【ポエトリーの小窓】その23「小文字の “ i ” の詩人カミングズ E.E.Cummings」 文・武田雅子

お化けに鬼に魔女がぞろぞろ

ほぼ20×20センチの正方形に近い、小さな絵本――これこそが、私に詩の絵本コレクションをつくらせるきっかけとなったものである。研究対象である詩人エミリ・ディキンスンを訪ねて、彼女の町、ボストンから西へバスで3時間の田舎町アマストに初めて行ったのは、彼女の没後100年の1986年のことだった。小さな町ではあるが何軒か本屋があり、特に町の中心にある典型的な町の本屋さんは、総合的で、かつ絵本や子どものための詩のコーナーがあり、園芸の本など自分はやらないのにあまりに美しいので思わず求めるというような本が並んでいるのだった。何か必ず心惹かれるものが見つかるこの本屋さんの存在も、それから毎年のように私がアマストを再訪するようになった一因だった。店主ご夫妻が老齢のため、店をたたまれたのはコロナの前ごろだったろうか。小さな愛すべき町の愛すべき大切なものを亡くしたように思えたものだった。

さて、この本を手にした時、作者の詩人の名カミングズは知っていたが、タイトルになっている“hist whist”という作品があるのは知らなかった。なんか怪しげなものがうごめいている絵が描いてあって、何かなと思ったのと、セールになっていて半額以下だったから買うことにしたのである(詩の本というのはどこでもなかなか売れない……)。この時のディキンスン学会は大規模に行われ、日本人の学者も多く来ていて、詩人でもある年長の先生に買ったばかりのこの本をお見せしたら、「シャレてますね」とおっしゃったものである。

詩につけた絵というのは、あくまで一つの解釈ではあるが、その解釈の違いも含めて、詩のだいたいの内容や雰囲気が見ただけでわかるし、以前から絵本が好きだった私には、絵そのものが楽しい。というわけで、それ以来アメリカやイギリスに行くと英詩が絵本になったり、時には写真になったりした本を集めることになったのである。そうして実に素晴らしい本たちに出会ってきた。その素晴らしさを独り占めしているのはもったいない——というのもこのコラムを書いている理由の一つである。

ところで、“hist whist”は日本語でいえば「しッ しいーッ」と秘密の世界に誘う言葉。お化け、鬼、魔女、悪魔が登場するが、子どもたちは、こわいもの見たさで、こういうものが大好き。そう、これはハロウィーン気分で、楽しんじゃえというもの。最後の「ウィー」の大合唱で、仮装を解いた子どもたちの笑顔が並んでいる。さらに、次のページには、ハロウィーンのカボチャが一つ。子どもの登場は、あくまで、この絵本画家の解釈なのだが、またこの本の読者としてターゲットを子どもに置いていることもあろう。

hist    whist
   しッ しいーッ
little ghostthings
   小さな お化けめいたものたち
tip-toe
   ぬきあし さしあし
twinkle-toe
   ちらちら うごめきあし

little twitchy
   小さな  もじょもじょ
witches and tingling
   まじょたちと こおふんしている
goblins
   こおにたち
hob-a nob    hob-a-nob
   なかよしこよし なかよしこよし

little hoppy happy
   小さな ぴょんぴょん ハッピーな
toad in tweeds
   カエルが スーツを着こなし
tweeds
   ごあいさつ
little itchy mousies
   小さな そわそわ ネズミたちに

with scuttling
   やつらはキョロキョロ
eyes   rustle and run  and
   眼で カサコソ駆けて さぁ
hidehidehide
   かくれろかくれろかくれろ
whisk
   しっぽをシュシュッ

whisk   look out for the old woman
   シュシュッ  あのばあさんにご注意
with the wart on her nose
   鼻にいぼのあるばあさん
what she’ll do to yer
   何をされるか
nobody knows
   わかったもんじゃない

for she knows the devil    ooch
   だってばあさんは悪魔とお知り合い ウギャ
the devil    ouch
   悪魔とね イタタ
the devil
   悪魔とね
ach  the great
   アア あのおえらい

