ムクゲの花が咲いているのは、大和文華館の庭です。
ブルーじゃなくてレッドな気持ちになったら、ティファニーに行くと落ち着く、というのはホリー・ゴライトリーですが、レッドとまではいかなくても、くしゃくしゃするような気分の時は、すっとするような場所にでかけたくなります。
大和文華館はそのような所。近鉄が1960年に創設した美術館で、奈良市学園前の閑静な住宅街にあります。閑静な住宅といっても見上げるような大邸宅ばかり、道にややこしいものがはみ出ていないので目にも静かです。
駐車場に車をとめてチケットを買って門をくぐり、弧を描くゆるやかな傾斜の坂道をあがっていきます。だいたいこの時点で落ち着いてきて、美術館の建物が目に入ると一段落。一息ついて進み、中に入っていきます。エントランス、竹の庭、池をのぞむテラスもよいです。よいですが、美術館ですから、館だけではなく、美術がよくないと、です。
大和文華館で一等好きなのが「笠置曼荼羅」。開館60周年の記念展に笠置曼荼羅が出ていたので、最終日に駆け込みました。
笠置曼荼羅がなんで好きなのか。それはまず笠置寺が大好きだから。なんで笠置寺が好きなのか、それはハイキング気分で巨石と遊べるから。笠置寺は、奈良市の北、京都府の最南端、笠置町の笠置山にあります。修行の場だった時代の石が、胎内くぐり、ゆるぎ石、平等石、太鼓石と名づけられ、山に点在しています。
過去にはものすごくメジャーだったのに、いまはあまり知られていないというのも好きなところ。奈良時代には東大寺の良弁、実忠といった高僧との関わりも深く、平安時代は貴族に人気で、清少納言も枕草子に「寺は壺坂、笠置、法輪」と書いているくらい。また鎌倉には興福寺から貞慶が入って最盛期を迎えます。そして1331年、元弘の乱。後醍醐天皇が足助次郎重範や楠正成とともに、鎌倉幕府軍と壮絶な戦いを繰り広げた場所なのです。
なぜ、廃れたのか。それは元弘の乱で、全山が焼亡してしまったからです。この時に、笠置寺のメインの仏さまだった、高さ15メートルの巨石に線刻され彩色をほどこされた弥勒磨崖仏が、焼けて、消えてしまったのです。
バーミアンの磨崖仏が破壊されて後背部分が残っていますが、笠置の弥勒磨崖仏もそのずっと前からぼんやりと後背の姿だけをとどめています。石の前に立つと、仏さまが描かれていた跡はまったく分からず、ただ、大きな岩肌に圧倒されるばかりです。
いまはもう消えてしまって、ない、それも好きなところです。
そして「笠置曼荼羅」はその、いまはもう見ることができない、弥勒磨崖仏のお姿をとても美しく描いているのです。こんな大きくて素晴らしい弥勒さんがあれば、そりゃもう、ものすごい人気を博したことでしょう。
「笠置曼荼羅」が好きなのは、消えてしまった姿を写しているから。そのほかには、論争を巻き起こしてきたから、というのもあります。
「笠置曼荼羅」は昭和の初めに、それまでは「多武峰曼荼羅」とされていたのが笠置寺を描いたものだということがわかり、国宝に指定されました。が、いやあれは焼失してから昔の面影を描いたものだという意見が出され、そんなことはないと館長が熱く反論したり、その後も昭和の名だたる美術史の先生方が論文を発表され、いまは重要文化財で制作年は「鎌倉時代」とざっくりしています。
レポートは、1982年に発表の中島博先生の「笠置曼荼羅の性格」というのが、すっと腑に落ちました。
すっとしたというものの、「笠置曼荼羅」はまだもやもやしています。そのもやもやこそがずっと引っかかっているところで、そこがまた大好きなところでもあるのですが、私にはどうしてもこの絵の「磨崖仏」が「書き割り」に見えてしょうがないのです。
だから、本物の絵を見にいったわけですが、やっぱり書き割りに見える。巨石の前に板の須弥壇があって、その板とつながって見えるからもしれません。しかも、この線刻のつまり二次元の弥勒さまは浮かんでみえる。とくに裳裾と足、足を置いた蓮華。二次元なのに三次元表現となっている。
中島先生もこの部分について言及され「その一部が岩面から突出した状態に描かれている」と書かれています。
書き割りだったどうかは別にしても、この磨崖仏は、その下に近づくと、弥勒さまが空中に浮かんで見える「トリックアート」ではなかったのか、というのが、私の仮説なのですが。いや、なんの証拠もありませんが。少なくとも、「笠置曼荼羅」はそうなっています。私にはそう見えます。
by 塚村真美
*参考
大和文華館https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/
「絹本著色笠置曼荼羅図」国指定文化財等データベースhttps://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/1646
足立康『日本彫刻史の研究』「三五 笠置寺彌勒像と笠置曼荼羅」昭和19年(昭和14年「建築史」一ノ一所収)国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1068835/168
西村貞『奈良の石仏』「南山城笠置寺の磨崖仏」昭和18年 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1068854
中島博「笠置曼荼羅の性格」文化財学報.1集,(1982.03),p.44-53 奈良大学リポジトリhttp://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/AN0000711X-19820300-1005.pdf?file_id=2163
笠置寺資料集「一般文献」http://kasagidera.la.coocan.jp/
に下記ほかいろいろ掲載されています。
矢代幸雄「歎美抄」昭和26年「大和文華2号」所収
堀池春峰「笠置寺と笠置曼荼羅についての一試論」