京都ddd ギャラリーで「ヘルムート シュミット タイポグラフィ:トライ トライ トライ」が開かれている。2018年、シュミット氏が急(!)に亡くなってから、初の大規模回顧展である。

タイポグラフィの展覧会に行って、泣く、とは。目がじわっとして、鼻がぐすっとなった。

いきなり、「あいさつ」で泣かされた。たいていあいさつなどすっ飛ばして、立ち止まって読むこともあまりないけれど、心あるあいさつだった。あいさつ文の中にあったシュミット氏の手紙の文。シュミット氏の気持ちと、手紙を受け取った展示企画者の思いが伝わる。

涙目になりながら、全体の展示構成を確認する。時系列に並んでいること、そして大きく二つに分けられていること。その二つとは「クライアントワーク」と「プライベートワーク」。プライベートのデザインって何? デザインって頼まれてする仕事じゃないのか、と不思議に思いながら、最初の展示に進む。涙はピタッと止まる。なんだ?この写真? 展示のスタートは一枚の写真。それはシュミット氏が子どもの頃、のど自慢大会に出場した時の写真だった。

ええっと??? ヘルムート・シュミット氏は歌手ではない。タイポグラファーで、グラフィックデザイナー。一番有名なのは、1980年のポカリスエット。細いスチール缶にブルーと白の言わずと知れたデザインである。わたしは2018年の映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』の中に、この缶が登場するのを目にしたが、まさにポカリ缶は一服の清涼剤であった。シュミット氏の仕事は大塚製薬のほかに、資生堂のエリクシールとか、イプサとかマキアージュとかいろいろ。

展示を読み進めるとわかっていくが、音楽好きなことがデザインと関わっている。それで、最初にあの写真を置いたのか、と後で納得するわけだが、それがわかるまで、進まない進まない、1960年代から足がなかなか前に進まない。眼鏡をかけたりはずしたり、はずしたりかけたりして、「いったい何やってるの、シュミットさん!」と心の中で叫びながら、ひらめきのもとに緻密な作業を積みに積み重ねたタイポグラフィの実験(?)の数えきれない痕跡の数々を、目で追っていくことになる。

シュミット氏は、1942年オーストリアで生まれ、西ドイツで植字工見習いを終了後、スイスのAGS(バーゼル工芸学校)で、モダンタイポグラフィの巨匠、エミール・ルーダーのもとで学んだ。プロフィールに「バーゼル、西ベルリン、ストックホルム、モントリオール、バンクーバー、大阪、デュッセルドルフで働いた後、1977年から大阪在住」とあった。大阪にいらっしゃったので、お見かけすることも何度かあったし、シュミット氏が住んでいるということで、大阪も捨てたものではないと思っていた。しかし、この展覧会を見て、シュミット氏のことを何にも知らなかったことを思い知らされる。

たとえば、黛敏郎の「涅槃交響曲」のレコードジャケットのデザイン。これは以前の展覧会でも見たことがあり、また氏の娘、ニコール・シュミットさんが参加する「phono/graph」というグループの展示で、ニコールさんが作品のモチーフに使っているのも見て、てっきり黛敏郎のレコードはシュミット氏のデザインによるものと思っていたが、違った。プライベートワークだった。

「経文を写植で平体をかけて組んで、凸版として起こして、そのブロックを平台の校正機で刷る時に、インククリーナーをかけてみたり、印刷スピードを変えてみたりして、さまざまな表情を生む実験をしています。曲中のお坊さんの声明のような声の重なりとかゆらぎとか、そのようなものをタイポグラフィで表す試みとなっています」と、ニコールさんは、展覧会紹介動画(公益財団法人DNP文化振興財団 YouTube)の中で語っている。

展示されていた、そのブロックに頭を殴られたような思いがした。

すべてを見るのに時間がかかるだろうと思い、2時間半あれば大丈夫と踏んだが、最後のコーナーは通り過ぎながら斜めに見ることになってしまった。急ぎながらも、展覧会タイトルの「try try try」が掲げられたボードの前で、足が止まった。やられた!ニコールさんの言葉にまた泣かされた。まったくその通り、try try try だ、これは。シュミット氏のタイポグラフィの道は、ずっとtry try try の連続だったんだ。

帰りに展覧会図録を買おうと思ったが、なかった。きっと、少し時間をかけて、きちんとしたものを作るのだろうと思いつつ、シュミット氏の自主制作(自主制作!)の冊子シリーズ『typographic reflections』が並んでいたので、その7黛敏郎の涅槃交響曲の号(2010年)を買って帰った。帰って、頁をめくると、黛敏郎へのインタビューが載っていた。1969年にシュミット氏がインタビューしたものだ。それを40年経って文字に起こしている。その内容、氏の音楽理解と造詣の深さに舌を巻いた。しかも落ちまでついている!

この号の表紙に「composed on the hand press and」とあり、P.18にシュミット氏の同名のエッセイが載っている。日本語訳は「活版印刷機で作曲する そして」とある。その活版印刷機は、手動の平台校正機だ。作曲するだって!氏のタイポグラフィは音楽! と、展覧会場で最初に見た写真、歌が好きなヘルムート少年のかわいい笑顔を思い出した。

by 塚村真美

京都dddギャラリー
第228回企画展
ヘルムート シュミット タイポグラフィ:トライ トライ トライ
2021年4月3日(土)—7月10日(土)
詳しくはこちら

(チラシのデザインはニコール・シュミットによる)