EVさん、かえるさん、細馬さん。
細馬さんは、人間行動学が専門の教授です。でも、それだけじゃなくて、「かえる目」というバンドで歌を作って歌ったり、テレビドラマや映画やアニメの批評をしたり、テレビに出演したり。忙しそうで楽しそう。いったいどうして、そんなにいろいろなことをするようになったのか。彦根にいる細馬さんを訪ねました。
(塚村真美)

僕ひとりやないんや

細馬 僕は客観的に自分のやってることが面白いかどうかわからないんですよ。

――細馬さんは90年ごろ「国際バカスタック協会」の人でした。バカやってるけどカシコイ系で絵や動きにはかわいさもありました。

細馬 自分たちはめちゃ面白いと思ってやってるけど、この自分が面白い感覚を表に出したときに、誰かが面白いと思うのか、ということはまあ、わからない。で、たぶんネットがなかったらそのままだったと思うんですよね。自分でめちゃ面白いと思って作ってて、それだけで終わってたと思う。たまたまそのころ、パソコン通信があったでしょ。だから、作ったものを試しにアップすると、面白がる人がいる、ということがわかる。

——そのころは京都大学で動物行動学の研究をされてました。

細馬 自分の研究じゃなくて、余暇でやってることが人に受け入れられて面白がられるということを想定してませんでした。それがネットワークによって、受けるということに気づいた。だから、一人で面白がってたことを出してもええんかな、というのが連続して起こっているというのが、ここ二十数年のできごとです。

——93年ごろ、3Dブームもありましたね。ステレオグラムのスタックも作成していた。

細馬 3Dというのも趣味の世界で、パソコン通信の人たちにも3Dに興味を持っている人がいた。現代美術の人たちにもいて、いろんな人とつながかった。「僕ひとりやないんや」(笑)というのがわかった。

——吉村信さんとの共著『ステレオ—感覚のメディア史—』がペヨトルから出たのは94年です。『ステレオ—感覚のメディア史—』

細馬 吉村信さんもそもそもパソコン通信で知り合った人でした。

——スタックはその後、終わりましたね。

細馬 マッキントッシュがハイパーカードをサポートしなくなったから、だんだんフェイドアウトしていった。95、6年くらいかな。ちょうどそのころ、彦根に来たわけ。

——そういえば、細馬さんEVさんというハンドルネームでしたよね。エレベーターのEV。エレベーターの中の会話を記録しているから。

細馬 そう。そのころ、エレベーターの中に入ったら、ただひたすら人の会話を記録して、人間の会話について何かおもろいことがわからへんかなって思ってた。今から振り返ると、それをやってる時は、乗ってる人間の魅力を取り出そうとしていて、器であるエレベーターがどんな乗り物なのかを真剣に考えてなかったわけだけど、そこからこぼれていくものがありすぎる、というのは体感してました。その研究からこぼれる余計なものを、余暇でつぶしていってたんでしょうね。

——エレベーターの中の研究から派生して『浅草十二階』(青土社)の本が生まれました。2001年。

細馬 瓢箪から駒、みたいな話。なんであんなん書いたんやろ、ま、ひまやったから。『浅草十二階』(青土社)

虫の世界から人間の世界へ

——もともとは動物行動学でしたよね。動物から人間に対象が移ったのはなぜですか?

細馬 大学院生を終えて、基本的にはずっと行動学だったんですけど、トンボとかシャクトリムシから人間に鞍替えしたのは、80年代末ですね。

細馬 僕、虫とかやってる時に、ちょっと無理してるな、って気がしたんやね、自分で。このままやっていけば、トンボとかシャクトリムシである程度のことは言えるようになるだろうけど、もう本当に虫が好きな人にはかなわないって感じがしたわけ。虫の世界に行くにはちょっと力量が足らんと、見切った。人間をやるのに力量があるかどうか全然わからないけど(笑)。

——それは大学院生のころ?

細馬 ドクターの1年目まで虫、2年目から人間。方法論は似てたので、自分ではめちゃくちゃなことしてるとは思わなかった。博士論文で書いたことは、どっちかっていうと人間の音声ってどうなってるのかというのを、会話の内容とかは無視して、ここから話始めてここで話が終わったという、人間の声を羊羹みたいな形で捉えて、羊羹が重なってる重なってないという話をしたわけですよ。それはめちゃ、面白かったんです。でも、そこで、これから先20年30年、これで研究できると思ったら、お前人生なめてるぞ、という気がしてたわけ。この方法、たぶんいつまでも続かない、とたぶん危機感があったんでしょうね。でも、まだ、こういう風にすれば打開できるという策はなかった。

——そこで、方向転換があった?

