きょうの緩速車道:9月7日(月)雨のち曇り

大阪市のシンボルストリートといえば「御堂筋」。国道ですが大阪市が管理しています。ザ・ベンチャーズが作曲し欧陽菲菲が歌って大ヒットした「雨の御堂筋」(1971年)、山上路夫作詞、猪俣公章作曲、海原千里万里が歌ってこれまたヒットした「大阪ラプソディ」(1976年)は、いずれも御堂筋が主役のご当地ソングです。

道路は6車線あり、真ん中の4車線と、外側に1車線ずつ。この外側の道路は、一般的に「側道」と呼ばれていますが、ここは「緩速車道」といいます。道路にもちゃんと書いてあります。

緩速車道とは何か? 「緩速」はゆっくりの速さということです。ゆっくり走る車両のための道なのです。緩速車道という言葉が初めて出てくるのは、1923年の関東大震災の後のよう。震災復興のために道路を整備するにあたり、緩速車道を設けたらしい。というのは、それまでの車道は荷車や馬車、人力車などの緩速車が主流で、自動車が多い道路の場合は高速車線を設けていたのが、震災後は自動車が増えてきて、緩速車と分離する必要ができたので、緩速車道という名称が登場したようです。はじめは高速車道、自転車道、緩速車道の3段階でとらえられていたのが、3段階の車道の設置が煩雑なので、自転車は緩速車道に含まれることになったそうです。

御堂筋の工事着手は1926年なので震災の3年後。真ん中の4車線は自動車道、外側の2車線は緩速車道とされました。道路の完成は1937年。1945年には空襲で一帯は焼け野原に。戦後はモータリゼーションの時代が到来して自動車が増え、緩速車道にも自動車が走るようになり、1970年の大阪万博の年には6車線すべてが南向き一方通行に。バブルのころには緩速車道は迷惑駐車で有名になりました。

荷車も馬車も人力車はすっかり消えていなくなりましたが、自転車は残りました。でも、走る空間がない。1970年の道路交通法では、自転車は歩道も通行が可能になったのです。そして、2008年になって、再び道路交通法が改正されて、自転車は軽車両なので、車道走行が原則、歩道は例外となったのでした。

ところで、大阪市の自転車利用率は政令指定都市の中でトップです。通勤通学時の交通手段として自転車を利用する割合は28%。御堂筋の自転車の通行台数は1977年と比べると8倍の4873台。ところが自動車は4割減っています。ということで、道路の再編を考える時ではないかと思うわけです。緩速車道は自転車道にしてはどうかと。

さらに。コロナで世界各地でポップアップの暫定的な自転車レーンが生まれました。道路に道路にコーンをポンポンと置いていくだけでもできます。ベルリンでもパリでもミラノでもローマでも。東京でも23区内で自転車通行帯などが今年度に17㎞整備されるというニュースをみました。

ああ、御堂筋には緩速車道があるのになあ。

というわけで、9月22日に「御堂筋サイクルピクニック」があります。私は初回から参加しています。緩速車道を自転車で走って、「ちゃんと走ろう!」と「もっと自転車レーンを!」をアピール。自転車空間の集合解散は、中之島公会堂前の広場です。聞くところによると、今年、この場所でのイベントは、この「御堂筋サイクルピクニック」だけ、だそうです。ご安全に!

by 塚村真美

第15回 御堂筋サイクルピクニック
2020年9月22日(火・祝)10:00~12:30 雨天決行
場所=集合・解散/大阪・中之島公園
中央公会堂ななめ前の広場(京阪中之島線なにわ橋駅周辺)
参加費=アピール走行協力金500円~
参加賞=全員にスポーツ用の青色マスク
定員100人/要申込
ママチャリでもロードバイクでもミニベロでも、どんな自転車でも参加可能です。
https://cyclepicnic.wordpress.com/event/
主催:自転車文化タウンづくりの会
企画・運営:御堂筋サイクルピクニッククラブ
協力:イベントリスク教育委員会、東リ株式会社
ヨーロッパモビリティウィーク&カーフリーデー参加イベント