「茶の湯」展で「上杉瓢箪」と青磁の顔回に会う

by 丸黄うりほ

①京都国立博物館で開催中の「茶の湯」展

②フォトジェニックな明治古都館(旧本館)

③展覧会場はこちら!ひょうたんに会えるかな?

京都国立博物館で開催中の「茶の湯」展に行ってきました。茶の湯といえば、何かひょうたん物件が見つかるのではないかと思ったのです。

たとえば、本物のひょうたんでできた柄杓や茶碗が展示されているかも?空也僧はひょうたんを叩きながら茶筅を売り歩いたというし、それに関連のあるものが見つかるかも?今回の展覧会の目玉の一つとして広報されている千利休と豊臣秀吉の茶室にも、ひょうたんが飾られているかもしれない……。

紅葉シーズンの京都は結構な人出で、博物館も大変混んでいました。写真映えする旧本館は正しくは明治古都館というそうで、現在展示会が行われているのは平成知新館という名だそうです。その3階へエレベーターで上がり、降りながら観ていく順路になっています。

すると!いきなり序章「茶の湯へのいざない」で、優美なひょうたん型をした青磁の瓶に出会うことができました。作品名は、《青磁貼花牡丹唐草文瓢瓶 銘顔回》とあります。

顔回といえば、孔子の弟子で大変な秀才であったといわれている人物。清貧な人柄でも知られ、「一箪の食、一瓢の飲」、つまり一杯のご飯とひょうたんの水だけで生きていた。その故事が日本に伝わって、「瓢箪」という言葉が日本語になったといわれています。

作品自体は蓮華唐草が全体にあしらわれた見事なもので、清貧とは程遠い感じでした。中国で13世紀か14世紀ごろに作られ、桃山時代に日本に輸入されて掛花入として使用されていたもののようです。この展覧会は写真撮影が禁止されていたのですが、「銘顔回」は博物館のウェブサイトで写真が公表されていますので、どうぞリンクをご覧ください。(京都国立博物館公式サイト《青磁貼花牡丹唐草文瓢瓶 銘顔回》の写真はこちら

展覧会は、もともと中国から伝わった茶を飲む習慣が、時代を経て日本文化となっていく様子を絵巻や草紙、茶器などを通して伝えていく内容でした。

第4章の「わび茶の発展と天下人」のコーナーでは、千利休の「わびの茶室」と秀吉の「黄金の茶室」の複製・復元も展示されていました。

千利休の茶室は素敵でしたが、まあよくある感じ。それに比べて秀吉の「黄金の茶室」は、現代アートのインスタレーションのようでした。茶室全体が金色と赤色でできていて、豪華というより奇抜。森村泰昌さんとか横尾忠則さんが中に座ってらしたらめちゃくちゃ似合いそう。

で、私はその中にひょうたんが掛けてあったりしないかなと思って目を凝らしたのですが、残念ながらなかったです。しかし……、そのコーナーの最後の方で、二つ目のひょうたんに会うことができました!

それは《唐物瓢箪茶入》。通称「上杉瓢箪」と呼ばれ、室町時代に中国から伝来した陶製の茶入でした。

ひょうたん型の茶入のなかで特に有名な「天下六瓢箪」のうちの筆頭に挙げられるほどの銘品で、もともとは足利義政が入手したものなのだとか。

それが、さまざまな茶人の手を経て大内義隆の手に渡り、「大内瓢箪」と呼ばれるようになり、さらにすったもんだあって大友宗麟の「大友瓢箪」に。さらに九州で勝った豊臣秀吉のものになり、上杉景勝に下賜されて、これ以降は「上杉瓢箪」と呼ばれるようになったのだそうです。

その後もこの茶入は徳川家や前田家に渡り、現在は野村美術館の所蔵品だそうですが、まあすごい。ときには人命の交換物ともなった「上杉瓢箪」を題材に小説が書けそうなくらいのドラマが背景にあったらしいのです。

確かに美しいひょうたん型、釉薬の色も渋くてかっこいいですが、ヒョータニストの私でさえも「そこまでするか?」という感じ。戦国武将にとって茶道具はものすごいステータスシンボルだったのですね。

結局、展覧会の最後まで見ても本物のひょうたんでできた茶入や柄杓は出てきませんでした。空也僧についてもかすりもしませんでした。

というわけで、当初の予想ははずれましたが、すごいひょうたんに会えたのですべて良し。

京都国立博物館「茶の湯」展は12月4日(日)まで開催されています。

詳しくは、展覧会公式サイトへ

(880日目∞ 11月29日)