green
   緑の
dancing
   踊っている
devil
   悪魔なんだよ
devil
   悪魔だ

devil
   悪魔だ
devil
   悪魔だ
wheeEEE
   ウィーー

「小文字の“i”の詩人」とタイトルにしたように、カミングズは、英語では大文字にする“I”(私)を、「内面の私」を表わしたいからと小文字で書くが、この詩でも文頭は大文字という英語の規則に従っていない。代わりに最後“weeEEE”のところは、大文字を使って「イー」を強く読んで大騒ぎしている雰囲気を示唆している。このように大文字・小文字の使い方には彼独自のものがあり、小文字を好んで使っていたということから、彼の名前もe.e.cmmingsと全部小文字で綴られることが多いが、名前の場合は普通の綴り方E.E.Cummingsの方を気に入っていたとのことである。

さて、この詩の中で、彼独特の表現や、音の響きに注意するべき箇所をあげてみる。

2行目:ghostthingsはghost(お化け)とthing(もの)を合わせて、さらにそれにsをつけて複数にした合成語。

3行目:tip-toeは本来「つま先立ち」のこと。次のtwinkleは「ぴかぴか光る」。いずれも“t”の音の繰り返しのリズムがあるので、訳は、正確さより音を生かすことに。

5行目:twitchy「ぴくぴく動く」意だが、次のwitchesと音の類似から使われた語。

6行目:tingling「ひりひり、わくわく、ぞくぞくする」意だが、前のtwitchyの“t”、次のgoblinの“g”、および“lin”の音の重なりから使われた語。

9行目; hoppy happyは母音を替えた類似語の言葉遊び。

11行目:tweedsは、前行のtweeds「ツイード」(訳はわかりやすく「スーツ」にした)から来ていて、tweedという動詞に三人 称単数のsが付いた形をしているが、実はtweedという動詞はない。絵と雰囲気から「あいさつする」と仮に訳してみた。

12行目:ichyは遠く5行目のtwitchyと音の上でつながる。

14行目:rustle and runは“r”の韻を生かしたもの。

16-19行目:このあたり“w”音が多用されている。

19行目:yer=your ここではyouの意で使われている。

カミングズといえばこの詩

in Just-
   まさに
spring
   春
when the world is mud-luscious
   あたりがうっとりするほど どろんこだらけになったころ
the little
   あの小さな
lame balloonman
   ちくはぐな足の風船売りが

whistles      far    and wee
   笛を吹く   遠く  そしてかすかに

and eddieandbill come
   すると男の子たちエディやビルは
running from marbles and
   走り出てくる  ビー玉遊びや
piracies and it’s
   海賊遊びをうっちゃって そう時は
spring
   春

when the world is puddle-wonderful
   あたりがすてきにどろどろになったとき

the queer
   あのふしぎな
old balloonman whistles
   なじみの風船売りは笛を吹く
far    and    wee
   遠く   そして  かすかに
and bettyandisbel
   すると女の子たちベティやイザベルは
come dancing
   踊りながら出てくる

from hop-scotch and jump-rope and
   石けり遊びや縄跳びやをうっちゃって そう
spring
   春
and
   そして
the
   あの

goat-footed
   山羊足の

balloonMan       whistles
   風船男は  笛を吹く
far
   遠く
and
   そして
wee
   かすかに

春になると、カミングズが子どものころ住んでいた、ボストンのケンブリッジ地区に風船売りが来たという。彼の笛の音を耳にすると、子どもたちはこけつまろびつ一目散にそちらに向かう――男の子の名としてはEddieとBill、女の子の方は、BettyとIsabelだが、Eddieは詩人自身の名Edwardの方から来ているし、Isabelは詩人の妹のElizabethから。そして、eddieandbillという表記に、二人が一体となって一つの玉みたいになって突進していくさまがうかがえる。

