ヒカシューの録音でニューヨークへ。ライブでエストニアへ。ホーメイ・フェスでトゥバ共和国へ。世界中で活動しながら、その一方で熱海・湯河原を拠点とし、ローカルな活動にも力を尽くす巻上さん。ロングインタビューの最終回は、ヒカシューのオリジナリティの源泉である「バンド格」、そこから湧き出す遊び心、そしてすでに始まっているという次作への取り組みについてもうかがうことができました。さあ、ヒカシューの最新情報をどうぞ!(丸黄うりほ)
熱海、湯河原を活動拠点にするということ
――巻上さんは世界中で活動されていて、ファンも世界中にいらっしゃいますけど、それと同時にこの熱海・湯河原という土地に拠点をもって、この街での活動もとても積極的にされていますよね。とにかく東京でなくては、中央にいなければ、というのとは違うやり方ですね。
巻上公一(以下、巻上) よりローカルなほうがインターナショナルにつながると思っていて、なるべくローカルにやろうと思っているんですよね。そこに行かないとわからないことってあるじゃない、それがやっぱり魅力で。ニューヨークも、インターナショナルというよりはニューヨークローカルが好きなんです。たとえばマッツォボールスープっていうのがあるんだけど全然日本で流行ってない。
――団子みたいなのですよね。
巻上 あれニューヨークローカルなんですよ。『あんぐり』(2017年)のジャケットを描いてくれた近藤聡乃がニューヨークにずっと住んでて、『ニューヨークで考え中』(亜紀書房)っていうエッセイ漫画があるんだけど、それにマッツォボールスープが出てくるんです。そのことを、こないだ雑誌『ユリイカ』(2021年3月号)にも書いたんですよ。ニューヨークでしか通じない話。コカコーラじゃなくてドクターブラウンとか、誰も知らない(笑)。セロリソーダとか、謎の飲み物があって、そういうのってニューヨークローカルで日本じゃ全然知られてなくて。そういうのが好きなんですよ。
リチャード・フォアマンっていう劇作家もかなりニューヨークローカル。みんなが知らない、日本の英米文学やっている人がなぜか翻訳しないんです。こんなに面白いのにと思いながら。僕は彼の本は全部もっているんだけどね。こつこつ買いました、作品も観に行ったし。1992年に上演された「MIND KING」から2013年の「OLD-FASHIONED PROSTITUTES」まで20作品観てきました。
ジャック・スミスなんかもニューヨークローカルかな。この人も演劇なんだけど。ジャック・スミスが住んでいたアパートに行ったことがあります。1989年に亡くなって、その3年後ぐらいでしたが、まだ生々しく生活の跡がありました。彼はとても狭いアパートで上演していたんですよね。
――ジャック・スミスは映画『Flaming Creatures(燃え上がる生物)』の監督ですよね。スーザン・ソンタグの本とかに出てくる。
巻上 そうそう、そういう知的な読み物によく出てくる人で。ニューヨークでは超有名で本も結構でているんですけど、日本では翻訳されないんですよね。
――なんででしょうね?
