いまも語りぐさになってるベアーズ初期の名物企画『阪神タイガース・シンポジウム』。
ええ大人が我を忘れて口角あわを飛ばす! 2022年は寅年だぁ。
(監修:山本精一/取材・構成:石原基久)
──『阪神タイガース・シンポジウム』(1999年12月20日)のチラシありがとうございます。
なまさん 最初にこのチラシ見たとき、腹抱えて大笑いしましたよ。Tシャツにプリントしましたもん。
──チラシを用意したのは山本(精一)さんなんですね。しんじょー、つぼい、いまおか…のむさん。
なまさん 福間の親戚のツレって(笑)。
──企画したのはなまさんじゃないの?
なまさん ないですないです。
──シンポジウムを始めるにあたって、なまさんと山本さんの間にどんなやりとりがあったか…教えてもらえますか?
なまさん 直でしゃべったことはなかったですね。ただ当時やってたバッドガイズで『阪神タイガース優勝記念ライヴ!』ってのを告知したことがあって。まぁ流れたんですけど。それが山本さんの目に留まってたのかもしれない。自分は自分のほうで山本さんが当時やってはったブログをよく見てたんです。そこで野球についてすごい詳しいことを知って。高校野球…春のセンバツ、夏の選手権は、全試合スコアブックつけてそうに思ってました。「アルプススタンドにいつも仙人みたいな人がおって……」とか甲子園の応援席の細かいことも書いてはって。なので、恐れ多くて野球の話はしにくいイメージがあったんですよ。それが声をかけてもらって、出させていただいた。
──言いだしっぺというか、招集をかけたのも山本さんなんですね。
なまさん そうです。
──山本さんって阪神ファンなんですか? 何度かきいたことあるけど、「立場上いえない」とシラを切ってたから。
なまさん シンポジウムの時、藤村富美男の古い映像を持ってきてみんなに見せてましたよ。
──完全に阪神ファンやん。
なまさん 山本さん、プロ・テスト受けてはるんですよね。南海ホークスやったかな。「なめんな!」言われたらしいですけどね(笑)。いろいろ山本さんなりの打撃理論とかも話してはりました。山本さんもいやぁ野球人なんでしょうね。競ったええゲーム観てたら、勝ち負け越えてしまいますやん。2021年の日本シリーズもそうでしたけど。どっち勝ってもええみたいな。自分の贔屓にしてるチームだけじゃなくて、「野球にありがとう」いう気持ちになりますわ。『シンポジウム』をやったのは野村(克也)政権の時代でしたけど、山本さんは「なりふり構わずジャイアンツ並みの戦力補強をしたほうがいい」と力説してはりました。で、星野仙一が監督にならはったら、山本さんの言ってたとおり政治力を駆使して……2003年、リーグ優勝しましたからね。日本一は無理だったけど。ちょうど「阪神が身売りされるんちゃうか?」言われてた頃ですわ。「どこに売られるんやろ?」……そんなんも話題になって、山本さんは「日清食品が買うのが一番ええんや。日清タイガースやったら全然違和感ない」と言うてはりました。
──どのくらいお客さんは入ってました?
なまさん 20〜30人くらいじゃなかったですか。酔っぱらって阪神の話してるだけですからね。これで金とってええんかという話で。
──集まった顔ぶれは?
なまさん 前川(典也)さん、真野(太樹)さん……確か安田(謙一)さんが進行役でした。自分が出たのは2回でケガして出られへんかった記憶もあるから3回やったのかな。
──1999年、2000年、とんで2002年、2003年にやった記録がある。2003年は阪神18年ぶりの優勝の年ですよ。
なまさん はい! 痛快この上なかったですよ。少なくとも自分の周りはみんな、星野仙一がいつか天に召される時は「国葬やろ」と信じてました。
──話変わりますけど、なまさんはベアーズの開店当初から出てるんですね。
なまさん ギャップスは1983年結成ですから。ベアーズ開店の時はまだ18歳ですわ。若い兄ちゃんがやってる店やったのに、いつの間にか山本さんがいるようになった。ほかのライヴハウスにも出てましたけど、どこもタテ社会で窮屈な感じがしてたんですね。けど、ベアーズは自分みたいな田舎者の右も左もわからへん男でも好きに遊ばせてくれる場所だったんですよ。居心地よくって……放任主義の家庭みたいなところがあった(笑)。
──なまさんってどこ出身?