春の捉え方は、泥んこ大好きな子ども目線で。mud-lusciousやpuddel-wonderfulは、それぞれ二つの単語を合わせたカミングズの造語である。

風船売りは山羊足で笛を吹くところから、ギリシャ神話のその笛で妖精たちを魅了したという半獣半人のパンを思わせる。何か不思議な力を持っているかのようだ。最後には、balloonmanからballoonManになっていて、訳では前者を普通の「風船売り」、後者をちょっと不思議な「風船男」としてみた。

この笛の音は、“far and wee”の表記がそれぞれ違っていて、最初遠くに聞こえ、そしてまた遠ざかっていく感じが視覚的に表わされる。“and the goat-footed”の一つ一つの単語の飛ばし方、他に単語と単語の間の間隔も、目で味わうべきところ。読むときはどんな工夫をしようか。

一世を風靡した女優のマリリン・モンローは自分でも詩を書く人だったが、1950年代、本屋でカミングズの詩集を手に取り、パラパラと見ていて、この詩が気に入ったらしく、まるで思いがけないプレゼントをもらったように、突然まったく飾らない笑いをもらしたと、当時の夫で劇作家のアーサー・ミラーが伝えている。車に乗るまで“And it’s spring!”と繰り返していたという。彼女の引用したままの詩行は途中に出て来るが、この詩の出だし、“in Just/ spring”が印象的だったからだろう。これはちょっと普通では言わない表現で、日本語にすれば「(時は)いま盛り/春の」とでもすべきところ。

カミングズの生涯(1894-1962)

このあたりで、カミングズの生涯を眺めてみよう。彼はアメリカ東海岸ボストンのハーヴァードやMITのあるケンブリッジ地区に、長男として生まれ、父Edwardの名前をもらったが、ミドルネームEstlinで呼ばれることになる。この二つEdwardとEstlinの頭文字が、彼のペンネームの名前の部分、E.E.となったのである。父はハーヴァードで社会学を教えていたが、後にユニタリアン派の牧師となる。母は家事は召使に任せていたが、そのおおらかな人柄が家族に大きな影響を与え、詩を愛する彼女は、息子の詩作を幼いころより励ましケンブリッジの偉大な詩人となることを夢見る。人々が集まるとエストリンは、絵を描き詩を披露し、また物語を語るのだった。

夏になると家族はニューハンプシャー州にあるジョイ・ファームで過ごすのを常としていた。1910年のエストリン15歳の夏、妹と愛犬レックスとともにカヌーで湖に漕ぎ出して、そよ吹く風を楽しんでいたが、突然レックスがスズメバチに気を取られ、船はその動きに耐えられず転覆、子どもたちはかろうじて、椅子にしていた木箱にしがみついて浮かんだ。そこへ一度はどこかへ泳ぎ去ったレックスが戻ってきて、パニックに陥ったあまり、あろうことか妹の上に乗ろうとした。エストリンがやっと離したものの今度はエストリンめがけて乗ってきた。必死でレックスともがきあったが、自分が助かるためには、犬を沈めるしかなかった。幸いなことに父が水に浮かぶ子どもたちに気づいた。やがて、岸辺に辿り着くレックスの亡骸……。

伝記には、エストリンは生涯レックスのことを忘れることがなかったとあるが、なんという残酷で強烈な経験だったろう。押さえつける自分の手の下でレックスがもがく感触は鮮やかにいつでも甦ったことだろう。ジョイ・ファームでの家族と動物たちの写真にもレックスの姿は認められるが、さらに、この伝記の著者は、本文の最後にエストリンと妹がレックスを相手にしている写真を入れている。写真で見ると、白黒なので確実なことはわからないが、おそらく茶色で、手足の先、そしてしっぽの先の先、さらに頭が白い犬である。カミングズの詩作品のみならず、彼の写真にどことなく漂う、哀愁というかペーソスのいわれの一端がわかった気がした。

