ハワイに渡った人とひょうたん
by 奥田亮
大寒を過ぎたからでしょうか、この1週間は比較的穏やかで、道の雪も大分解けてけてきました。南北に通じる道は比較的早く解けますが、東西の道はなかなか解けません。さらに、東西の道の南側の歩道は、建物の影になって陽が当たらず、いつまでも解けない上に、固まって氷になってしまいます。スワロー亭はちょうどその条件下にあるので、店の前の道はツルツル。滑り止めにむしろを敷いています。
いたるところ凍っているので、滑らないように歩くにはテクニックが必要です。雪道の滑らない歩き方には二つあって、一つは軍隊の行進のように地面に対して垂直に足を下ろす方法。もう一つはスケートでもするように、あらかじめ滑りながら歩くという方法。まあどちらでやっても体幹がしっかりしていない年寄りはふらつきます。毎夕の日課の散歩も、日によっては辛い修行です。
さて、先週はアメリカ大陸に渡ったひょうたんのお話でしたが、この投稿を読んで、かつてのひょうたん仲間だったMさんがメールをくれました。Mさんとは大阪で市民農園を借りてひょうたんを育てたり、初期ひょうたんオーケストラプロジェクトを一緒に立ち上げたりと、いろいろ一緒に活動していました。ひょうたんの研究については私など足元にも及びません。「でれろん暮らし」を読んでくれていたとは、うれしいような、恥ずかしいような……。そんなMさんから届いたメールは、こんな内容でした。
ハワイには約千年前に、人類とひょうたんがたどり着きました。五百年後、キャプテンクックたちは、ハワイにいるひょうたんマスクマンを報告しています。
ハワイのペトログリフ石刻絵文字には、ひょうたんマスクマンが残っています。
そうですよね。ひょうたんは太平洋の島々にも渡りました。去年丸黄うりほさん経由でひょうたん好きの人たちにお配りしたハワイのIPUも、源流をたどればアフリカからやってきたはずです。ミクロネシアやポリネシアの島々も、かつてはオーストラリアまで陸続きだったので、南洋の島々にユーラシア大陸から歩いて渡ってきた人類がいたと考えられます。ハワイには1500年前ぐらいから人が住んでいたということですが、その時はすでに今のような島々に分かれていたはずなので、ひょうたんを水筒にして船で渡ったということでしょうか。黒潮に乗っかると、そのままハワイに着くという説もあり、日本列島から船に乗ってやってきた可能性もなくはありません。その後1000年ぐらい前にタヒチの人たちが住み始め、今のハワイ文化が形成されたといわれています。
ただ、これも諸説あって、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸にやってきた人とは別に、舟で海を渡ってきた人たちがおり、その人たちがまたアメリカ大陸からイースター島などに舟で渡ったという説もあります。
キャプテンクックがハワイにやってきたのは約500年前。その時クック船長が見たひょうたんマスクマンとは? ネットで検索すると、画像がでてきました(Wellcome Collectionへ)。また日本語のサイトにも記述がありました。『ハワイの神話と伝説』「豊穣と平和の神ロノ」 。神事の装束のひとつのようですが、骸骨のようでもあり、クラゲのようでもあり、なんだかちょっとかわいいですね。
このサイトを見ると、ハワイの創生神話には、この世界は巨大なひょうたんで、殻についていた果肉から太陽や月ができ、種子が星になったというではありませんか!(「クムホヌア」の神話) イースター島にも、人間がひょうたんの果肉からできた(臭!)という神話があるようです。19世紀になって作られた話なのかもしれませんが、いずれにせよ南洋の島々では、ひょうたんがかなり大きな役割を担っていたということなんですね。これは深掘りすると面白そうです。まあ、するかどうかはわかりませんが。だれかしてくれないかな、でれろん。
(685日目 ∞ 1月31日)