細馬 とにかく会話の内容を学問されてる人に会いにいったわけですよ、それがまあ、会話分析。会話分析は内容だけじゃなくて、言葉のタイミングも大切にする学問やったから。ちょうど僕にとってよかったんです。それまでは言葉のタイミングのみを見ていたわけだけど、「タイミングはもちろん見てるけど、内容も見て考えなあかんよね」という学問と出会った。専門分野からすると、30歳前後にそういう方向転換があった。そこから先、研究はけっこう一貫してます。

——言葉のタイミングと内容の研究。

細馬 それと動作。虫を見てたころは、言葉を発しない虫の動作を見てたから、今度は人間の動作も見る。「言葉のタイミングと内容と動作をめっちゃ見ないとだめやね」という研究は一貫してて、そこから先、研究はわりとその路線でずっとやってます。

——細馬さんって、何にしてもめっちゃ見てるなー、というのはそういうわけですね。

細馬 だから、人の動作をめっちゃ見る、しかも生でも見るけど、録画して後でもめっちゃ見る。細馬宏通

副産物の方に行ってしまう

——人間行動学の研究が、細馬さんの屋台骨というか、細馬さんの半分というか、大きな一つ。

細馬 それと、もう一つはそういうのをやりつつ、「なんやわけのわからんもん」が昔から好きやから、得体の知れないものに引かれる。「浅草十二階」は、最初はエレベーターの中の人間の動作を調べ始めたわけだけど、エレベーターの歴史も知るようになって、なかでもこの十二階という塔は変やぞ、って気づいたんです。詩人とか文学者とかめっちゃ関わってるし。そうすると、一応大学院で理科系の文献調査みたいなことはやってきたから、おんなじやり方で過去の文献を猟り始めるわけですよ。ただ、理科系の文献調査では、例えば過去20年くらいの論文は調べたりするし、学術界の書き物は見たりするけど、新聞記事とか広告の紙とか絵葉書などは見ない。そういうトレーニングを僕はまったくしていなかった。で、浅草十二階を調べようと思ったら、論文なんかないのね。むしろ市井の人が書いたエッセーとかが主で、これが矛盾だらけなんですよ、誰が本当のこと書いてるのかわからない。それまで僕が培ってきた文献調査の方法ではだめだ、と、初めて国会図書館に行くということをする。で、誰も教えてくれないから「マイクロフィルムってどうやって回すんですか」みたいなことを図書館の人に教わって。そこからずぶずぶ入り込みましたね、ずーっと昔の新聞読んでました。

——その後2006年に、絵葉書の本『絵はがきの時代』(青土社)も書きましたね。

細馬 それも副産物。そうやねん、なんでまた副産物の方に行くんでしょうね。

「ちょっと待って」

——そのころですかね、インターネットラジオ「ラジオ 沼」を始められました。

細馬 自分で考えたことを話すっていうことを始めました。もともと漫画家のタナカカツキさんが、ポッドキャストがまだないころに始めはったんですよ。「ネットって回線が太くなってきたら、音声をみんな聞くよね」って。漫画家は絵を描いてる間、声を聞いても大丈夫なんです。文筆家なら、声を聞いたら書けなくなるけど。それで、彼はネットに音声ファイルを置くという形のラジオを始めたんですよね、10分か15分のラジオを毎日。これがきいたらめちゃ面白いわけですよ。で、僕もやらなあかんな、と。

——やらなあかん、とは、どうしてそう思うのでしょう?

細馬 それは、ちょうど2004年でした。大学に就職して9年経ってるでしょ。そしたらね、話し方に変なクセがついてきてるわけですよ。ルーティーンワークで学生にずーっと教えてると、先生口調というのかな、自分でもわかってることをまとめてお伝えする、その時にオートマチックに自分でよく考えなくていなくても、するするするする言葉が出てきてしまう、というクセがちょっとつき始めてた。で、そこでまた待てよ、と。タナカカツキさんのしゃべりを聞いていて、僕よりずいぶんゆっくりやなと。あと、講義だとするするしゃべれるのに、その場で自分で考えを検討しながらしゃべってみたら、こんなに遅い、たどたどしくなる、というのがわかった。で、普通なら、もっと滑らかにせなあかん、と思うところが、僕はそのとき逆で、「あ、このたどたどしいほうが大事だ」と思った。すっごいたどたどしい。このペースで話したら、今まで考えられなかったことが考えられるようになるって思って始めました。今は年に何回かになったけど、始めたころは毎日。あれはすごい糧になってますね。

——「人生、なめてたらあかん」というようなことが時々やってくる。

細馬 「このままうまくいくと思ったらおおまちがいやぞ」みたいな危機感というか合図みたいなものが自分の外からやってくる、っていうか、ま、内側かも知れないけど、そんなふうに感じることがある。ラジオをやってる時は、要するにスムーズな考えを止めるとか、あるいは今まで話していたことのあるフレーズをそのまま言う、ということを「ちょっと待て」という形でやってきた、ような気がするのね。ラジオは毎回、その連続でしたね。

——台本はなくて?

