京都のライブハウス「磔磔」の丸テーブルです。いいですね、木のテーブル。磔磔の建物は元は酒蔵で、テーブルが丸なのは、酒米を洗う桶から作ったから、らしいです。板の継ぎ目の溝にはまると、コマはとまってしまいます。

コマ回しの動画は再掲載です。ロングインタビューを公開中の巻上公一さんです。ヒカシュー「秋のツアー 2018」のライブが終わった後で撮影したものです。

ヒカシューは1977年から活動していますが、わたしが初めてヒカシューに会ったのは、1982年5月のことです。場所は、京都の河原町VOXビルにあったライブハウスというか多目的ホールというか、のBIG BANGでした。

ライブの前日に家に電話がかかってきました。雑誌『HIP』編集部の古賀正恭さん、といっても京都の大学生でしたが、「あしたヒカシューのライブがただで見れる」ので、友達と一緒に手伝ってもらえないかということでした。HIPは母体が渡辺プロダクションのロック部門「ノンストップ」で、音楽イベントもやっていて、わたしはときどき編集部とイベントでアルバイトさせてもらっていました。

しかし、この日のバイトは、かなり変わった内容でした。友達と3人で、水戸黄門の格好をしてステージに上がってほしい、というのです。「はあ?」

ともかく「ヒカシューがただで見れる」ということで、大学の友達に連絡したらすぐに2人つかまりました。巻上さんさんが出演した映画『風の歌を聴け』は前年に公開されていて、当時の若者でヒカシューや巻上さんを知らない人はいなかったでしょう。翌日いそいそとBIG BANGに行きました。ヒカシューの音合わせが始まったころかと思うのですが、古賀さんは、京都駅に行ってくると言って出かけ、しばらくして、大きな箱を抱えて帰ってきました。新幹線便で東京から荷物が届いたのです。箱をあけると、水戸黄門と助さん格さんの衣装が入っていました。そして、紙で作った手描きのお面が。

じつは、この日はヒカシューのライブのほか、総合商社HAND-JOEの末井昭さん、南伸坊さん、上杉清文さんによるパフォーマンスも行われるはずだったのです。このころ末井さんたちは水戸黄門の格好をしてサックスの演奏をするというライブを行っておられました。それが、「上杉さんの原稿が締切に間に合っていないから、来れない」との理由で、お三方の代わりに、それぞれの似顔絵のお面をつけ、衣装を着て、舞台で頭を下げる、というのが、この日のミッションだったのです。お面は伸坊さんが急きょ描いたものでした。ちょっとかっこ悪いし恥ずかしい?でもお面つけてて誰だかわからないから、ま、いいか!となったのでした。

背の高いKちゃんが末井さんのお面で水戸黄門、丸顔で低めのHちゃんが助さんか格さんかわからないけど伸坊さんのお面、でわたしは仏教徒つながりで上杉さん。と思っていたら、Kちゃんが伸坊さんのお面がかわいいから伸坊さんがいいと言いだし、おにぎり顔のお面をHちゃんと取り合いに。ヒカシューのリハの生演奏が流れるなか、互いにゆずらず、結局ジャンケンしてどっちがどうだったか誰が誰だったかもう忘れましたが、ともかくわたしたちは水戸黄門と助さん格さんに着替えて、ステージに上がったのでした。

これが、人生初のブーイング体験でした。ブーイングってあるんだ、と思いました。がっかりする声もありましたが、しかし、そんなに本気のブーイングでもなく、ほとんどのお客さんはヒカシュー目当てのようでしたから、短時間ざわざわしただけで、すぐ演奏が始まりました。

この時、ただで見たヒカシューのライブではっきりと憶えているのは、泉水敏郎さんがドラムを叩く後ろ姿くらいです。

で、ライブの後。次の日、兵庫県立近代美術館でパフォーマンスをするから、よかったら来ませんか?ということになり、わたしは大中で買ったチャイナドレスがあるのでそれで行きます、Hちゃんはセーラー服で行きます、てなことになりました。Kちゃんは都合がつかず残念がっていました。

そして翌日。美術館の楽屋といってもおそらく会議室で、HAND-JOEの皆さんたちにあたたかく迎えられ、とくに何を指示されるわけでもなく、なんとなく50年代とか60年代とかのアクションとかハプニングとかみたいな感じなのかな?フリージャズみたいな演奏なのかな?とか思いながら、美術館での即興パフォーマンスに参加したのでした。

この日のお客さんの反応は、ブーイングもなく、美術館だからか、わりとみなさん静かでした。なにやってんのかな?ってことだったのかも知れません。緩急のある演奏が流れるなか、スイカ割りをしたり、ざるそばの出前があったり、緊縛師の人が亀甲縛りをしたり。わたしは演奏に合わせて(できていたかどうかは不明)チンドン太鼓を叩いて動いたり、スイカを食べたりしました。

ともかく無事にパフォーマンスが終わり、巻上さんや末井さんたちから、お礼にと、HAND-JOEの事務所に置いてあった招き猫を頂戴しました。中には小銭が入ったままです。猫の背中に、皆さんから記念のサインをいただきました。

画面左から、古賀正恭さん、塚村、末井昭さん、巻上公一さん、上杉清文さん。撮影は滝本淳助さん。当時郵送いただいた写真。

その後、大学を卒業し、情報誌の会社で3年働いたあと1年ほどして、1988年に会社を始めるわけですが、社名を繁昌花形本舗としたのは、そのときの総合商社HAND-JOEの名前を勝手にいただいたのでした。招き猫は今も大事にしています。

巻上さんとお会いして39年目。今回たくさんお話してくださったのには、遠い日のそんなご縁があってのことでした。

by 塚村真美

兵庫県立近代美術館「明日の美術館を求めて—美術劇場—」展でのイベント終了後の記念写真。1982年5月23日(日)兵庫県立近代美術館の搬入口で。撮影:滝本淳助