「比左」は「瓠」?

by 奥田亮

ハワイのIPUに雪は似合わないですね。

立春を過ぎて日差しが少し春めいてきた気がします。雪の解け方が変わってきました。夜中に積もった雪も、昼近くには解け始めます。もうこのまま春になるのかなと油断していましたが、いやいや、そうはいきません。雪の本番はいつもこれからです。

さて、先週は南洋に渡ったひょうたんを考察しました。南洋に人類とひょうたんが渡ったのはユーラシア大陸からなのか、アメリカ大陸からなのか。たぶん時期は違えど、どちらからも来ていたんだと思いますが、先週の原稿を送付した直後に読んだ『1万年の旅路』(86でご紹介)に、バッチリそのあたりに関係することが出てきました。あまりにもタイムリーだったのでビックリ。この本の主人公「歩く民」がベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸を南下し、西海岸に至ったところで、舟で南下してきた別の集団に出会います。そこで彼らから聞いた物語にそのことが語られているのです。

この〈大いなる島〉(アメリカ大陸のこと)に到着し、その岸辺にそって南へ進み、そこからふたたび大海に出て、あまり大きくない島々にたどり着くという物語で、最後の島々を彼らは「ハヴァイケー」と呼ぶ。

(ポーラ・アンダーウッド著, 星川淳訳『1万年の旅路』翔泳社/p.165)

「ハヴァイケー」という名前が「ハワイ」と関連があるということは容易に想像がつきます。注釈によると、考古学的な研究とは時間的な矛盾があるようなのですが、そこにも諸説あってあながちおかしな話でもなさそうです。

さてさて、せっかくなのでハワイつながりで話をグイッと楽器の方に寄せていきます。ハワイのひょうたんIPUは打楽器ですが、打楽器としてのひょうたんが、実は日本にもあったかも知れないと思いたくなる史料をご紹介します。教えてくれたのは、先週も登場していただいたMさん。出典はいずれも、古語辞典『字訓』(白川静著)【ひさご】の欄より。

「豊竈(とよへつひ) 御遊びすらも ひさかたの天の河原に 比左(瓠)の聲する 比左(瓠)の聲する」

(神楽歌、竈殿遊歌)

竈(かまど)の神様をお祭りする御神事に、天にひょうたんの音が響く、という意味に取れます。もうひとつ。

「析釧(さこくしろ) 五十鈴(いすず)の宮に御饌(みけ)立つと 打つなる比左(瓠)は宮もとどろに」

(皇太神宮儀式帳、直会(なおらい)御歌)

伊勢神宮の直会歌ということは、宴会で歌われる歌ということでしょうか。打つなる瓠、つまりひょうたんを打った音が神宮に響き渡ると解することができます。

もしこれが本当にひょうたんの打楽器だったとしたら、日本には古代からひょうたん楽器があったことになります。そして、その楽器を携えてハワイに渡った人が人がいた。それが、IPUの始まり。なんていう歴史ロマンを思い描きたくもなります。あるいは、鼓のように皮を張った太鼓だったと考えるのも一興です。確かに鼓は真ん中がくびれていてひょうたんとの関連を疑いたくなりますが、実際ひょうたんでできた両面太鼓は見たことがない。どこかにあるのかな。作れなくもなさそうですが、強度的に無理があるのかな。作ってみようかな。

もっとも、白川静はこの万葉仮名の「比左」を「瓠」と解していますが、ネットで調べた範囲ですが「比左」を「膝」と読んで、歌に合わせて膝を打つという意味と解する説もあるようです。う〜ん、でも膝を打つ音が宮もとどろに響く、というのも、ちょっと無理があるような気がしないでもないですが。

あ、今回で88回! ひょうたん的には大吉のキリ番! でれろん。

(690日目 ∞ 2月7日)

  • 奥田亮 ∞ 1958年大阪生まれ。中学生の頃ビートルズ経由でインド音楽に触れ、民族音楽、即興演奏に開眼。その後会社に勤めながら、いくつのかバンドやユニットに参加して音楽活動を続ける。1993年頃ひょうたんを栽培し楽器を作って演奏を始め、1997年「ひょうたんオーケストラプロジェクト」結成、断続的に活動。2009年金沢21世紀美術館「愛についての100の物語」展に「栽培から始める音楽」出展。2012年長野県小布施町に移住し、デザイン業の傍ら古本屋スワロー亭を営む。2019年還暦記念にCD『とちうで、ちょっと』を自主制作上梓。