もう一人の自分が「ホントにそれでいいのか?」 と

by 奥田亮

桐箱のフタを切ってブリッジにします

こんな感じになりました。

10月末頃から、志賀高原が冠雪した、とのニュースが聞こえ始め、11月も半ばを過ぎると、遠くの山の多く白くなってきました。スキー場ではそれはうれしいニュースになりますが、まもなく前期高齢者の仲間入りというじいさんには、ああ、雪かきのシーズン到来という必ずしも嬉しくないニュースに聞こえます。そして、雪かきシーズンの前に必ずやってくるのは、落ち葉掃き。特にうちの前には美術館の庭が広がっていて、毎日たっぷり落ち葉を降り積もらせてくれています。その代わり、いつも美しい紅葉の景色を借景として楽しませていただいているので、文句も言えないのですが、毎日掃いても翌朝には昨日の掃除はなんだったのか、と思いたくなるほど、また置いていってくれます。たまった落ち葉は、うまく処理すれば良質の腐葉土や堆肥になるはずなので、今年はなんとか菜園の片隅に堆肥場を作ろうと思います。

さて、改造した《べんべん》、その後も気に入って毎日弾いていますが、やはりどうも音の響きがキンキンしていて、それはそれで悪くはないのですが、高音の(細い)弦と、低音の(太い)弦の響き方が違っているのが気になっていました。高音弦の響きが良すぎるのでした。原因は、弦の響きをタンバリンの皮に伝えるブリッジを、固くて密度の高い紫檀で作っているからだということはわかっていたので、別の素材で作り直すつもりにしていました。ちょうど手近で目についたのは、花器が入っていた桐箱。桐材は軽くて柔らかく、スカスカしているので、紫檀とは真逆な性質の材ともいえます。これは面白いかもしれない。

さっそく作ってみました。柔らかくて切ったり削ったりも簡単です。弾いてみると予想どおり、ボンボンと軽くて少し音の伸びが悪い感じ。細い弦と太い弦の響きの差が少し減ったように思いました。なんとなくちょっと食い足りないような音にはなりましたが、ちょっとしばらくこの音で鳴らして(慣らして)みようと思います。

さて、先々週からご報告していた《べんべん》の改造も、ようやく一段落となったのですが、そんなタイミングでInstagramに「ん、ん?」と気になるアカウントが現れました、というか見つけたのですが。でれろん暮らし123号でご紹介したRhiannon Giddens(リアノン・ギデンズ)が弾いていたひょうたんバンジョーばかりを紹介しているアカウントです(https://www.instagram.com/menziesinstruments/)。

で、たどっていくとジャマイカにある、この楽器のメーカーかなにかのサイトがありました(https://www.jeffmenziesinstruments.com/gourd-banjos1)。初めて知った楽器を専門に作るメーカーがあることに軽い衝撃を受けましたが、見れば3弦+1弦の4弦のものもあります。いやー、ビックリです。インスタを見つけたのは偶然かなと思っていたのですが、どうもAIか何かに見張られているのではないかと思ったりもします。ちょっと怖いですね。

Instagramをたどっていくと、さらに衝撃的な動画が現れました。Opening and cleaning a West Indian calabashと題された動画は、楽器制作の工程として、たぶん西インド諸島の球形のひょうたんをくり抜いている様子を撮ったもの。なんとその動画では、生のひょうたんを半分に切り、中身を工具と手できれいに取り出していたのです。

 

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そうなんです。ひょうたんを切って楽器にするのであれば、瓢道の最も厳しい修行である水浸けの工程をすっ飛ばしてもいいのではないか、ということなんです。切って中身を取り出し、きれいに洗って干せば、あの瓢臭を嗅がなくてもいいではありませんか!

どこにも穴を開けず、ひょうたんの形を愛でるのであれば、水浸けして中身を出す必要がありますが、そうでなければ、生のうちに中身を取り出してしまえばいいのですよ。ああ、なんということでしょう。でも、もう一人の自分が「ホントにそれでいいのか?」 と思っていたりもします。なんでそう思うんでしょう。苦しいことを経なければ、何か達成感がないと思っているのでしょうか。なんだか複雑な気持ちです。う〜ん…でれろん。

(875日目∞ 11月21日)