【P探】プレスリリースを通して世相を探っているような気がする「プレスリリース探訪(略称:P探)」です。

いよいよ1年を切りました。

何がか?というと「大阪・関西万博」の開幕までの期間が、です。

大阪・関西万博は来年(2025年)4月13日から10月13日まで、大阪・夢洲で行われるわけですが…。

実感がない。

僕は地元・大阪の住民ですけど、大きなイベントが近づいてきているという熱気が(少なくとも自分には)伝わってきません。

熱気どころか万博の空気感も希薄な印象で、もし「万博の空気」だけを閉じ込めた空間に放り込まれたら血中酸素濃度がかなり低下しそうです。

2018(平成30)年11月、パリで行われた国際博覧会開催国選挙で、2025年の万博開催地が「大阪」に決まったというニュースには胸踊る期待のようなものを覚えたのですが…。

その後、新型コロナウイルスが世界を席巻したり、ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻があったりして開催決定時よりも先行きの不透明感が増すという情勢の変化による影響もあるのでしょう。

こんなプレスリリースがあります↓

大阪万博 3割が〝期待度ゼロ〟 産経R&D 11月インターネット調査

産経新聞グループの調査会社「産経リサーチ&データ(産経R&D)」が大阪・関西万博に関するアンケートを11月15日から20日の間にインターネット上で実施したところ…。

「ぜひ行ってみたい」(14.4%)と「できれば行ってみたい」(16.8%)を合わせて31.2%。

前回(昨年5月)の調査では53.7%と半数を越えていたのが22.5ポイント下がっています。

大阪・関西万博「来場意向」グラフ

開催が近づくにつれて盛り上がるかと思いきや……ということですね。

さらに全体の期待度が「0%」との回答が約3割、会場建設費に関する状況を示したうえで意見を聞いたところ…「中止にすべき」が、これもまた約3割で回答のトップ…。

大阪・関西万博への期待度グラフ 「大阪・関西万博」の会場建設費に対する意見

逆風このうえないです。

さらに、こんなプレスリリースも↓

2025年大阪・関西万博 全国で認知度上昇、関心・来場意向は低下

三菱総合研究所が大阪・関西万博について2021年4月から昨年2023年10月まで、独自の全国意識調査を半年ごとに計6回にわたり実施したところ…。

今回調査(2023年10月)の全国での認知度は前回(同4月)の87.6%から2.0ポイント上昇し、89.6%となったものの…。

開催期間中の会場への来場意向は、全国で低下。前回調査の30.9%から26.9%となり4.0ポイント低下しています。

大阪・関西万博開催期間中の会場への来場意向推移グラフ

2025年大阪・関西万博への来場意向推移(地域別)=出所:三菱総合研究所

こちらも開催が近づくにつれ盛り下がっている感は否めません。

いずれのプレスリリースも配信が昨年12月ですから現時点での状況は不明です。
…が、それまでトレンドが下降してきていたということはさらに逆風が強まっている可能性を否定できません。

さて、この状態の原因についてはさておき…。

僕個人としては1970(昭和45)年に千里丘陵で開催された「大阪万博(EXPO’70)」の“呪縛”による期待感から逃れられないんです。

そもそも来年の万博の開催が決定したときに頭に浮かんだのがEXPO’70のシンボルともいえる「太陽の塔」でした。

来年開催予定の万博はいろんな意味で「あれ?何か全然違う」感の連続で、関心が薄まっているような気がします。

「半世紀以上も前のイベントでしょ?」
そんな声も聞こえてきますが、EXPO’70のときに小学生だった僕と同世代にはわかってもらえそうな感覚だと思っています。

たとえば…。

直木賞作家の重松清さんの『トワイライト』(文春文庫)という小説がありまして…。

重松清さんの『トワイライト』

作品の時代設定は2001年で、主人公の男性は1975年3月に小学校を卒業しているという、まさに僕と同学年。

この中で、主人公が職場の机の上に置いていた「太陽の塔」のミニチュア像を見た20代前半の派遣社員(平田優香里)が「なんか、キモーい」というシーンがあります。

主人公が「太陽の塔っていうんだ」と話すと返ってきたのが「はあ? 宗教っぽい話ですかぁ?」というセリフ。

「万博」という言葉にも聞き慣れない顔をする優香里に主人公が「ほら、岡本太郎っていただろ。あのひとがつくったんだ」と説明すると「あ、知ってまーす。『芸術はバクハツだーっ』のおじいちゃんですよね」…。