さて、エストリンはハーヴァードに進学し、教師、友人との出会いを重ね、尊敬していた父との葛藤を経て自立していくことになる。デュシャンの美術、エイミィ・ローエルの詩など新芸術の伸び行く勢力に沸く当時の雰囲気の中、エストリンはそれら新しい芸術についての論文を、代表で卒業式に読むという名誉を得た。卒業後はさらに勉学を続けるつもりであったが、自由を求めてニューヨークに出る。子ども時代から絵にも才能を見せていたカミングズは、その方面でも世に出ることを考えていて、絵の展覧会も開いていた。彼の絵画への関心が詩においても視覚的に捉える方向に進ませたといえるだろう。

ちょうどそのころ、第1次大戦が起こり、仏軍を援助する赤十字に参加したが、これは徴兵を避け、武器をとらずに重要な経験ができるという理由からであった。が、ヨーロッパに渡って、この組織の権威にたてつき入牢の憂き目をみる。父の尽力で帰国が叶うが、父に入牢体験を書くよう言われ、これがのちThe Enormous Room(巨大な部屋)として結実し、戦争文学として好評を得る。ある編集者と別居中であったエレーヌと恋に落ち、子どもを授かるが、この子ナンシーは、編集者の子どもとして育ち、時に会えることもあり、成人して父娘の名乗りをあげたが、結局父と娘の間には隔たりが消えることがなかった。これもまたカミングズに逃れ難い寂しさ、孤独感をつきまとわせたであろう。

エレーヌとは彼女からの申し込みで結婚するが、やがて彼女が別の人と出会い離婚。その後、連れ子の娘がいる女性と結婚するも離婚。その間、両親は事故に遭い父は死去、母は気丈にも生き延びた。

国際的に、ソ連が台頭し、カミングズもかの地に出かけるが、笑いと自由のない現状に失望する。最後の妻マリオンと出会う。1937年、全詩集が出版され、重要な詩人として認められる。第2次世界大戦終了。科学が予想以上に早く世界を危険な場にしたことにおののく。

50代半ばにして、詩人として安定し、「非講義」と題して、レクチャーや、詩の朗読を行い、これで全米で知られる詩人となった。

[以上は、写真の多く入った、青少年向きの伝記E.E.Cummings:a poet’s life (Clarion Books) Catherine Reef著に拠った。

青少年向きの絵本としては、詩人シリーズの1冊であるE.E.Cummings(Creative Education)もあり、これはStasys Eidrigeviciosによる不思議な人物像の数々が入っていて、独自のカミングズ解釈を提供している。

もう少し小さい人のためには、絵本としてenormous SMALLNESS: A Story of E.E.Cummings (Enchanted Lion Books) がある。これは、カミングズの入獄経験を描いた傑作The Enormous Room の「巨大な」と、カミングズの小さなものへの関心を合わせたタイトルで、「巨大な小ささ」ってどういうこと?と子どもの気持ちを引き付ける。

中も、彼の変わった表記があちこちに取り入れられていて、子どもの時にこのような自由な表記に出会うというのも、なかなか貴重で楽しい経験となるかもしれない。いずれの本も、このユニークな詩人と青少年の間から出会えるようにとさまざまに工夫されていて、その熱意に打たれる。

また子どもの時のナンシーのために作ったと思われる、クリスマスのもみの木と兄妹の交流を描いた詩があるが、これが絵本Little Tree(Dragonfly Books)になっている。何と絵は、最初に取り上げたhist whistのDeborah Kogan Rayによるものだが、詩の方は、“i”や文頭も小文字になっていて、まだ文の書き方を身につけていない子どもに読ませるのはどうかなと案じられもするが、それよりも詩人独自のあり方を紹介するという方が勝っていたからこそだろう]

シャガールが加わってまさに大人の絵本

may i feel said he
   触れてもいいかいと彼
(I’ll squeal said she
   (私ヒイヒイ言いそうと彼女
just once said he)
   一度でいいからと彼)
it’s fun said she
   いい気持と彼女

(may I touch said he
   (触ってもいいかいと彼
how much said she
   どれくらいと彼女
a lot said he)
   たくさんと彼)
why not said she
   望むところよと彼女