巻上 難しいんじゃないの?アンディ・ウォーホルが長編の映画をつくったのはジャック・スミスのオマージュなんですよ。そういうニューヨークでしか通じない話が好きですね。それがいろんな国にあって、たとえば日本では唐十郎なんかがそうでしょう。そういうのが好きなんですよ。
――熱海や湯河原で、それに当たるのは……。
巻上 熱海は昭和が残ってて面白いところはいっぱいありますね。僕がよく行くのは宝亭っていうカツカレーの店。いろんな洋食がある。カツハヤシライスもうまい。内橋和久がすごく好きになっちゃったみたいでね。
――内橋和久さんは、巻上さんともよく一緒に演奏されてるんですね。内橋さんが演奏されているダクソフォン、あれは巻上さんの声みたいですよね。巻上さんが演奏されていたら、めちゃくちゃ似合うと思います。
巻上 そうでしょう。おれのダクソフォンもあるよ。
――わ、これ自分で作られたんですか?ネットに作り方が出ているんですよね。
巻上 これ(タング)は熱海の近くの函南の家具職人が作ってくれたんだけど、ハンス・ライヒェルが内橋さんの先生で、この楽器を発明した人ですね。ダクソフォンの本はハンスさんからプレゼントされました。貴重です。
――ハンス・ライヒェルが亡くなったのはものすごく残念です。
巻上 そうだよね。仕事場で亡くなっていたらしいけど。彼はその前に交通事故にもあっているんですよ。新宿のピットインで一緒にやる予定だったのに、それで来られなくなっちゃって。
――そうだったんですか。なんというか同じ魂ってありますよね、変な言い方ですが。そういう人同士は自然に出会うっていうか。
巻上 ハンス・ライヒェルはドイツの人で、ヴッパータールっていう田舎町に住んでいた。そこの住人で有名なのはピナ・バウシュです。あそこも小さい街なのにピナ・バウシュがいて、舞踊団を率いていたため有名になった。そういうのがいいなと思っているんですよ。だから熱海でも湯河原でもいいんだけど、その街に芸術家がいれば、そこが出発点になって世界から人が来るようになるし、街の人の意識も変わっていく。それっていいことだと思う。
――巻上さんはそういう存在ですね。
巻上 静岡県が活動をすごく応援してくれているので助かっていますね。こんど静岡にアーツカウンシルができるんですよ。それが4月から始動するので、文化芸術活動に結構な額が動かせるようになる。今までは県が許可をださなくちゃいけなかったけれど、独立して運営できるようになるわけです。だから結構いいと思いますよ。僕も一応企画を出しました。
――企画やオーガナイザーとしても動かれている。
巻上 自分で企画しないと誰も企画してくれないから、しょうがないんだよね。僕は特殊で他のバンドにも呼ばれないから、自分でやるしかない。いろんな国の人と交流はあるけど、日本のグループで僕を呼ぶ人ってあまりいないので。
海外の人は日本に来るときに頼まれてツアーを組んだりはするね。とくにノルウェーの人、スイスの人とかは。
――外国のアーティストで日本に紹介したい人もたくさんいるのですか?
巻上 そうだね、一緒にやったことのある人が主ですけど、なかには全然知らない人が連絡してくる場合もある。調布市の仙川で「JAZZ ART せんがわ」のメイン・プロデューサーもしているからね。カナダのケベック州と文化交流を始めていて、ヴィクトリアヴィルという田舎町で毎年開かれる大規模な音楽祭「Festival International de Musique Actuelle de Victoriaville (FIMAV)」とはプログラムの交歓を始めています。そういうこともあり、売り込みもいっぱいあります。
だからたくさん聴かなくちゃならない。ま、知ることができるから楽しいですけど。いろんなジャズフェス同士がまた繋がっているので、別のジャズフェスに招待されて行って、そこで見たいいグループをまたひっぱってきたりとかもありますね。
――今のヒカシューはジャズっていう意識なんですか?
巻上 ううん、全然ジャズじゃない。フリージャズでもない。「JAZZ ART せんがわ」はジャズフェスだけどジャズはあまり出ないんだよ。日本ではジャズフェスっていうと本当にメインストリームのジャズだけになっちゃう。狭いんですよ、交流がないっていうか。でも海外へ行くとかなり幅広いフリーなスタイルがあって、クラシックの人たちも一緒にやってたりする。だから、まだ評価が定まってないとか、枠にはまらない感じの人を呼びたいと思っています。
