わたしはラジオでラジオを聴いています。

日曜日ラジオをかけていたら、『伊集院光の百年ラヂオ』(NHK-FM番組HPはこちら)が始まりました。この日は「生態放送」といって、野生動物の鳴き声の生中継について、でした。(生態放送についてはこちら

そして、その番組の目玉は「昭和10年、幻の鳥・ブッポウソウに日本が歓喜!?不可能を可能にした放送マンの意地」で、「ええっ、その録音があったのか!」と驚き、わたしはラジオの前で直立不動でその音を聞きました。それは、昭和10年(1935)に初めて放送されたブッポウソウと呼ばれる鳥の鳴き声でした。その放送を機に、夜に森で「仏法僧」と鳴いている鳥は、それまでずっと長いあいだ青い美しい鳥と思われていたのが、そうではなくてコノハズクであることがわかったのです。

聞き逃しはこちら(伊集院光の百年ラヂオ 幻の鳥・ブッポウソウ!生態放送の歴史|初回放送日: 2024年2月18日|2024年2月25日(日)午前11:50配信終了)

番組によると、コノハズクは絶滅が危惧されているとのことでさらに驚きました。

ブッポウソウなどに関して、7年前に仏教関係の雑誌(『伝道』87号,本願寺出版社,2017年3月1日発行)に書いた文章があるので、少しふりがななどを加筆してここに掲載します。

 

「鳥は見るもの?」

 

本年は酉年です。元旦、本堂でお勤めしていたら、前卓に鳥が彫られているのが目にとまりました。「仏説阿弥陀経」に出てくる鳥たちです。白鵠(びゃっこう)、孔雀(くじゃく)、鸚鵡(おうむ)、舍利(しゃり)、迦陵頻伽(かりょうびんが)、共命之鳥(ぐみょうしちょう)。鮮やかに彩色された彫刻ですが、お経には、これらの鳥について視覚的な美しさが説かれているわけではなく、その声のことが説かれています。和雅の音を出す、と。そしてその声は仏法の音として、のびやかに響き渡る、と。

なぜ、ビジュアルではなく、サウンドなのだろう?と思いました。鳥は見るものではなくて、聞くもの? そして、また思いました。あれ、なんで私は、鳥は見るものと思ったのだろう?と。

そうそう「日本野鳥の会」です。年末の紅白歌合戦では長きにわたり、番組の大詰に同会の会員さんたちがぞろぞろと登場し、双眼鏡で会場を見渡して、観客が掲げる赤と白の札の数を数えていました。鳥は見るもの、という考えは、おそらく、あの双眼鏡を手にした姿から起こったものでしょう。

趣味としてのバードウォッチングの歴史は、1889年に英国王立鳥類保護協会が設立されたことに始まるようです。それはイギリスが最も繁栄していたビクトリア朝の時代、この年のパリ万博ではエッフェル塔が建っています。日本の暦では明治22年。めちゃめちゃ近代的な趣味なのです。小型で高性能の双眼鏡が世界で初めて市販されたのは、その5年後のことです。

近代になるまで、人の目では、飛ぶ鳥の姿をとらえることはなかなかできなかったのです。それが森の中だとなおのこと。声はすれども姿は見えず、です。今でもウグイスは、うぐいす餅の色のような黄緑色と思っている人がいるようですが、ウグイスは褐色を帯びた緑色で、明るい緑色の鳥はメジロです。梅によくとまっているのもメジロだそうです。

さらに、夜の闇だとなおさらです。「仏法僧」と鳴くのは、ブッポウソウという鳥ではなくて、コノハズク。それがわかったのは、1935年のことで「日本野鳥の会」設立の翌年にあたります。ラジオで「仏法僧」と鳴く声を実況中継したことがきっかけとなって判明したらしく、それまで「仏法僧」と鳴くとされ、ブッポウソウと名づけられた青い鳥は、そうは鳴かないことがはっきりしたのに、その後も和名はブッポウソウのままのようです。

そういえば、馬が足をどんな風にして障害物を飛び越えていくのか、も、マイブリッジが1878年にカメラを並べ連続写真を撮って判明したことなので、人間の目は、なかなかあやしいものです。

いーや耳だって、勝手なものです。「仏法僧」だの「法、法華経」いや「法を聞けよ」だの、「本尊かけたか」だのと聞いてしまう。コノハズクもウグイスもホトトギスも仏教徒ではないでしょうに。しかしながら、そう聞いた人は間違いなく、仏教徒のはずです。想像するに、山のお堂に籠もって修業した僧侶たちの耳には、そう聞こえたのでしょう。彼らにとって、鳥は聞くものだったのです。

さて、「日本野鳥の会」は自然保護活動の会で、バードウォッチャーの趣味の会ではありません。なぜ、鳥類の保護が必要となったか。欧米では水鳥の羽毛を飾る帽子が大流行し、大量に乱獲されたからでした。日本では長く、鳥は飼って愛玩するもの、捕って食べるもの、だったのです。

会の創立者は中西悟堂さんです。悟堂という名前は法名です。幼くして父母に別れ、天台宗の僧侶であった伯父さんに育てられた悟堂さん。十二、三歳のとき秩父山中で一〇八日の荒行をした際、肩やひざにとまりにきた小鳥と親しんだのがきっかけとなり、その後、野鳥や自然の保護に生涯、大奮闘されたのです。

野鳥という言葉は悟堂さんの造語。会の標語は「野の鳥は野に」というものでした。五十六歳からは、サルマタ一丁の裸で探鳥(これも悟堂さんの造語)に出かけられたとか。きっと鳥とも自然とも一体になれたことでしょう。

阿弥陀経に登場する「共命之鳥」は、頭が二つで体が一つの鳥です。一方の頭がもう一方の頭の方も喜ぶと思っておいしい花を食べても、もう一方はお腹がふくれただけでおいしくない。それでそちらの頭の方は恨みを抱き、それならと毒の花を食べたら、鳥は死んでしまった、という話があります。自分勝手に生きるのではない、と教えてくれる鳥です。

鳥は見るものでも、聞くものでも、飼うものでも、食べるものでもなく、共に生きるものだったのですね、悟堂先生。

(2017年1月21日)

by 塚村真美

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