細馬 台本はなくて、ただ、話したいことがあるぞ、きょうはことのことについてしゃべろうというのはなんとなくあるけど、別にそれは一遍考えたストーリーを話すんじゃなくて、しゃべり始めてしゃべり終わったところで止める。だから30分の時もあるし4〜5分の時もあるし。っていう感じやね。あれはずいぶん録りましたね、自分で今まで考えたことのないことをいっぱい考えた。それが大きかったんじゃないですかね。

歌うかえるさん

——歌うようになったのは、その後?

細馬 歌はラジオから派生しました。ラジオをやってて、そうすると時間つぶしに歌ったりするわけですな。どういうわけか、しゃべりの流れで歌って。それも最初はこんなことしてええのかな、と思った。素人のええ年のおっちゃんがね、歌うって、どうなのかなと。人のカラオケ聞くの苦痛じゃないですか?ああいう感じで、嫌がられるかなと思ったけど、話の流れで歌が必要だと思って歌ったんで、まあいいかと。とりあえず、録音して公表するわけですよね。そしたら、ああ、いいよね、って反応が返ってきて。こんなんで成立するんや、と。

——ギターは弾けたんですか?

細馬 十代の時フォーク、ニューミュージックが出てきたからね。「神田川」が弾ける程度には。その程度のがっさがさのギターと歌もめちゃめちゃ下手やのに、それでオッケーなんや、って。それもやっぱり公表して許された、というのが大きいと思う。

——すべて、それ!?

細馬 万事それですね。一人遊びでやってたようなことが、「それ、ありなんや」と。

——でも、一人じゃなくてバンド組みますよね、「かえる目」。

細馬 ちょうど同じころ、その場限りのつもりでパーティーバンドを組んだんですよ。パーティで歌ってくれませんか、と依頼を受けたのでやったら、意外とオッケーだったので、もうちょっとやってもいいのかなって。今考えてもものすごい下手でしたけどね。こんなん聞かせてええのかというレベルでしたけど。

——バンドも2004年から?

細馬 14年目!ビートルズより長い(笑)。定期的に活動してるわけじゃないから、年に2〜3回だから。

——全然違う。ほかのメンバーは音楽の世界の人、実験音楽とか。
細馬 僕は実験音楽できないでしょ。ユーミンが歌うみたいに、周辺の雑感のようなことを歌ってる。歌は14年間、そんなに変わってない。

——かえる目とかかえるさんって、いつから名前がついたんですか?

細馬 「ラジオ 沼」より前に、相方のYuko Nexus6と「かえるさんレイクサイド」という絵物語をウェブで始めてました。その主人公がかえるさん。

ネチネチと批評する

細馬宏通

——それから、NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」(2013年)の時、細馬さん、ウェブですごい人気者になりましたよね。

細馬 それより前に「カーネーション」(2011年)で、いまでいうバズるということが起こった。僕は脚本家の渡辺あやさんがとても優れた人だと思っていて、すでに映画や単発ドラマをいくつも見てたんです。その渡辺あやさんがなんと朝ドラで脚本を書くというので、これは絶対面白いと思ったら、案の定すさまじく面白かった。で、それについてあれこれウェブで書いてたんだけど、そのドラマが終わった日に、最終回を見た感想をわりと長めに書いたら、バズったわけですよ、え、こんなに人が読むんだ、と。それは手応えというか、こういうのを書いていいんだな、とわかった。

——なるほど。

細馬 それからですね。こんなに長々書いてそんなにバズるんだったら、ネチネチ見ててもいいんだと、思ったんですね。私のように細かいことをネチネチ見るやつ、うざいんじゃないかと思ってたら、それはオッケーなんだ、と。それで、あまちゃんのこともネチネチ書くようになった。

——すんごい見てますよね。いつもそういうクセがついてる?

細馬 ドラマ見る時にね。ただ、やっぱりそれもインターネットがあったからですよね。そういうものに対して読み手がいる、というのは、それまでわからなかった、好きで書いてるだけだったから。そうこうするうちに原稿依頼がくるようになるわけですよ。「あまちゃん」の場合は途中の7月くらいから毎日書いてた。書くことがありすぎて頭が爆発しそうになる。がまんしてたら、健康に悪いと思って毎日書いてたんだけど。最終回まで書いたところで、河出書房から依頼があって本にしませんか、って。で、あとから7月までの分も書き足しました。

——音楽については、昔から書いてましたよね。「あまちゃん」を音楽の担当をしていた大友良英さんともお知り合い?

細馬 90年ごろからかな、当時の大友さんのライブってそんなにお客さんが入ってない(笑)。スタッフの人から打ち上げに来ませんか?とか言われて、そのころから人の打ち上げに紛れ込む技を覚えた。音楽のことは、パソコン通信に書いてました。パソコン通信を始めたのも90年、そのころにいろんな音楽について書いて、オレ書いてもいいんだって感じになった。「花形文化通信」にも書くようになりましたよね。

——映画とかドラマについては、最近ですよね?

