正岡子規『仰臥漫録』原本は芦屋に

by 丸黄うりほ

①芦屋市にある虚子記念文学館

②正岡子規『仰臥漫録』図録

③『仰臥漫録』病室前の糸瓜棚(絵葉書)

④仰臥漫録一筆箋と絵葉書、不折画渡仏記念一筆箋と絵葉書

⑤この四角い人が瓢亭さん!

 先週(9月2日)の「ひょうたん日記」で、明治の俳人・正岡子規の『仰臥漫録』が、ヘチマ、ユウガオ、ひょうたんの句と絵が満載の、意外なほどのひょうたん本だったことをお伝えしました。

その後さらに調べてみると、『仰臥漫録』の原本が、芦屋市の虚子記念文学館にあるということが判明。芦屋市なら行ける!というわけで早速でかけてきました。

虚子記念文学館は、その名の通り俳人の高浜虚子に関する資料の保存を行なっている文学館で、阪神芦屋駅から南へ歩いた閑静な住宅街のなかにありました(写真①)。

少し道に迷ってしまい、汗びっしょりでたどり着いた私は、受付の方にまず尋ねてみました。

「あの、こちらに正岡子規の『仰臥漫録』があると聞いてきたのですが」

「はい。ありますが、展示室には出してないんです。出すのは9月19日だけです」

「9月19日。子規が亡くなった日、糸瓜忌……ですね」

そうなのか。きょうは見られないのか……せっかく来たのに、残念だな……ともじもじしていたら、ちょうど居合わせた学芸員さんが声をかけてくださいました。

「見たいですか?」

「はいっ!見たいです!」

私は即答しました。

すると、学芸員さんが特別に出して見せてくださるとのこと……!

常設展示を見せていただきながら待っていたら、学芸員さんが「準備できました。どうぞ」と声をかけてくださいました。

本が壁一面につまった資料室の机の上に、薄紙に包まれてその本は置かれていました。岩波文庫で見た子規の筆跡で、表紙に『仰臥漫録』と書かれた冊子が二冊。そう、この作品は一部と二部に分かれているのです。サイズは思っていたよりもずっと大きく、だいたいA4ほどで、厚みもそれぞれ2センチくらいありました。

目の前に、あの『仰臥漫録』の原本がある。

それだけでも心臓がどきどきしましたが、なんとこの本をめくって見てもよいと許可をいただいたのです。私は少しためらいつつも、遠慮なく、心踊らせながらページをめくらせていただきました。

『仰臥漫録』が書かれている紙はとてもしっかりとしていて、年月がたっているのに少しも劣化していませんでした。学芸員さんによると、もともとこの質の良い半紙をとじた冊子をもらったので、子規は何か書いてみようと思ったらしいのです。病床で仰向けになって書いたとは思えないほど毛筆の字は美しく、描画はいきいきとしています。

なかでも驚いたのが、実物大のユウガオの絵でした。青磁のような緑色で描いたそれは、絵の具の濃淡で大変立体的に見えて、少し歪な形もおそらく実物そのままであろうということがはっきりと感じられるものでした。

このような絵は、対象に愛情がないと絶対に描けません。子規は、病床にある自分の目を楽しませ、和ませてくれる、ユウガオやヘチマやカボチャやひょうたんを、愛していた。その面白い形がものすごく好きだったと私は確信しました。

美しい発色は、子規の家の向かいに住んでいた、画家の中村不折からもらった絵の具によるものだということも学芸員さんが教えてくださいました。良い紙に、良い絵の具を使って描いたので、100年以上たった今も色あせていないのです。

ページをめくりながら、私はいろいろなことを思い、学芸員さんとたくさん話しました。もともとこの本は人に見せようと思って書かれたものではないので、辛いことも、不満や不足も書いてあります。きょうは何を食べた、誰が家に来た、というようなメモ書きの面もあります。

学芸員さんはおっしゃいました。「それでも、これを読むと、本当に子規は優しい人だったのだとわかります。食べたものの記述が多いのは、病床にいる自分にそういうものを食べさせてくれたお母さんや妹さんへの感謝、お礼、心遣いの意味もあるのです」

100年以上も前の人なのに、残された筆跡には、ついこのあいだまで生きていた人のような存在感がありました。

『仰臥漫録』の原本が虚子記念文学館にあるのは、正岡子規と高浜虚子がどちらも松山出身であり、年齢も7歳しか違わず、その子孫同士の交流もあってということでした。

私はミュージアムショップで、『仰臥漫録』の図録と、4枚組の絵葉書セットと、ヘチマの一筆箋を買いました。それから、子規に絵の具をプレゼントしてくれた画家の中村不折が渡仏する前、見送りに集まってくれた仲間をささっと描いたという似顔絵の絵葉書と一筆箋も買いました。(写真②③④)

その仲間にはもちろん高浜虚子も、中村不折本人もいます。そして『仰臥漫録』に何度か出てきた「瓢」の字のつく人物、瓢亭さんもいました。(写真⑤)

残念ながら、この時期には子規は死の直前で集いには参加できず、似顔絵を描いてもらうこともできなかったのだそうです。

(828日目∞ 9月9日)

※次回829日目は奥田亮「でれろん暮らし」、9月12日(月)にアップ。

830日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、9月13日(火)にアップします。