事務所にふらりと、ミュージシャン、俳優、漫画家としてお馴みの加藤賢崇氏が訪れた。わざわざ東京から大阪にライブのチラシを貼りに来たという賢崇氏。その驚異のマメさにおそれいっていたところに、さっと差し出された「京浜兄弟社生活」という1本のデモテープ。これがもう身体中の穴という穴から溜息が漏れるような美しくも懐かしく、新しくもコミカルでシアトリカル。インデックスに「(有)京浜兄弟社」と書かれている。何と音楽集団「京浜兄弟社」が本当に会社になってしまった。こいつぁ一大事、代表取締役の岸野雄一氏(コンスタンス・タワーズ主宰)に詰め寄った。

――京浜兄弟社ができるまでの経緯(いきさつ)を。

岸野 加藤賢崇や僕やらで『東京タワーズ』っていうバンドやってて、全くの素人バンドだったんだけど時流に乗ってウケまして、ライブハウスに難なくよばれて苦労もせず、がんがんライブやって、なんか盛り上がっちゃって、いい気になってたんですよ。ファンクラブなんかもできたりして。そっからファンクラブっていう形を止めて京浜兄弟社にしよう、と。

――それがどうして会社に?

岸野 最初は会社ごっこ的なことだったんだけど、この春、有限会社化しまして会社ごっこではなくなりました。もともと、みんな文章書くのが好きで、いい形で書く仕事を持ってたんです。登記上は音楽関係の会社になってます。みんな仕事が増えてね、こなせなくなった時とか「今、僕はできないけど、こんな奴がいる」という風にいつでも仕事が回ってくるようになって協力体制が整って、それだったら会社にしちゃおうよ、と。

――みなさん、どういう方々なんですか。

岸野 いわゆる音楽好きの仲よしグループと違うのは、みんな集団で何かやるの嫌いなんです。集団でやる事に幻滅しているんです。みんなが共通しているのは表現したものと命を計(はかり)にかけると表現したものの方が強い。表現したものには真面目で絶対譲らない。かつ、表現したものが台無しになってもいいと思ってるんです。大事に作るんだけれども、作りあげたものは大事にしない。“いさぎよさ”をモットーとしている。そのへんで共通しているんじゃないかな。

――京浜兄弟社はライブじゃなく、自宅録音派だと思われてますよね。

岸野 ライブの数が少ないから、よくそう言われます。でもストリートロッカーと呼ばれている人達より、僕はもっとロックに幻想持ってますよ。だけど本当のところ日本ではね、ロックはストリートにはない!と思ってるんですよ、ロックはレコード屋さんにあるものだから。

――オムニバスアルバムを作られましたね。

岸野 僕らの場合、まずスタジオ作るところから始めて、何億かかったかなぁ…。全部そこで録って、3回以上録り直したりして、このスタジオでしか録れない音っていうのをどの曲も心がけてて。で、アルバムのマスターができあがったらスタジオ壊して、もう2度とその音では録れないことにして。すごくレーベル色が出てると思う。聴くとね、ものすげえギターサウンドのものも入ってるし、ジャンル分けでしか音楽考えられない人は聴いてみてシッチャカメッチャカでとりとめないとか思うんじゃないかな。僕の中では感情的に一貫してる。一番音楽で何を重きに置いているかというと“感情”ですからね。

(インタビュー:後藤真史/構成・文:吉村智樹)

 

「花形文化通信」NO.27/1991年8月1日/繁昌花形本舗株式会社 発行)