法隆寺の夢殿のご本尊、救世観音像が開帳されているので、ちょっと行ってきました。閉門前だったらすいてるかな?と思ったらやっぱりすいていて、差しむかいで拝むことができました。この像は、聖徳太子の現し身像とか等身像とかといわれています。現し身であるとすれば、聖徳太子さまと差しむかい、な気分になれます。ところが、そうでもない。それはあまりに金ぴかすぎるからです。(お顔はこちらから/産経フォト 聖徳太子の笑み 没後1400年、法隆寺で特別開扉 2021.4.1 12:11)

聖徳太子といえば、山岸凉子先生の「日出処の天子」の厩戸王子を思い浮かべる方も多いと思いますが、あのようなすっきりした面立ちではなく、お像の顔は肉厚。人間でいえば、ちょうど松山英樹くらいです。高さは約179㎝、松山英樹の身長は181㎝なので、ちょっと低いですが、まあまあ近い。等身だけではなく、現し身としたら、そしてそれが金ぴかじゃなかったら、太子はけっこう濃いお顔ということになります。

それがまあ金色に輝いていらっしゃるわけです。南向きに立っておられるので、お昼ごろだともっとぴかぴかだったかと少し残念に思いながらも、間接的な西日を浴びてじゅうぶんに金ぴかです。木彫なのに、「金銅仏と見まがうような輝き」と法隆寺のHPは解説しています。蓮台もそして宝珠を持つ指まですべて樟の一木で彫り出され、漆箔が施されています。

金色が美しく輝いているのはきっと自然光で見ているからでしょう。博物館や美術館ではなかなか自然光が入るようになっていないので、照明で見ることになります。なかなか金箔を太陽光で見ることはないからな、と思いましたが、そんなことはありません。金色に輝く金閣寺も漆箔が施されてぴかぴかなのでした。

金閣寺は昭和62年に張り替えられているけれど、1400年前の太子の没後まもなく制作されたといわれる木像がなぜ金ぴかなのか。それは、長い間、平安時代から明治17年までずっと秘仏として白い木綿でぐるぐる巻きにされていたからです。そしてこれは有名な話ですが、その秘仏を白日のもとに曝したのは、アーネスト・フェノロサと岡倉天心でした。その後、春と秋に特別開扉が行われ、一般人も拝むことができるようになりました。

2020年の春の特別開扉は中止となりましたが、秋とこの春は開催されています。この日、本当はもう少し早く着いて、大講堂とか五重塔とか、大宝蔵院とかいろいろ見ようかな、と思っていたら、ぐずぐずしていたのと、日曜で道が混んでいたのとで、到着が4時をまわってしまいました。

南大門から入ったのですが、入口に大人1,500円とあり、1,500円分見れるかな、どうかな?と思いつつ、受付へ。すると「1,200円です」と言われたので、「?」って顔になったのでしょう。「もう時間がないので、夢殿までご覧いただけませんから」とのこと。「あ、夢殿が。そうですか」と残念な顔をしたのでしょう。「ああ、夢殿だけご覧になりますか?夢殿だけだったら300円です」。(300円!)「ああ、じゃあ夢殿だけにします」。1,200円で百済観音と玉虫厨子そのほかをとるか、300円で夢殿の救世観音をとるか、一瞬でいろいろ考えたというよりは、300円という響きに負けたような気がします。

それにしても、なぜ秘仏にしたのですかね。太子信仰の核は、聖徳太子=救世観音の化身です。太子が造営した斑鳩宮の跡に建てられた八角円堂は、まさに本場の聖地。しかも本尊が、聖徳太子の現し身だか等身だかの救世観音なのだから、その主役になれる像なのに、隠しておくとは。ひょっとしたら、中世の太子信仰をひろめていくにあたり、この像では、あまりに金ぴかで、濃いアルカイックスマイルだったからかもしれない。と想像しました。つまりこれでは受けない。

中世の太子信仰では、合掌するかわいい二歳像(こちらは宇治平等院の二歳像/2歳で「南無仏」と唱えた聖徳太子…没後1400年目で初公開2021/04/07 06:37)とか、柄香炉を手にした賢そうな孝養像(奈良元興寺の孝養像はこちら)とか、笏を持つ頼れる摂政像(国宝聖徳太子坐像はこちら/奈良国立博物館「聖徳太子と法隆寺」展)といった、人間的で親しみのある仏像や、如意輪観音像でもって太子信仰をひろめていくわけです。そんな時、本場の中核となる像が、こんな金ぴかのアルカイックスマイルでは方向性が違いすぎる、封印しよう、と、なったのかもしれない。これはあくまでわたしの仮説というか想像というかです。

by 塚村真美

「夢殿本尊救世観音像特別開扉」4月1日(木)~5月18日(火)(*例年は4月11日から)