を上ると、目の前にバロン吉元描く昭和柔侠伝のめくるめく原画が並んでいた。
(12/12/25)
『新装版 昭和柔俠伝』刊行記念 バロン吉元原画展は2025年12月22日まで(Titleのサイトへ)
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