白髪一雄と言えば、足で描いた絵である。キャンバスの上にねとっとした油絵の具が山盛りになってズルーッと足ですべった跡が幾筋も走っている。ウルトラダイナミックな絵である。「これや思たらこればっかりやる性分」らしく、こればっかり具体の頃より現在も製作を続けている。この手法いや足法はいったいどのようにして編み出されたのだろうか。話を彼の旧制中学時代から始めよう。
学校に美術学校を出た先生がやってきた。その先生の下で新しくできた洋画部に入り、油絵や石膏デッサンの手ほどきを受ける。その才能を認めた先生は東京の美術学校を受けるように勧めたが、折しも戦争。親戚の人に、家から通える京美にしなさいと言われ、願書をもらいに行く。日本画科と図案科しかないのが判明したが、浮世絵も好きだったので、そんな感じの絵でも描けるようになるのならと入学。しかし男っぽい性格の彼に日本画はあまりにイメージが違いすぎた。絵の具も使いなれないし、困っていることろへ戦争ははげしくなり、技術が皆無のまま卒業。その後、近所の金山明に、純粋絵画論やフランスの美術運動についての本を教えられ、再び油絵の具を取る。やがて0会に参加。その0会の後期、具体に入る前にこの絵が生まれた。
「まず油絵の具に戻った時、日本画の絵の具と違うと思たんは、“のびる”ということ。ナイフでグゥーッっとやったらのびますわね。重ねてやったら下の色と混ざる。一口に言ったら流動感。これが面白いと思ってた時、絵が失敗したんです。で、ナイフで消したんや。そんならモヤモヤーとしたもんができた。『これやったれ』とやってると、たくさんの絵の具を一遍に使って短時間に描くほど、迫力がある絵が描けるとわかる。ところが絵の具をたくさん使うとズルズルと雪崩れる。しゃーないから寝かす。そうするうちに直にキャンバスを置くようになる。それでもっと勢いのあるもの、と思って手でなすってたんが、足になった」
アトリエを見た。部屋のまん中にロープがぶら下がっていて、床にキャンバスが直に置かれていた。キャンバスのまん中に絵の具をドカッと置き、まん中に立つ。ロープを持って、ターザンよろしくぶらさがりながら、足をすべらせて描くのだ。その足の運びは茶道のように作法でもありそうな美しい動きである。
「多少能狂言をやらされたから、その足の進め方みたいなのが入ってるかも。オヤジが習てたからついでに、とだいぶやりました。具体が忙しくなって辞めましたけど。特殊な腰の入れ方と足の運びがあるから。中学の時、絵画部できるまでは柔道もやってたから。柔道の足の運びも影響あるかも。足ですべっても受身がわりと備わってるから、ケガしない」
彼が絵を描く傍には必ず富士子夫人の姿がある。
「手伝わしてもらってます。大きい手術の時なんかは副の医師も看護婦さんも大勢いらっしゃいますわね。あれみたいなもんです。短時間で集中して作ってしまうから助手が必要なんです。慣れた者でないとできませんからね」
夫人もしばらく夫と共に具体に参加していたがある時突然退会。以降一切作家活動はしていない。理由は、「じゃましたらいかんからです」。白髪の天才的な才能を助けることを自分の時間よりも最優先したのである。この人は、白髪が次描こうと思っている色をふりむくともう手に持って待っているのだそうだ。
文・写真 塚村真美