なまさん 奈良です。
──バンドやり始めたあたりの話から教えてもらえますか。
なまさん えっらい昔の話ですけど、中学1年の時(1980年)、ヤンキーのK いうのが神戸に引越した。そのKが中3になって戻ってきたら、パンチパーマだったのが髪の毛ェ立ててセックススピストルズって書いたTシャツ着てわざわざ破って安全ピンでとめとる。ボンタンやったのが黒の細いズボンに変わっとるし。で、セックスピストルズを聴かせてもらった。アナーキーも。自分はそれまでYMOばっかり聴いてたんですけど、これはえらいことになっとるぞ、なんかワクワクするぞ、と。それがパンクとの出会いでしたね。
で、すぐバンドを地元の仲間とつくった。それがギャップス。高校は大商大付属高校(東大阪市)に行った。髪の毛ェ立てて行ってるうちに、初芝高校(堺市)の人を紹介されて。のちのイージー・ウォーカーズのヨシヒコ、のちのS.O.Bのクニヒロソウイチロウ(初代ギタリスト)とも知り合いになって。北野田(堺市)の公民館でライヴをやるようになる。
次にやったのがGATE 3。その頃から友達の友達みたいなのも集まるようになって。S.O.B、CROW……のちのデタミネーションズ、スカフレームスのメンバーもおったんですね。それが高校2年の時分になるんかな(84年)。そこからエッグプラントを経てベアーズですね。
ギャップスが『OSAKA BATTLE ROYAL』ってオムニバスに参加した時も山本さんが励ましてくれた。「がんばれよ。自分らでやっていくんやぞ」って。山本さんって熱いところあるじゃないですか。自分……バンドやっててもすぐあかんようになって。メンバー集めて新しいバンドを始めるってのを繰り返してたんですけど、3つめのバンドの時、それまで当たり前のようにベアーズに出してもらってたけど、これは失礼やろ……一回ちゃんとオーディションを受けてジャッジしてもらおうってなった。オーディションを受けに行ったら、山本さんがいてはって「パフォーマンス?」って言われました。「イチから……オーディションからやらせてもらいます」ってお願いした。
──それは何てバンド?
なまさん Enlargeですね。そのバンドではギターを弾いてたんですけど、クビになって。後任に保海(良枝)さんが加入する。
──バンドを続けるのって大変ですね。
なまさん ギャップス(1983-94年)、BURTREY(94-96年)、Enlarge(96-98年)……。バンド活動にはシガラミがつきまとうじゃないですか。そのへんいっさいがっさい面倒臭くなって。次は、ひとのバンドに加入すれば、シガラミは軽減されるんではないか、と。シカゴブルースのカヴァーバンド、バッドガイズに参加して歌わせてもらうようになる(98年)。それがさっき言ってた『阪神タイガース優勝記念ライヴ!』をやろうとしたバンド。結局、自然消滅してしまいましたけど。
次にバンド未経験の若者を集めてやりだしたのがIQO(98-2000年)。けど、ライヴ重ねて、こなれてくると、みんなわがままを言い出す……。収拾つかなくなる前にやめてしまいました。そのあと、バンド活動からは遠ざかってたんですけど、2015年から新たに始めたのが、いまやってるTRAになる。バンドという形態はやめて出入り自由のセッションにして、Voracious Soulほか、それぞれバンドをやってる人に声をかけてスタートしました。ゆる〜く活動してるんですけど、これがけっこう続いてますね。
──ベアーズでほかに記憶に残ってることって?