(let’s go said he
   (さぁ行こうと彼
not too far said she
   行き過ぎないでねと彼女
what’s too far said he
   行き過ぎってどこからと彼
where you are said she)
   今あんたのいるところからと彼女)

may i stay said he
   ここでいいかいと彼
(which way said she
   (どっちにと彼女
like this said he
   こんなふうにと彼
if you kiss said she
   キスしてくれたらねと彼女

may i move said he
   動かしていいかいと彼
is it love said she)
   これ愛なのと彼女)
if you’re willing said he
   もし君がその気なら
(but you’re killing said she
   (でも、あんたのお陰で死にそうよと彼女

but it’s life said he
   でもこれが人生だよと彼
but your wife said she
   でもあなたの奥さんがと彼女
now said he)
   さぁと彼)
ow said she
   あぁと彼女

tiptop said he
   (最高だと彼
don’t stop said she
   やめないでと彼女
oh no said he)
   あぁダメと彼)
go slow said she
   ゆっくりしてと彼女

cccome? said he
   (行った?と彼
ummm said she)
   ウーンと彼女)

you’re divine!said he
   きみスバラシイよ!と彼
(you are Mine said she)
   (あんた私のものよと彼女)

ちょっと(かなり?)エロティック、しかしそれだけではなく、技巧を凝らしてあって、本当は英語で読んでこそ、訳はあくまで手引きとしてという詩である。つまり、2行ごとに、同じ母音を含んだ単語が出てくるのである。絵本の方では、その単語を飾り文字にしているので、私は純粋に音として、絵本の表記に少し手を加えて、かつそれらをイタリック体にしてみた。詩人自身はそのようなことをしていないので、それらが目立つわけではなく、さりげないところこそミソなのだが。ここの彼と彼女がそのように音を合わせていること、それが二人の息の合ったリズムを示してもいる。その音合わせのうち、“move”と“love”は音は合っていない、しかし見た目は同じ“ove”を持っているということで、これは「視覚韻」と呼ばれ、単純に音を合わせるだけにしていないところ、手が込んでいる。

内容的には、彼女が相手の奥さんに言及していて、これが不倫であるとわかる―—二人の時間はスリリングで、いっそうおいしいということに?

ところで、この詩に、空を共に飛ぶ恋人たちで知られるシャガールの絵を合わせた絵本がある。完全に大人の絵本ということになるが、かなり大判のもので、しっかり絵も楽しめる。シャガールと合わせたところが編集者の腕。何と洒脱なセンス。

究極の翻訳できない詩

生前出版された最後の詩集95 Poems 所収のもの。

今までも、かなり翻訳が難しいものが出てきたが、この詩は英語でこそ味わうべきで、究極の翻訳不可能と言ってもいいもの、とにかく原詩を―—

l (a

le
af
fa

ll

s)
one
l

iness

これはまず見た目をしっかり味わう必要がある。1行目の“la”と2行目の“le”は、「ラ」「レ」という音でもいいが、それぞれフランス語の冠詞(英語なら“the”に当たるもの、ただしフランス語の場合、前者は女性名詞に、後者は男性名詞につくという区別がある)、3行目の“af”をひっくり返せば4行目の“fa”、次は、“l”が2つ並び、これが下から2行目では一つだけ。そして下から3行目には“one”。

と、形を味わった後で、各行をつなげてみると――

l(a leaf falls)onelinessとなり、カッコ内は「一枚の葉が散る」となり、カッコを取った“loneliness”は「孤独」という単語となる。

つまり、これは一枚の葉が落ちる、その孤独感を、言葉、文字を使って、見た眼で表わしてみた詩なのである。“loneliness”という単語から“one”を引き出したところもうまい。そして、縦長に文字を並べたところは、木の葉がハラリと落ちていく姿であるようだ。こういったことは翻訳ではうかがい知れず、元の英語でこそ楽しめるものである。ちょっとだけでも英語をかじっていればわかるというのが、何とも楽しい。

