畑にロウバイの木があって、たねがたくさん落ちていたので、拾ってきて育てたら、六年たって今年初めて花を咲かせました。

畑といってもそれは昔の話で、以前ロウバイは畑の中に生えていたのですが、墓地が広がってきて、今は墓地の中に生えています。

その墓地のすき間のような場所に、もう四、五十年前になるのか、祖母は近所に住んでいた身寄りのない女性の墓をたてました。モリモトのおばちゃんとわたしは呼んでいましたが、小柄で上品なおばあさんで、お墓も小柄でした。祖母のほか近所のおばあさんたちはたいてい後頭部に丸い毛束を乗せた髪型だったのに、モリモトのおばちゃんは白髪まじりのショートヘアで、着物のえりを少し抜きぎみにしたうなじが印象的でした。そして、背中にはいつも風呂敷包みがありました。行商のようなことをされていました。

祖母とは裏の玄関のところに腰掛けてよく話をしていました。風呂敷から何かの商品を出し、祖母は奥の自分の部屋からお財布をとってきて、何かを買っていました。下着とか婦人雑貨といった物だったと思います。ある時、おばちゃんの体調が悪く、祖母に連れられて家を訪ねたことがありました。家は借家で、お地蔵さんの隣の、またその隣の家との隙間のような場所にありました。戸を開けると土間で、右手にほんの一間か二間の部屋があり、浴衣の寝間着のまま、出てこられました。祖母はそこでも何かを買っていました。その時の二人のやりとりでわかったのは、祖母は何か買い物を頼んでいて、おばちゃんは大阪に行ってそれを買ってきて、売るというか渡すというか、そういう商いをしているということでした。

その頃の六〇年代のおばあさんは、あまり家から気軽に買い物に出かけることはなかったように思います。うちの場合は奈良県で、よそ行きの洋服などは大阪に買いに行くわけですが、そんなに頻繁に出かけるわけでもなく、祖母はわりと留守番をしていました。近所のほかのおばあさんもちょっとした買い物をモリモトのおばちゃんに頼んでいたように思われます。下着を買うにしてもちょっとした小間物を買うにしても、バスで十分ほどの町に出ないと手に入りませんでしたから。おばちゃんは大阪で暮らしていた人のようでした。

祖母が亡くなってから三十年。ずっと、おばちゃんのお墓には、お盆と正月と春秋のお彼岸の年四回だけですが、お花とお線香を上げてきました。しかし、なんと、あろうことか、ある時、おばちゃんのお墓が片付けられていました。親戚でもなんでもないので、私にも母にも断りを入れる必要などはないのでしょうが。

お墓がなくなって五年ほどになるでしょうか、その間、墓地から持って帰ったロウバイのたねは木になって、今年花を咲かせたのです。それで、このお正月は、まあちょっとお墓参りができたような気になりました。鼻を近づけると、ちゃんといい匂いがしていました。

by 塚村真美