細馬 そうですね。動作研究をやるようになってから、自分でも知らない間に人の動作を見る解像度は上がってきてたみたい。いつもやってるから。だから、僕が普通に面白いなと思うことを書くと、それは知らなかったとか、気づかなかったといわれることがでてきた。じゃあこれ、書いたらおもしろいのかしら、って書くようになった。

行動学の方法です

『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』(新潮選書)——『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』(新潮選書)2013年、面白かったです。

細馬 意外にもアニメーション研究の専門の方たちに面白がってもらえました。あれも、90年代から、アメリカの昔の映画とか初期アニメとかをなんちゅうへんてこりんな世界があるんだと面白くなって観てた、そういう余暇活動から出発してる。するとだんだん知識が貯まってきて、せっかくだから大学の講義でもそれを紹介したんです。でもね、21世紀の学生に「なんで面白いと思う?」と聞いても、19世紀末から20世紀初頭のアニメの面白さなんて、そう簡単にはわからないわけ。かといって、それをなんで面白いのか、っていうのを言葉で説明したら、説き伏せることになって、先生は面白いというけど、僕らは退屈だったわ、となる。じゃあ、彼らが面白いと体感してくれるにはどうしたらいいだろうと、とりあえず何回も観てもらった。といってもノーヒントでみどころに気づくというのはハードルが高すぎるから、例えば「今からこの映画を3分観るんですけど、犬だけ見ててください」とか、「これ群集劇で1分ただ工場から人が出てくるだけですけど、右側に出て行く人だけ見ててください」とか注目ポイントを提示して、ずーっと観てもらう。するとだんだん笑いが起こってきたりする。「これは昔の映画だから退屈なんじゃなくって、僕らがこの映画の見どころがわかってないから、退屈なだけなんだ」ってわかってくるのね。本の内容もそんなふうに、見どころを発見していくように組み立てていきました。それがちょっと珍しかったんでしょうね。

——書き下ろし?

細馬 出版社の人から何か書きませんか、と。そのときは「浅草十二階」やって、「絵はがき」やったあとで、自分の手持ちとして、アニメのこと何も書いてないから、これどうでしょう?と。

——介護の本もありますね「介護するからだ」。あと、webちくまで連載中の「からだは気づいている」もある。

細馬 「からだは気づいている」がいちばん専門に近いかな。言葉にならない早い動作のコミュニケーションはどうやって起こっていて、それでなんでそれが僕らの意識に引っかからないのか、ということと、意識に引っかからないようなことがなぜ出てきてしまうのか、というのをちゃんと説明する連載です。

——なんでも細かいところまで緻密に言葉に落としていきますよね。

細馬 ふだんから、動作をいちいち言葉にする仕事をしてるからだと思うんです。動作分析をした結果を人にお伝えするときに、動画を見たら、この人たちはこういう前提でこれまで話していて、こういう動作をここでする、というのは言わなくてもわかるけど、論文にする時に、誰かに伝える時に、見えてることで、しかも、ぱっと見て意識から逃れることも、ちゃんと書いていかないとわからないでしょ。そうしないと、その後になぜこの動作が起こったかっていう必然性が入ってこないから。それをできるだけわかるように書くっていうことはする。だけど、その時に、起こったことをすべて書いてしまうと、逆にわからない。その前に起こったことのなかで、そのことを引き起こす必然的な骨組みだけを拾って、書いとく。例えば手を上から下に振るという時、指の一本一本の形を全部書いてたら読者がついてこないでしょう。でも、それがじゃんけんをするときの振りだったら、グーからチョキに変わるときの人差し指と中指の動きは押さえておかないといけない。だからそれは書く。そんな具合に、すごい細かいことを書いてる一方で、別の細かいことをずいぶん落としてます。

——そうですか。それは動物行動学の方法論としてあるもの?

細馬 そうやね、動物の何が面白いかを人に伝える時の技法やね、観察の技法というよりは、観察した結果の中の何がエッセンスかっていうのを誰かに伝える時の。いちばん最後に起こったことだけを言っても面白くないでしょ。例えばトンボのオスがメスを追いかけて空高く飛んでいった、って書いても、それがどうした、ってなる。かといって、何回羽ばたいたとか、やたら細かいことを書けばいいってもんでもない。空高く飛んでいくまでに、それまで枝の先でじっとしてたオスがどうやってメスを見つけて、どんな風に追っかけて、その結果なぜメスが水上ではなく空高くまで飛び上がるハメになったのか、そこに進化上のどういうおもしろい問題が潜んでいるのかっていうのを言っていかないと面白くない。それと同じことですね。