で、いろいろと噛み合わないやりとりがあって主人公の胸中の独白。
「岡本太郎が死んだのは、何年前だっけ。手塚治虫は年号が平成に変わった直後に死んだ。石森章太郎も、たしか晩年は石ノ森と改姓して、死んだ。星新一も、真鍋博も、藤子・F・不二雄も、もうこの世にはいない。
万博に夢中になっていた頃に未来を教えてくれたひとたちは、みんな死んでしまった。太陽の塔を宗教がらみのものと勘違いした優香里は、意外と鋭いのかもしれない。『未来教』『二十一世紀教』『科学教』…おとなより子どもが夢中になる、そんな宗教が、かつて確かにあったのだ」と…。

万有引力の法則に関係なく、ストンと腑に落ちる気がします。
「腑」というものに重力がなくても、主人公が「確かにあった」と説いた中身が「腑」に突進していくイメージです。

「子ども」だった僕も〈そんな宗教〉の信者のひとりだったのでしょうね。
「太陽の塔」は“御本尊”のようなものかな。

ちなみに「太陽の塔」のミニチュア、持っています。

太陽の塔ミニチュア

マイ「太陽の塔」です

元信者なのか現役信者なのか自分でもわかりませんが、大阪の「万博」というと未来とか進歩とか期待とかワクワクが充満しているイメージがあるんです。

EXPO’70開催前年1969年12月に『これが万国博だ』というガイドブックが発行されていて…。

「サンケイ新聞社」(現表記:産経新聞社)が版元で、同社の大阪社会部の編です。

『これが万国博だ』「サンケイ新聞社」(現表記:産経新聞社)刊

EXPO’70はアジアで初めての万国博だということもあって、当時の熱気が伝わるエピソードも数多く掲載されています。

たとえば、「太陽の塔」の項には開幕の約1年前の69年3月15日に岡本太郎が万博会場の塔建設中の現場に訪れた様子が紹介されていて岡本太郎は帰途の車中で、話します。

「間違いなく“べらぼうなもの”ができるよ。こんなことは万国博というチャンスがないとできないよ。べらぼうなもの、それが万国博なんだ、そこで、みんなが個性をぶっつけ合ってこそ、真のハーモニーが生まれるんだ」

“祭りの準備”で盛り上がる興奮気味の声が聞こえてきそうですよね。

EXPO’70の開幕時期に朝日ソノラマから出版されたジュブナイル小説『オヨヨ島の冒険』(小林信彦著)には主人公の少女が追っ手から逃れるために千里丘陵の工事中の万博会場に潜り込むシーンがあります。

『オヨヨ島の冒険』(小林信彦著)

写真は角川文庫版

アクシデントでパビリオン内からライオンが夜の会場内に飛び出して大騒ぎ。
主人公が一人称で語るスタイルの作品で…。
「ダイヤ・ブロックを組み合わせたみたいな建物や、ついたばかりの宇宙船みたいな建物の間を、さまよって、あたしは走ったり、立ち止まったりした」
「びっくりしたのは、ライオンが見つからないうちに、新聞記者、テレビ記者が、どっと押し寄せてきたことだ。あとで聞いたら、この中に記者クラブがあるそうで」
アナウンサーが「ライオンが主人公の映画『野生のエルザ』のメロディーで始まる万博アワー。今夜は会場中央のお祭り広場からナマ中継で、お送りします」と実況する場面もあります。

ちなみに筒井康隆の短編集『革命ふたつの夜』 (角川文庫)にも「深夜の万国博」という大阪万博を舞台にした作品があります。

「深夜の万国博」所収の『革命ふたつの夜』 (角川文庫)

何がいいたいのかというと、EXPO’70開催当時、世間には万博の話題があふれていたということ。

小学2年生だった僕もリアルタイムで会場に行きました。

毎日、テレビや新聞、雑誌を通して見ていた“世界”に身を置いている興奮は半端ではありません。夢の国にいるような気分でした。
最初に入ったのがニュージーランド館だったのを憶えています。
先に挙げた「深夜の万国博」にはニュージーランド館のレストランでの様子も出てくるのですが、後年、読んだときに作品の中身と脈絡なく会場に行ったときの高揚感がよみがえってきたのを思い出します。
そういえば、会場で外国人にサインをもらうっていうのも流行ってて僕もサイン帳を持っていきましたよ。もう残ってないけど…。

この年の夏休みの宿題の工作に、牛乳瓶に麻紐を巻いて割り箸で“腕”部分の骨組みにした紙粘土製の太陽の塔をつくって学校に持っていったら、同じことをしている同級生がいっぱいいて、教室の後ろの棚の上は「太陽の塔コンテスト」状態。
やっぱり、当時の小学生には“御本尊”だったようですね。

