スカム(SCUM)をやる人=スカマーの提唱者。
ベアーズの底の底に沈む汚泥の中にキラリ光るものを見つけた。
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)

▲KKラングレー 袋かぶり好き

──まずベアーズにたどり着くまでを教えてください。

河合 1990年春に大阪芸大に入学したんですよ。一応芸術学部建築学科。

──同期というと?

河合 モブ・ノリオ、赤犬とかですね。学科はそれぞれ違いますけど。何で芸大やと言われたら、士郎正宗というマンガ家が高校のころ(1980年代後半)、人気絶頂だったんですよ。フールズメイトで、大野(雅彦)さん、(吉田)ヤスシさん、フィリップ君とかが芸大と知って受験した。けど、入学してみたら、そのヘンの人はみんな卒業してて。芸大って田舎じゃないですか(大阪府南河内郡河南町)。それからベアーズに足を踏み入れるまで1年くらいかかってます。

1990年代はまだ紙メディア真っ盛り。『Gスコープ』:本欄担当ガンジー 石原が1993-96年発行した関西音楽情報誌。『強力セッポンナー』:「ひょうたん日記」でおなじみ丸黄うりほが1991-95年発行したフリーペーパー(河合おしり号)。『クッキーシーン』:音楽評論家の伊藤英嗣が1997-2007年発行した音楽誌。

『EXILE』:大阪に来たばかりの米国人マット(マシュー・カウフマン)が1993年秋創刊したローファイパンク系ファンジン。その後、EXILE OSAKAに発展した。『NEGA-ZINE』:ゴス・バンドSATANYANKOでギターを弾いてた皆川圭市が1995-99年発行した関西発音楽誌。『火山デイル』:河合が1992-94年、ライヴのたびに発行してたコピー誌。

──高校は?

河合 京都です。東山のほう、やったんですけど。(京大)西部講堂の大晦日の年越しイベントや、どんぞこハウス、CBGBに行ったりもしてました。けど、ライヴに行くよりはレコード買うのに必死でした。UFO or Die、猛毒、SOB、オフマスク00とかのインディーズ盤をユリナレコードで買ったり、USジャンク系のバットホール・サーファーズ、ハッピーフラワーズ、フィータスとかを十字屋烏丸店で買ったり。買っては売って買っては売って…みたいなことをやってましたね。

──ベアーズでは最初、何を観たの?

河合 前夜ですね。知り合いのスグリさんがベースを弾いてたので。91年12月、初めて行って、ここ、目指そ!という目標ができた。GOD KILLってゼニゲバのコピー・バンドだったんですけど、そのバンドでベアーズ・デビューして(92年12月)。次のライヴも決まってたけど、メンバーが脱けたりして急きょ宅録ユニットだったウルトラファッカーズで出ることになる。そのころ、ヌルピョンもよく観に行ってて、ヌルピョンともやるようになって。前号、アリス(セイラー)ちゃんが言ってたのはギター鉄砲隊ってのだったと思う。その後、ヌルピョンとはパンクシャクシャってのをやり始めた。

『NEGA-ZINE』98年12月号でフィーチャーされたウルトラファッカーズ。袋アタマと天井に届かんばかりの脚立がトレードマーク!

──当時、ウルトラファッカーズはどんな編成?

河合 イズミヒデアキ(g)くんとボク(vo)の2人編成でしたね。そのうち松本(亀吉)くんと知り合って3人でやるようになって、「スカムナイト」が始まる。

松本亀吉(右)とのクレア(1993年5月24日)

5周年記念デスカラオケ(1992年9月30日)。ありし日のデビッド・ホプキンスと苦しまぎれに袋をかぶった吉田ヤスシ。これが河合の袋かぶりのルーツとか。左端にはわたくし石原の姿も。

思い出のウルトラファッカーズ(93年1月12日)河合が着てるのは大芸大の体育ジャージ。床の緑のパンチ柄がまだ確認できる。

ウルトラファッカーズ 98年4月5日。

ウルトラファッカーズ ? 脚立に立ってる河合。メンバー全員がかぶりものを。

──「スカムナイト」はスーパーボールを輩出する。

河合 スーパーボールは最初、オーディションで出たのかな。その次が「スカムの日(93年6月29日)。で、電動歯(メンバーは、ボアダムスのEYE、YOSHIIMI、山本精一、吉川豊人)なんかが出て、たくさんの人が来た「スカムナイト」(8月28日)になる。電動歯にはその後、大野さんがギターで入ったりして洗練されていきますけど、「スカムナイト」のときはほんまぐっしょぐしょ。山本(精一)さんが持ってたのは銛(もり)らしい。一生懸命やってたのは魚を銛でつく動き。

1993年8月28日は日本スカム史上歴史的な一日になった。入場者数153人。

1993年8月28日の電動歯(EYE・山本・YOSHIMI・吉川)

1993年8月28日の河合(左から2人目)率いるデジタル式

──山本さんとはいつ出会った?

