高野文子著『ドミトリーともきんす』の原画が並んでいると聞いて、京都文化博物館に行ってきました。
手をシュッシュしてから展示室へ入ったところに、ドミトリーともきんすの模型と、高野文子さんが制作に使った道具が並んでいました。ファンとしては、直に触れたものが眼前にあるだけで胸があつくなります。本のあとがきに「道具は、製図ペンを使いました。」とあったように、烏口コンパスがあり、どうやって使うのか知らないその銀色のシャープな形に、鼻がすっと通るような理系の匂いを感じました。
その隣に原画。静かな線に見とれてもう大満足、と落ち着いて会場を見渡すと、原画は順路に沿って、何枚も展示されていました。展示台には本に登場する湯川秀樹、朝永振一郎、中谷宇吉郎ら博士たちの書画や写真、原稿、縁の品が置かれ、それらの間を縫うように現代のメディアアートが置かれています。そこで、この展覧会は『ドミトリーともきんす』に載っていた湯川秀樹博士のエッセー「詩と科学」を踏まえているのだな?ということがわかります。「詩と科学遠いようで近い。近いようで遠い。」
振り向くと、アクリル製の雲形定規、曲線定規、そして円周定規で作ったコマの現代アート作品があり、壁には朝永博士のエッセー「滞独日記」から、どんぐりでコマを作って遊ぶ話が引いてありました。隣には原画、トモナガ君が鏡の不思議について語っています。近くには鏡の原理を使った作品が置かれていました。
透明で薄いコマの次に置かれていたのは、地球ゴマならぬ、ジャイロスコープ。展示ケースの中に鎮座在しましたその存在感たるや、輝きたるや。回してみたいという欲求よりも、拝みたくなりました。
木箱と共に展示されたジャイロスコープは「京一中洛北高校同窓会」所蔵とあり、湯川、朝永両博士が、京一中時代に使ったであろうとの説明がありました。台座には「東京開成学校製作場造品」の文字が。東京開成学校は後の東京大学です。地球ゴマは科学玩具ですが、このジャイロスコープは実験用具で、戦後まで物理の授業で使われていたそうです。
しかし、科学の道具というよりは、仏具に見えます。年季の入った銅は、赤い房飾りをつけたら似合いそうです。それもそのはず、これは仏具職人が作ったからです。と、いうのは嘘。でも仮説というか想像というか、そうだと面白いなと思いました。
家に帰って検索してみました。東京開成学校製作場というのは、明治7年から10年(1874~77年)の3年間だけ存在した、高等教育用の実験器械の製作場だったようです(*1)。京一中は明治3年(1870年)創立なので、製作場の道具を導入できます。国産の実験道具はそれまでなかったようなので、待ってましたとばかりに、初年の明治7年に購入したのではないかと想像します。
なぜならば、明治8年(1875年)には、島津源蔵氏が島津製作所を創業し、教育用理化学機器の製造を始めたからです。8年以降だと、京都の島津から購入するのではないかと思ったわけです。そして、源蔵氏は仏具職人でした。仏具製造をしながら、科学技術立国の未来を見据え、仏具づくりの技術を、教育用の理化学機器の製造に生かしたのです。
源蔵氏の仏具製造の店の近所には、明治3年に京都舎密(せいみ)局ができました。明治政府の殖産興業政策のもと、理化学の授業と実業の指導を行う、いわば技術導入の拠点(*2)で、次々に西欧から新しい理化学機器が輸入されてきたといいます。舎密はドイツ語のChemie(化学)を英語風に読んで漢字を当てたものだとか。(*3)
しかし、仏具から科学道具への転換には、慶応4年(1868年)の神仏分離令によって巻き起こった廃仏毀釈の嵐が背景にあるでしょう。仏具業界は全国的にお先真っ暗だったのではないでしょうか。東京開成学校の製作場にも、仏具の技術者が指導者として職を求めた、あるいは仏具職人にお呼びがかかったかもしれません。
東京開成学校製作場でも京都舎密局でも、お雇い外国人教師のドイツ人技師、ゴットフリード・ワグネル氏が指導に当たっていました。源蔵氏がワグネルさんの信頼を得たように、東京でもワグネルさん指導のもと、仏具職人がジャイロスコープを作っていたのかも、と思うとちょっと楽しい。いずれにしても、ワグネルさんが展示されていたジャイロスコープの指導をしていたことは確かでしょう。
展覧会場には、舎密局の看板も展示されていました。ほかには、中谷宇吉郎の「雪華之図」や、中谷芙三子「卵を立てる」(1974年)もあり、京都文化博物館の別館が、白銀荘のようにも、ドミトリーともきんすのようにも思え、愉快な気持ちで、科学の本を一冊買って、帰りました。
by 塚村真美
展覧会
文化庁メディア芸術祭 京都展 科学者の見つけた詩 —世界を見つめる目—
https://kyoto2020.j-mediaarts.jp/
- *1)日本物理学会 2015 年秋季大会 概要集 東京開成学校製作学教場と教育用実験器械製造業の成長 元)阪経法大 永平幸雄
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpsgaiyo/70.2/0/70.2_3035/_pdf - *2)一般社団法人 日本科学機器協会のHP
https://sia-japan.com/about_jsia/協会のあゆみ/江戸-1945年/ - *3)株式会社平凡社世界大百科事典 第2版