カードに使われたカミングズの詩

私のカード収集歴はもう70年以上になると思われるが、海外でうれしいのは、作家の文章や、詩人の詩からの言葉がカードになっているのと出会えること。どんな絵や写真が付いているかを見るのが楽しいのだが、この言葉はカードになるほど、それほど人口に膾炙しているのだなという目安にもなる。

カミングスの場合は、まず今回取り上げた二つ目の詩から

The world is mud-luscious
   あたりはうっとりするほどどろんこで
And puddle wonderful.
   すてきにどろどろ

      –E.E.CUMMINGS

カミングズの二つの造語を取り上げて、水たまりに入り込んで水はねを起こしている長靴が描いてある。カードを開くと—

It’s your birthday.
   きょうはあなたのお誕生日。
Make a splash!
   パチャパチャしようよ!

カミングズのノリにうまく乗った素敵なカード、ちょっと日本にはないセンス。

次は、同じ言葉で2種のカードが見つかった。

i carry your heart with me
   私はあなたの心を携えている
I carry it in my heart
   あなたの心を私の心の中に持って

一つのカードの中に言葉はないが、もう一方は開くと次の言葉があるー

Always and everywhere.
Happy anniversary.

「いつでもどこでも」と、大切な人を常に思う、どんな記念日にも合う言葉である。この言葉が出てくる原詩の全体を次に取り上げたいが、その前に、この詩が出てくる映画があるのでそれを先に紹介しよう。

映画『イン・ハー・シューズ』

2005年劇場公開された映画『イン・ハー・シューズ』、監督はカーティス・ハンソン、姉妹を演じるのは、キャメロン・ディアスとトニ・コレット、二人の祖母がアカデミー賞女優シャーリー・マクレーン。

原題In Her Shoesは「彼女の立場に立って」の意で、それぞれの女性が自分の履くべき靴を見つけて、自分の人生を歩んでゆく姿を描いたもの。

体と美貌だけで奔放に生きる妹マギーに対し、対照的に容貌に自信はないが、弁護士としては活躍する姉のローズ。何をやってもうまくいかないマギーを何とか耐えていたローズであったが、恋人を寝取られるという現場に直面し、ついに切れ、二人は決裂する。

行くところがなくなったマギーは、それまでほとんど連絡を取ってこなかった祖母のいるフロリダの老人ホームに彼女を訪ねるしかなかった。祖母のお金を盗もうとしたりして、相変わらずのマギーだったが、ここで働くよう祖母に言われ、元教授の老人から本を読むという依頼を受け、難読症を次第に克服していく。

一方、フィラデルフィアのローズには新しい恋人もできるが、妹との不和について語ると彼が妹を嫌いになるだろうと恐れて、口をつぐむと、隠し事が多すぎると非難される。彼女も居場所がなくなり祖母のもとへ。ここで姉妹は向かい合わざるを得ず、彼らが子どもの時に亡くなった母の死の真相にも直面することになる。自殺だとわかっていた姉であったが、幼い妹には告げるわけにはいかなかったという。傷つけあった二人だったが、癒すことができるもお互いしかいない、二人はコインの表裏だと気づくのだった。マギーは密かにローズの新たな恋人を呼び寄せる。誤解の融けた二人はここで結婚式を挙げ、その時、マギーは皆の前で、姉のローズに向けて、カミングズの次の詩を読むのだった――