河合 ベアーズ ではなくてカラビンカ (大阪造形センター)で「神」ってのを観たのが最初と思います。髪で顔が隠れてて正体不明だったんですけど、あとで「あれが山本さんやで」と聞いた。まだボアダムス『ソウルディスチャージ99’』の裏ジャケで踊ってるおっさんが山本さんとは知らなかったころです。のちに水道メガネ殺人事件に誘われて、1994年と2011年には「ノイズ米とぎ」というキャラで参加しました。以降は呼ばれなくなりましたけど。94年はしばらくの間、ベアーズ でバイトしてたこともあるんです。シールドの8の字巻きとかを教えてもらいました。

2011年4月17日、『山本精一presents 大ミュージカル 水道メガネ殺人事件〜すごいロボット宇宙人の世界編』のセットリスト。

──当時、河合くんが仲良かったってのは?

河合 芸大関係と松本くん関係…弓場(宗治)さんとか。スーパーボールのナオちゃんらとクラブに遊びに行くようになって。クラブで知り合った人を「スカムナイト」に呼んだりしだす。ベアーズにはチラシ配りにだけ行ったりもよくしてました。ほかのライヴハウスだと客でもないのに店の前でチラシ配ったりすると怒られますけど、ベアーズ は許してくれた。階段はフリーゾーンというか、暇を持て余した人がよくタムロしてたから。

──(写真を見て)若いね。

河合 タンクトップは初期の制服ですね。クレアは曲をかけて踊るだけ。最後はノイズでお茶を濁すってのが定番の流れでしたね。初期はライヴのたびにワープロとコピー機を駆使してミニコミみたいなん作って配ったりしてた。ベアーズにもカメラを持って行ってて「写真なんか撮って何に使うん?」とよく訊かれたりしてた。

──いまでこそみんなスマホで写真やライヴ動画を撮ったりするけど、当時、記録するなんて発想はほとんどの人が持ってなかったから。音は打ち込みで作ってた?

河合 ただのカラオケです。そのヘン、ベアーズの先人たちの悪影響を受けてるんです。このころ、毎月のようにライヴやってましたからね。ファッカーズを石隈(学)さんに手伝ってもらったり、大地に立つ〜Stand on the earthって新しいバンドを始めたり…HARD CORE DUDEと仲良くなって参加するようになったこともありました。キャロライナー(94年12月)やFAXED HEAD(95年11月)が来日したときはオープニングを手伝ったりしたし。EXILE(ファンジン)やってたマット(マシュー・カウフマン)が紹介してくれたりしてたから無駄に海外でも名前は知られてて、お客さんにも外国人は多かった。

河合(左)参加時代のHard Core Dude(2011年2月23日)

──英語は大丈夫だったの?

河合 テキトー。キャロライナーが初来日したとき、グラックス(中心人物)はカラビンカ に1週間くらい滞在して衣装や舞台デコレーションを作ってて。セト(東瀬戸悟)さんにアテンドをお願いされて、いきなりグラックスとふたりきりにされたんですよ。やから喋るしかなかった。通じても通じなくてもいい。で、ベアーズ 〜カラビンカ 〜ファンダンゴ 〜カラビンカ〜ベイサイドジェニーと連れて回った。そのとき、親しくなったから、2012年にRubber(O)Cementで来日したときもベアーズでばったり会って。名村造船所跡地(大阪市住之江区)でのライヴを手伝った…なんてこともありました。

──当時、ベアーズ は海外アーティストもそうだし、いろんな人が出没してたもんね。

河合 90年代中頃は、BAR NOISEの人たちもベアーズを盛り上げてましたね。

BAR NOISEコンピ『FULL VOLUME LIVE vol.1』 1996年リリース NEW MEXICO、QUITE、36、NAN、八幡前、MUTANT、ANGLERS、KEVIN SHARP & FRIENDS、PRISONER NO.6、SOLMANIA収録

