壮大な野外劇〝ヂャンヂャン☆オペラ〟で多くの人を魅了した維新派(2017年解散)。主宰者の故・松本雄吉の本が10月10日出版された。「維新派・松本雄吉 1946〜1970〜2016」(リトルモア刊)、著者名は松本雄吉。松本の著作を集めた本だ。(塚村真美)

松本雄吉、初の著作集


松本は巨大な劇場を日本の海に山に、また海外にいくつもつくったが、著書は一冊もなかった。自らが棟梁として釘一本から立ち上げる劇場は、公演が終わると解体する。「劇場の痕跡、釘一本たりとも残すな」という維新派流の戒めがあるが、その精神からかどうか、何かを残しておこうという行為は積極的には成されなかった。これが初めての著作集となる。

編集したのは、元プレイガイドジャーナル編集長の小堀純。アングラ演劇を見続け、数々の演劇評を書いてきた。松本とはよく飲み語り合う仲だった。奥付の小堀の名前の下に(編集長)とあり、(副編集長)として西尾俊一の名前がある。西尾は『維新派大全』(1998年/松本工房)の編集者。また写真家にして、バー・フィネガンズウエイクの店主で、松本は店の常連客だった。

松本の近くにいた二人が中心となって編んだ本は、濃い。松本という〝河〟とか〝池〟があったとすると、底の泥とか淀みに浮かんだものをさらえたような内容。それを、ブックデザイナー日下潤一は、おいしそうに並べて包んだ。

維新派をみるようになったのは90年代以降、という多くのファンの人たちは、この本を開いたら引くんじゃないか、とまず思った。全320ページのうち、88ページを1984年の作品『蟹殿下』の戯曲に割いている。登場人物にはクラゲ通信員とかフナムシ少佐、ヤドカリ大尉などと書いてある。また、1979年の日記体の文章には、公演で糞をして、顔に塗って、食っている話が書いてある。ストリッパーをしていたとも噂のような感じで読んだか聞いたかしたが、本当だったのだ。ともかく、90年代以降の、映画のシーンのような劇場と少年たちの世界とは異なる、身体芸術の世界が満載だ。途中、見開きで掲載された劇場のスケッチとデッサンは美しくてほっとする。本をちらっと眺めた印象はそんなところだった。

エッセイ、日記、戯曲に鳴っている、劇の変拍子のリズム


小堀編集長に聞いた「なんで、『蟹殿下』にこんなにページを割いたのか」と。多くの人は『少年街』の方をみたいはず。「とにかく読んで。すごいよ。ここに〝ヂャンヂャン☆オペラ〟につづく原形みたいなものがあるの、ちゃんと」。

ともかく、読んでみた。まずエッセイの文章が素晴らしくいい。パンフレットに書かれた散文、朝日新聞の連載エッセイ。日記。戯曲も読み慣れていないけど、読んでみた。どれにもこれにもヂャンヂャン☆オペラのあの七五調のような変拍子のリズムが、行間に鳴っている。『蟹殿下』にもたしかに鳴っている。そして……シュール。

引きながら読んだが、松本は常に自分を、自らの劇を引いた目線で見ていたことが、本人の文章から読みとれる。糞を食っているときも冷静だ。「維新派流野外劇場ノ改メ」に「自分が作った舞台ということを忘れて立て」とある。これは世阿弥の離見と同じだ。

往復書簡から知る、深い階層のできごと


そして、引いていたのが、いつしか引き込まれた。とくに手紙。藤野勲との往復書簡は一級の資料である。初出は1980年7月の「楽に寄す」(竹馬の友社)とある。何かが始まるとき、賽が投げられたとき、それはいつか。維新派の始まりは釘でも小石でもなく、一通の手紙だった、のか。1968年に松本が藤野に宛てて書いた手紙をきっかけに「舞台空間創造グループ」が結成され、それが「劇団日本維新派」となっていく過程、そして松本が中心となり作・演出の両方を担当した天王寺野外音楽堂の「あまてらす」公演まで。藤野が残した手紙やノート、それに藤野自身が解説を書き、綴っていく。タイトルは「彼方への役目—松本雄吉論のための〈資料〉と覚え書き(前編)」。《序》にはこうある。「いつの日か私が(あるいは私以外の何者かが)書くであろう〈松本雄吉論〉のための基本的な〈資料〉と若干の覚書きである」。タイトルの彼方は未来のことだ。藤野は2014年に没している。後編があるのかないのか、松本雄吉論を書いていたのかどうかは不明だが、この資料と覚え書きを残した。

そして、この『維新派・松本雄吉』自体もまた、彼方への役目を果たす。小堀はいう。「これは〝松本雄吉という総合雑誌の創刊号〟だよ」と。「松本さんは文学とか演劇とか美術とか音楽とかジャンルの枠を超えてるじゃない。1冊の本にとても納まりきれない。ここから始まるんだ」。小堀たちもまた未来の自分か自分以外の誰かに、320ページの覚書きを託した。

野外の風景を巻き込んだ劇場、どこまでが劇場でどこまでが背景か、輪郭がない。松本本人もまた輪郭がとらえられない巨人である。この本は、松本雄吉の輪郭を描こうとするとき、確かな角を指し示してくれている。伝説はここから始まっていく。

「維新派・松本雄吉 1946〜1970〜2016」2018年10月10日発行/リトルモア