ヒカシューには人格のような「バンド格」がある
――ヒカシューはとても息の長いバンドですね。もう結成されて40周年を超えたわけですが。ヒカシューがヒカシューとしてずっと続いている理由ってなんでしょう。
巻上 うーん、しつこいからじゃないかな?(笑)
――巻上さんはソロでも活躍されていますし、三田(三田超人)さんは最初からいらっしゃるけれど、他のメンバーはかわったり、亡くなった方もいらっしゃる。それでもヒカシューという名前を名乗り、ヒカシューであり続ける意味とは……。
巻上 それはね、あるんですよ。どういうものかっていうと、ヒカシューっていう一つの人格みたいなものがある。「バンド格」。
――「バンド格」がある。
巻上 そう。たとえば野本(野本和浩 sax)でも三田超人でも自分のために書く曲じゃなくてヒカシューのために書く曲ってあるんですね。すると向かうべき道がわかるので、思いっきり書けたりするの。ヒカシューだったらもっとこんなことができるだろうとか、そういう企てができる。そこが面白いところかな。それを生かしたいと思う。ずっと続けている理由はそれですね。
――巻上さんご自身も自分のソロとヒカシューは違う。
巻上 うん、違うようにしているんです。ヒカシューにはヒカシューに合った何かがあると思う。ヒカシューでしかできないものをみんなが持ち寄ってヒカシューを作るようにしているんです。歌いにくい曲でも歌っちゃうからね。「プヨプヨ」なんてのも最初は歌えなくて。リズムボックスは4拍子なのにベースラインとメロディは5拍子で移動するから、すごくめんどくさいなと思ったけど、やっているうちに歌えるようになる。
――巻上さんのソロはコンセプトがはっきりしていますね。
巻上 カバーが多いからね。
――ジョン・ゾーンのレーベルから出ているボイスだけの作品もありますね。
巻上 『Kuchinoha』(1995年)と『Koedarake』(2005年)ですね。あれ、めちゃ売れてるんだよ。なんでかというと世界で発売しているから、日本だけよりも売れる。あと、口琴の『Electric Eel』(1998年)というアルバムもあります。一つずつコンセプトが違う。まだ録音して出してないのもありますよ。
――とてもコンセプチュアルですよね。それに比べるとヒカシューは混ざっている感じがします。
巻上 バンドっていう感じを出しているんです。
――ヒカシューの「バンド格」ってなんなんだろう?
巻上 みんなそう思ってやっているんです。ワンマンバンドにはしたくない。バンドが好きなんです。
ヒカシューは現在のメンバー(三田超人 g. 坂出雅海 b. 清水一登 p,key. 佐藤正治 ds.)がバンド史上一番長く続いてます。もう22年になるかな。坂出は、1982年からメンバーなので39年一緒にやってます。
――ヒカシューはやはり世界に一つしかない音になっていますよね。巻上さんのヴォーカルが、歌詞も含めて非常に特異だというのもあるんでしょうけど。はっきりとクリアな発声の日本語詞で、この音楽はほかの国では生まれないと思います。だけど、これをほかの日本人にもできるかというとできない。たとえば、日本語の歌詞なんだけど、舌ったらずの外国人みたいな感じにわざと歌うドメスティックな日本人バンドって、わりとありますよね(笑)。
巻上 ありますね。そういうバンドがアメリカに進出しようとしたけど、曲が既存曲に似すぎてて向こうでは出せなくて、関わったミュージシャンまでニセモノ扱いされたという話とか、聞いたことがあります(笑)
秋ごろにはヒカシューの新作を出したい
――ヒカシューは海外の人が聞いてもオリジナル。だから、いろんな国から「ライブに来てほしい」と呼ばれる。
巻上 でも、そんなに売れない。難しいと言われて、親戚には聴いてもらえない(笑)。
――歌える曲もいっぱいあるのに。
塚村編集長(以下、塚村) 『あんぐり』に入っている「いいね」とかは、全世界的にもわかりやすいですけどね。
――みんなのうた「猫にロマン」とか。
巻上 あれはみんなのうた用に作ったけど、使われなかったんです。
――もったいない。ああいう少しブラックな歌って、子どもがとても好きそうなのに。あと、ずっと不思議に思っていることがひとつあって。ヒカシューは映画のサントラはされないのですか?