──ブッキングが石隈(学)くんから三沢(洋紀)くんに交代したころになるのかな(97年あたり)。

河合 三沢くんは94年、大阪に来るから。『スカムナイト』の最初のあたりのことは知らんかったけど、東のスカム代表、サーファーズオブロマンチカを呼んだり、村上ゴンゾくん、NANA(共に三沢率いるLABCRYに参加)、ジェフ(Jef Vel)周辺のヘンなユニット集めてイベントやったり…面白がってくれた。RUINS、HARD CORE DUDE、ウルトラファッカーズでやった『スカムナイト#7』(97年4月29日)とか。三沢くん主動で出たベアーズ・コンピ『トリビュート・トゥ・ニッポン』(2001年1月リリース)にはウルトラファッカーズも参加しましたからね。

ベアーズコンピ『トリビュート・トゥ・ニッポン』 2001年リリース 吉田ヤスシ&宮原ヒデカズ、GOLDEN SYRUP LOVERS、スパナ 、EMPTY ORCHESTRA、EAD、ヘリコイド0222MB、ATR、中屋浩市、ドロアス、宇宙エンジン、THE FOX、jenny on the planet、KK.NULL、ウルトラファッカーズ、ヒロシNa、山本精一、Voo Doo Broo Yoo、渚にて収録

──ファッカーズの音源というと?

河合 よく海外からコンピに誘われたりしたけど、自分らでけっこう出してますよ。最初に作ったカセットブック『異物挿入』は、ソノシート『Great R&R Mazinger』ってのを参考にしてた。それはひみつキングの人が大学のころ(1989年)、作った音源らしくていきなり「先輩!」ってなった一瞬もありました。以降もなんだかんだ出してます。詳しいことはボクのホームページCENTRAL SCUMやネットレーベルLOST FROGとか見てください。

92年春リリースされたカセットブック『異物挿入』。もともとウルトラファッカーズはこの作品を作るための宅録ユニットだった。94年春、モネラホンよりリリースされた7”EP「Super Sladge」。「劣等音楽」を標榜! 2004年、LOST FROG PRODUCTIONSよりリリースされた1stフル・アルバム『PSYCHEDELIC WARRIOR』。モブ・ノリオ在籍時のスタジオ録音盤。

──ゼロ世代のバンドともよくやった?

河合 オシリペンペンズとノイズわかめはよくやりましたよ。けど、ベアーズ以外での印象が強いかな。あふりらんぽは大阪城公園で夜中にやってたころ知って、その後はブリッジで観たって感じ。ペンペンズはアメ村のガンジャでモタコくんが働いてたでしょ。それで喋るようになる。迎(祐輔)くんはアスカテンプルでドラム叩いてたし。そういう絡みで仲良くなった感じですね。ゼロ年代入ってからお酒飲む人が増えてきたイメージもある。それまでってベアーズはお酒がらみの思い出がない場所だったんだけど。ちょっと雰囲気変わったってのありますね。

──カマチくんがふるまい酒をし始めたあたりからかな。

河合 そうそう。カマチくんってもともとデジタル式なんですよ。それがいつの間にかSILETOCOを始めて。黒瀬(順弘)くんと日本酒をベアーズ で流行らせた。ライヴ終わるころになると、お客さんもいっぱい床に倒れてて、さながら地獄絵のようでしたよ。同じ時期、アシッドマザーズテンプルの関係か、津山(篤)さんをベアーズで見かけなくなった気がする。津山さんには競馬に連れて行ってもらったりもしましたからね。ザ・珍宝(1994年6月、『ロックの日』に登場)ってステージにテント建ててるだけ。「山の怖さを教えてやる」って。津山さん、ボクの顔を見るたびに「おい、柴山」って言うんです。「めちゃ似てるわ」って。そういうのもあって「スカムナイト」で、渚にてとウルトラファッカーズのツーマンをやったこともあります。柴山さんもノリノリでやってくれて「本領発揮!」というMCでライヴが始まったのを憶えてます。

──「スカムナイト」は年末年始やクリスマスによくやってた印象もある。

河合 確かにやってましたね。あとよく周年イベントにも声をかけてもらってた。「あいてるやろ?」と。

──アメリカンバッドボーイってのもやってるよね。

いまも活動中のアメリカンバッドボーイ(2012年11月)

河合 アメリカンバッドボーイはヌルピョンとやってたときのことを思い出して始めたんですよ。ヌルピョンみたいな人、ずっと現れないなぁというのがあって。

──アマリリス【改】は?