こうやって書いていて、そんな感動の再現を今に期待するのが間違っていたことにあらためて気づき反省しています。

EXPO’70と比べるのは酷ですね。

ただ、今回の万博開催前1年に絡めていたなかで面白いと感じたプレスリリースもありました。
それがこれ↓

万博開催1年前にあわせ企画展「妖怪万博展」

香川県・小豆島の「迷路のまち」(土庄本町)にある妖怪美術館(小豆島ヘルシーランド株式会社)は、大阪・関西万博の開催1年前となる2024年4月13日(土)より企画展「妖怪万博展」を開催します。

…とのこと。

単純に妖怪が好きなので興味を覚えたわけで、「それにしても、あえて『万博』を名乗る必要あるぅ?」とも思ったわけですが…。

プレスリリースにこんなフレーズが↓

1970年の大阪万博で人気を博した「月の石」は万博を象徴し代名詞ともいえる展示となりました。妖怪美術館では2018年の開館から現在まで作品保管庫に眠っていた「妖怪の石」を初公開します!

「万博開催1年前にあわせて」と謳(うた)いながら、「月の石」に重ねて「妖怪の石」って…。
やっぱり昭和の「大阪万博」のパワーは今も健在なことを実感。

妖怪の石

妖怪の石

それからこのプレスリリースにも注目してしまいました↓

太陽の塔の創造主・岡本太郎の思いを落語で紐解く桂春蝶「30周年という節目に10作目が出せるということは、すごく嬉しい」

大阪府吹田市の出身である春蝶にとって、自身のルーツともいうべき「太陽の塔」にフォーカスし、その創造主・岡本太郎を巡る物語を語ります。

…とのこと。

プレスリリース中には2025年大阪・関西万博のことは一切触れていなくて欠片もなし。
1970年の万博のことだけ。
清々しいです。

桂春蝶

桂春蝶さん

ウェブサイト「上方落語名鑑」によると…春蝶さんは1975年生まれで、もちろんリアルなEXPO’70は、ご存じではありません。

でも、太陽の塔が自身のルーツって、EXPO’70の万博パワー半端ない。

春蝶さんは今回の公演の記者発表で「10作目は、自分の中で『もうこれしかない』と思っていたテーマが一つあって……。小さい頃から、常に自然に僕らの前に存在し続けたのが『太陽の塔』だったんですね」と語ったそうです。

「実際に『太陽の塔』の内臓とも言われている『生命の樹』に入ってみたら、岡本太郎の『芸術は呪術である』っていう言葉が書いてあって。もしかして岡本太郎の呪術というか、おまじないを僕がずっと受けていたのなら、ものすごく嬉しい」とも…。

もしかして、この僕自身も、そして多くの人々が、岡本太郎の芸術の呪術の影響下にあって、「太陽の塔」を“ご本尊”として“信仰”していたのかもしれません。

先に紹介した岡本太郎の「間違いなく“べらぼうなもの”ができるよ」という言葉が今、あらためて胸に刺さりました。

「太陽の塔」の「4つの顔」について春蝶さんは、その中で塔の背面の「黒い太陽」を中核と捉えているといい、「『黒い太陽』は一般的には過去だと言われてます。黒い過去って何かと言うと、核の問題であったり、公害の問題であったり。岡本太郎は、そんな過去にキチンと向き合って、現在起こっている人間の問題とは一体何か? そして明るい未来にどう進んでいくかというのを考え続けた人」と強調しています。

過去にキチンと向き合って明るい未来にどう進んでいくか?

もしかしたら、先に書いたように2025年の万博開催の決定の報せを聞いたとき、太陽の塔が頭に浮かんだのは、あらためて過去に向き合い明るい未来へのアウトラインが示されるという期待があったのかもしれません。

そんな期待を無意識にも抱いたのかもしれないのは僕だけだったのでしょうか?

いずれにせよ…どうも「2025年大阪・関西万博」を「大阪万博」といわれると違和感を覚えるんですよね。

なお「桂春蝶芸能生活三十周年記念公演 落語で伝えたい想い第十作『太郎と太陽と大』」の大阪公演開催概要は次の通りです。

[大阪公演] (7日間7公演)
2024年6月24日(月)〜30日(日)
■24日(月)〜27日(木) 19時開演(開場:18時半)
■28日(金)〜30日(日) 14時開演(開場:13時半)
会場:心斎橋PARCO14F SPACE14=大阪市中央区心斎橋筋1丁目8-3 心斎橋PARCO14階
料金:前売券3,500円/前売りオリジナル手ぬぐい付き5,000円/当日券4000円
※全席指定※未就学児入場不可

(岡崎秀俊)