北国街道・木之本②冨田酒造の七本鎗
by 丸黄うりほ
昨日に続き、今日も滋賀県長浜市木之本からお届けします。
福岡と大阪に住むひょうたん好きの二人、中野さんと私が次に向かったのは「冨田酒造」です。「冨田酒造」も北国街道沿いにあり、「山路酒造」と並ぶ古い酒蔵。創業は1534年(天文3年)と伝えられています。
「冨田酒造」の建物も登録有形文化財で、大変立派な店構え。お店に足を踏み入れると、畳敷きにこちらの清酒「七本鎗(槍)」のさまざまな瓶が並んでいました(写真①②)。
よくみると、清酒「七本鎗(槍)」のラベルにはそれぞれ二種類の紋章が印刷されています。一つはその名の通り七本の鎗をデザイン化したもので、お店に飾られたステンドグラスにもありました(写真③)。
そして、もう一つがひょうたんなのです。写真④をご覧ください!真ん中の「冨田酒造」という文字を四隅から囲んでいるのは、豊臣秀吉の馬印として知られる、千成ひょうたんです!
この七本鎗と千成ひょうたんの紋章が、お店のあらゆるところに見つかりました。中野さんと私は大感激。かっこいい前掛け(写真⑤)にも、「酒粕飴」のパッケージにも千成ひょうたん(写真⑥)。「酒粕飴」の袋を裏返すと、ひょうたん型のシールも貼られていて、ますます嬉しくなりました(写真⑦)。
ところで、こちらの銘柄「七本鎗(槍)」とは?また、なぜ豊臣秀吉の馬印・千成ひょうたんの紋章がついているのか?歴史好きの方ならご存知かもしれませんが、少し説明しておきましょうね。
時は1583年(天正11年)。織田信長が本能寺の変で討たれた後、その後継者をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が対立。琵琶湖の北、木之本にある賤ヶ岳で戦いました。合戦は秀吉方の勝利に終わり、その時彼のもとに集結した若武者七人が「賤ヶ岳の七本鎗」と呼ばれるようになったそうです。
「七本鎗」の七人(片桐且元、福島正則、糟屋武則、平野長泰、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治)はその後揃って出世。秀吉自身は天下統一への大きな足がかりを得ました。というわけで、「七本鎗」も「千成ひょうたん」も勝利の印、お祝いの印、縁起のいい印となりました。
私はこの縁起のいいお酒、のちに北大路魯山人にも愛されたという「七本鎗(槍)」の1合2本入りパック(清酒・純米酒)と、「酒粕飴」を買いました。
「七本鎗(槍)」は、やや辛口で、冷やでも熱燗でもおいしく飲めました。「酒粕飴」は、酒粕と砂糖の甘みを生かした、素朴で上品な味。薬袋のようなレトロなパッケージが可愛くて、ちょっとした手土産にも良さそうです。
(682日目∞ 1月26日)