河合 地下アイドルが流行りだして、保山さんのやってたイベントがアイドル発掘プロジェクト『10 minutes』(2010年8月〜)に発展する。よくわからないまま『10 minutes』にUstream係で参加するようになって。アリス(セイラー)ちゃんはぴいち姫でがんばりだす。しょっちゅう会ってるうち、EP-4が復活することになって。で、京都ライヴ(2013年5月21日)にDJ係で呼ばれて。EP-4手拭いを作ったりした。佐藤薫さんも気に入ってくれたみたい。それで始まったのが、アマリリス【改】。東京とかにも呼ばれるようになったから、ふたりじゃ寂しいということで、保山さん、(嶽本)野ばらちゃんにも声をかけるようになる。ややこしくてすみません。

いまも活動中のアリスセイラー(中央)率いるアマリリス【改】。河合(左)→嶽本野ばら→保山ひャン(2015年12月)

復活EP-4京都公演(2013年5月21日/京都KBSホール)時の河合presents EP-4手拭い。

──交友範囲広いね。そんな河合くんにとってベアーズってどんなところ?

河合 あんまりライヴハウスっぽい認識はしてなくって。集会所みたいなイメージですね。お客さんも、ほかのライヴハウスだと「盛り上げるぜ」みたいなんあると思うけど、ベアーズはそうじゃない。その空気はほかにはないものだと思うんです。何か見定めようとしてる。お客さんも何かを探しに来てる人が多いんじゃないですか。ボクなんかにしてもいまだに見つけてもらってよそに出させてもらったりするから。最近、ブッキングがハマジになって若い人らと組んでもらってるんですよね。あの行き場のない感じいうか、何かを探してるような人たちが出てるんで、こういうのが続いていけばいいなぁ。うまいことブッキングは世代替わりしてると思う。ベアーズは山本さんの店ってのがあるけど、それだけじゃなく特定の居場所のない人たちの救いになってると思いますね。

河合のベアーズ マンスリーコレクションの中で一番古い1992年4月と探してた2008年11月分。残る欠号は08年12月だ。

河合チラシ・コレクションより。ローファイといえばこの人、ジャド・フェア率いるハーフ・ジャパニーズ来日時に対バンしたUF。この日、脚立からダイブした河合は鎖骨骨折して病院行きと相なった。本文中にも出てくる渚にてとの2マン「スカムナイト」チラシ。

ベアーズはこちら

*メモ

  • モブ・ノリオ:小説家。デビュー作『介護入門』で’2004年上期「第131回芥川賞」受賞。
  • 赤犬:エンタテインメントの卸問屋を自称する。タカ・タカアキ、ロビン、ヒデオ、テッペイ、グッチほか、ブラスを含むなにわの大所帯バンド。結成30周年。
  • 士郎正宗:マンガ家/イラストレーター。代表作は『アップルシード』『攻殻機動隊』。
  • ユリナレコード:京都・新京極、詩の小路ビルにあったレコード店。
  • スグリマキコ:ヘリコイド0222MBほかで活躍。
  • ヌルピョン:ボアダムスのヒラによって命名。ヌルピョンと安土城などのバンドで独自の世界観を見せつけ、モダンチョキチョキズに参加。現在は神戸でタイ料理店を営む。
  • 松本亀吉:溺死ジャーナル発行人。ボアダムス原理主義者。プリファブスプラウト方面からアイドルまで守備範囲は広い。物議を醸すことたびたび。
  • 弓場宗治:アスカテンプル、John Ubelほかで活躍した。2012年逝去。
  • HARD CORE DUDE:1993年結成。人をくったステージング、人をくった楽曲でシーンの中心にいた。健在。
  • ガンジャ:アメリカ村にあったサイケデリックバー。現在は移転して御堂筋の東、三ツ寺会館でganja/acidとして営業中。
  • BAR NOISE:1995-97年、大阪・西心斎橋にあったバー。店長・野津哉美は、大名行列…プロジェクト「デストロイドロボット」で活躍。
  • CENTRAL SCUM:河合主宰のレーベル。http://centralscum.lostfrog.net
  • LOST FROG Productions: 石原ハルヲ(元サーファーズオブロマンチカ)主宰の現存する日本最古のネットレーベル。ベアーズ界隈のバンドを紹介してたことも。 http://www.lostfrog.net
  • 黒瀬順弘:スパロウズ・スクーター、mimiほかで活躍。ギューンカセット傘下のチャイルディッシュスープレーベル代表も。2005年6月-09年10月/2011年4月-20年6月、ベアーズ のブッキングを担当。
  • アシッド・マザーズ・テンプル:河端一を中心に1995年結成されたサイケデリック・グループ。時期、メンバーによって形態や名称をさまざまに変えながら活動を続けている。海外にもファンが多い。