なまさん よくベアーズのことを「オレたちのトキワ荘」とか「浪花のマディソン・スクエア・ガーデン」とか言うてるんですけど、育ての親的なところはあると思います。音楽だけじゃなく出会った人らも含めて成長させてもらった。山本さんはみんなのお父さんですね。放任主義の家庭のお父さんや。自分、一回、石原さんにも怒られてるんですよ。ベアーズでカラオケ大会あったでしょ(1988年9月,『デス・カラオケ』)。酔っぱらって女の子に絡んでシツこかったんですよ。
──記憶ないなぁ。そのカラオケの時、司会してたはずやから、進行に支障をきたすようなことされると、かなんから注意したんやと思う。
なまさん 怒ってくれる大人がおったのもベアーズやった。そんなんも含めて育ての親ですね。自分ら……どうしようもないヤツらの集まりやと思われてるかも知れないけれど、いまもこうして雨露しのげてるのはベアーズがあったからこそやと感謝してます。卑屈にならんと前向いてシュッとしていきましょう!と言いたいです。自分はベアーズに出てなかったら物乞いになってました。
──そんな極端な。タイガースの話に戻しましょう。開幕も近づいてきてますけど、今年のタイガースについて言いたいことありますか?
なまさん 声を大にして言いたいのは、臨時じゃない1年通してチームみるようなメンタルコーチの招聘ですね。これは急務じゃないかと思うんです。個人の妄想になるんですけど、川藤幸三氏にメンタルコーチしてもらうのが夢ですね。川藤氏は首脳陣と選手側のパイプ役になれる人でもあるし。そういう意味でも適任じゃないかと。基本あの人は権力に立ち向かう人なんで。選手側に立ってガンガンやってくれるんじゃないか、と。
──ベンチで焼きそばを焼いたのは川藤幸三!ベアーズの客席にコタツを持ち込んだのはなまさんこと川藤真司!ベアーズのステージで聖水撒き散らしたのは川藤地球(テラ)! ……いいコピーですね。
なまさん ありがとうございます。去年、うちのCD『TRA』を出してくれたBRONZE FIST RECORDSの高崎社長が1990年代中ごろ、レーベルの名前のことで相談に行ったのも山本さんなんですよ。最初、「うんこレコード」「おしっこレコード」とか言われたらしいけど、真面目に「FISTレコード」という名前を提案してもらって今に至ってる。高崎社長はいま軍事政権下のミャンマーで命がけで音楽活動してるREBEL RIOTってバンドの日本盤を出したりしてはる人ですよ。そんな人に「うんこレコードってどう?」ってすごい! 鬼畜生じゃないですか(笑)。
*メモ
- 藤村富美男:戦前から1950年代まで大阪タイガースで活躍した強打者。愛用のバットは通常より長めの通称「物干し竿」。初代ミスター・タイガースとしても知られる。
- 野村克也:1999〜2001年度の阪神タイガースを率いた。成績はいずれも最下位。
- 星野仙一:2002〜03年度の阪神タイガースを率いた。4位を経て、03年はリーグ優勝に導く。
- 真野太樹:TAGRAG…小谷哲也、前川典也に次ぐ第3の男。ignitionレコードを経、CH/CH CARGOのオーガナイザーとして活躍。
- 安田謙一:タマス&ポチス、THE 神 SUNほかで活躍した。ロック漫筆家として、『ピントがボケる音』『書をステディー町へレディゴー』『ライブ漫筆』などの著書を持つ。
- GATE 3(ゲートスリー):大阪〜西宮にあった練習スタジオ「サブロックスタジオ」難波店の通称。1991〜2016年あったROCKETSもサブロックの一部だった。
- オムニバス『OSAKA BATTLE ROYAL』:CYCLAMENS、DOROCHYS、GRUESOME、BUGS BUNNY、WHITE ROPES、GHAPPS…以上6バンドを収録。1990年リリース。