i carry your heart with me(i carry it in
   私はあなたの心を携えている(あなたの
my heart)
   心を私の心の中に持って)
i am never without it
   決して離しはしない
(anywhere
   (どこでも
i go you go,my dear;and whatever is done
   私の行く処あなたも行く 私がすることは
by only me is your doing,my darling)
   あなたのすること)
i fear
   運命なんか
no fate(for you are my fate,my sweet)
   怖くない(だってあなたが私の運命)
no world(for beautiful you are my world,my true)
   世界も怖くない(だってあなたが私の美しい世界)
and it’s you are whatever a moon has always meant
   そしてあなたは月がいつも表わしている意味
and whatever a sun will always sing is you
   そして太陽がいつも歌うのはあなた
here is the deepest secret nobody knows
   これこそ誰も知らない深い深い秘密
(here is the root of the root and the bud of the bud)
   (これこそ根っこの根っこ つぼみの つぼみ)
and the sky of the sky of a tree called life,which grows
   いのちという木の空の空 その木は
higher than soul can hope or mind can hide
   魂が願い知性が潜むよりもっと高く枝を伸ばす
and this is the wonder that’s keeping the stars apart
   これが星と星を別個に存在させる不思議
i carry your hear(I carry it in my heart)
   私はあなたの心を携えている(あなたの心を私の心の中に持って)

[私があなたに呼びかける言葉、my dear, my darling, my sweet, my trueは、訳のスペースに入りきらないので割愛した。なお、カンマのあとスペースを開けずに次の単語を書くというのも、カミングズ独自の表記の仕方である]

i carry your heart with meの絵本

マギーは老人への読み聞かせでこの詩と出会ったのか、それとも読めるようになって独自にこの詩と出会ったのか、いずれにしても、彼女がこの詩を朗読する時、姉のローズは言葉の一つ一つに反応して、いかにこの詩が見事にこの二人の気持ちに沿ったものかを如実に語っている。

ところが、詩というのは素晴らしいもので、この詩も全く別の解釈をすることができる。

厚紙の小さなかわいい絵本では、母からいとしい娘への思いとなっている。最初は、お腹の大きな母親が描かれていて、まさに「あなたの心を私の心の中に持って」というか、「あなたの体を私の体の中に持って」という状態。誕生後、抱かれていた子がだんだん大きくなって、最後、最初と同じ言葉が出てくる箇所では、さよならと互いに手を振って、学校に送り出す様子――娘はこうしてやがて世界に出て行く。詩の最後あたりで、『星と星とが別個に存在する不思議』といっているのがまさにこれ――親しいからこそ距離を置く、お互いの独立を認めあうということ。マギーとローズもこれを忘れていたのだった。

さて、絵本に戻ると、何となくシングル・マザーのような気がするのも意味深いかも。

カミングズ自身の朗読

自作を朗読して全米を回ったというカミングズである。それらはCDになっていて入手できる。アメリカで一つ、日本で一つ(これも最初の絵本と同じく、詩というのはなかなか売れないらしい、半額セールだった!)入手したが、今回取り上げた詩の中では、残念ながら一つ、“in Just-”が入っていただけだった。しかし、これこそ「読むときはどんな工夫をしようか」と思っていた作品なので、本人の朗読はやはり聞きたいもの。カミングズの声はやわらかく、それほど顕著ではないが、リズムに乗る感がかすかにある。詩によっては、かなり乗っているものも。 一つ一つの単語を丁寧に読んでいて、“in Just-”では特に最後の、“far/ and/ wee”は一語ずつ余韻たっぷり。

そして、遠ざかっていく、風船売りの笛の音に、そこはかとなく、カミングズのペーソスが漂ってくる……

ほかに、YouTubeでは、i carry your heart with me の朗読を聞くことができる。

(7/25/2024)

  • 武田雅子 大阪樟蔭女子大学英文科名誉教授。京都大学国文科および米文科卒業。学士論文、修士論文の時から、女性詩人ディキンスンの研究および普及に取り組む。アマスト大学、ハーバード大学などで在外研修も。定年退職後、再び大学1年生として、ランドスケープのクラスをマサチューセッツ大学で1年間受講。アメリカや日本で詩の朗読会を多数開催、文学をめぐっての自主講座を主宰。著書にIn Search of Emily–Journeys from Japan to Amherst:Quale Press (2005アメリカ)、『エミリの詩の家ーアマストで暮らして』編集工房ノア(1996)、 『英語で読むこどもの本』創元社(1996)ほか。映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(2016)では字幕監修。

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