巻上 映画音楽ね、してないね。ジョン・ゾーンもかつて最初のアルバムを出した時に、もっと映画のオファーが来るはずだと言ってたね。やったのは石井聰亙監督の『シャッフル』(1981年)くらいかな。
――ヒカシューは映画音楽としてもとてもいいんじゃないかと思っています。
巻上 できますよ、なんでも。誰もオファーしてこないのがとても残念です。
――ティム・バートンっていう監督いますよね。あの監督の作品の音楽は元オインゴ・ボインゴのダニー・エルフマンがよく担当していますけど、はじめてオインゴ・ボインゴを聴いたとき、私はちょっとヒカシューと似ていると思ったことがあるんですよね。
ティム・バートンは初期は『Pee-wee’s Playhouse』みたいなカルトな作品を作っていて、ダニー・エルフマンの他にもレジデンツ、トッド・ラングレン、ディーヴォのマーク・マザーズボーなんかが音楽を担当していましたね。その後『シザーハンズ』あたりから売れてお茶の間でもOKな感じになりましたけど……。
塚村 お茶の間(笑)
――いや、まさにそんな感じがしたんです。アンダーグラウンドからお茶の間に出てきたような。西海岸アンダーグラウンドの代表格、レジデンツもヒカシューにちょっと近いセンスがあるような気がします。
巻上 ピーウィーは突然終わっちゃったしね。ビデオ全部もってるよ。
――あれは残念な終わり方でしたね。でも、ピーウィーの声の出し方とかも、巻上さんのボイスと通じるところないですか?
巻上 ディーヴォのマーク・マザーズボーもずっと映画音楽やってるね。
――オインゴ・ボインゴ、レジデンツ、ディーヴォがやるような感じで邦画の音楽をヒカシューが担当すれば、めちゃくちゃハマると思うんですが。
巻上 そういう監督がいないんだよ、日本には。映画音楽はヒカシューに合うと思うんだけどね。
――「熱海怪獣映画祭」も巻上さんがプロデュースしたのですか?
巻上 熱海在住の映像関係の人たちの企画です。ヒカシューの関わりは井上(井上誠)さんが中心なんだけど、僕もときどきフォローしてますね。
塚村 井上さんといえば『ゴジラ伝説』ですね。井上さんはヒカシューが始まる最初からのメンバーで、熱海のとなりの湯河原の出身ですよね。今は幼稚園の園長先生でもあって、巻上さんは幼稚園でライブもしてますね。井上さんがヒカシューを離れたのは、どうして?
巻上 伊福部先生(伊福部昭)の資料の整理に取り組むことになって、とてもヒカシューに参加する時間がとれないってことになった。偉大な先生の遺産を守り伝えるために、井上さんが果たした役割は大きいよ。
――怪獣、怪物、珍獣というようなものにも、ヒカシューはすごく合うなと思うんです。
巻上 怪獣ね、合うかも。そうそう、新曲はね、わりとポップですよ。
――あっ、もう新作の制作が始まっているんですね?
巻上 去年1年間、マンスリーライブで新曲を1曲ずつ発表するというのをやっていたので、もう10曲くらいできてるのね。一昨年は40周年ってことで今までの曲をなるべく披露するっていう感じでやった。で、去年は毎月新曲を作ったから、今年はそれをレコーディングするだけ。ただ、みんな忙しいので……。
――具体的なスケジュールは決まっていますか ?
巻上 できれば近々レコーディングをして、秋くらいには出したいなと思っている。ほんとはこっちを先に出すつもりだったんだけど『なりやまず』ができちゃったからね。
塚村 歌える曲もありますか?
巻上 ほとんど歌ですね。すでに曲のタイトルがいろいろと面白いですよ。たとえば、「東京辺りで幽体離脱」とか「残念なブルース」とか。
今回収録予定の曲は、僕が詩を書いて、それをみんなにわたして書いてもらったんだけど。レコーディングは、おそらく『転転々』(2009年)のときと同じようなやり方になりそうです。今はニューヨークに行くという感じじゃないので、マキガミスタジオでドラムとボーカルを録って、そのデータファイルから作り込むことになるかと思います。
――なんと、1年と間をあけずに新作が出るのですね!
塚村 ここで作るのですね!きょうは、熱海に来てよかったです。熱海といっても、渓流を渡ればそこは湯河原で、隣は小田原。巻上さんとかヒカシューが生まれた風土を、地理的にも文化的にも感じることができました。アタミローカル、面白いです!ドメスティックじゃなくてインターナショナルに!これからも楽しみです。
――きょうは長々とありがとうございました。
(2021年3月14日、熱海市マキガミスタジオで取材。写真: 塚村真美)
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