こんな時は暖かい部屋に籠もって読書が一番
by 奥田亮
いやー、ホントに寒いですね。ニュースを見ていると京都でも大雪が降っているとのこと。こちら信州も当然雪です、よく降ります。ここ数年、暖冬が続いていたので、冬らしいといえばそうなのですが、もういいんじゃないの?といいたくなります。雪もさることながら、今年は気温も低くて堪えます。本日1月22日は、最高気温が1°C、最低気温は-12°C。さすがに-10°以下となると、寒いというより痛い。
でも、これくらい冷たいと空気がキーンと音を立てるぐらいに冴えて、雪景色もきれいです。いつかこの「でれろん暮らし」でご紹介したかった「北信五岳」 wikipediaへをご紹介するにはもってこいの季節ではあります。「北信五岳」とは、その名の通りこの辺り「北信地方」の長野盆地から望める5つの山のこと。近くのリンゴ畑から比較的よく見える写真を撮ってきましたのでご覧ください。
写真右から、斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯綱山、「ま、み、く、と、い」と覚えたりします。小布施町内だと、高台にある小布施温泉からだときれいに全部見えます。露天に浸かりながら眺める雪の北信五岳は格別です。うちの家の前からも、飯縄山がきれいに見えます。下の写真は、朝焼けの飯縄山。この山の景色を見るといつも、ああ、ここに住んでいてよかったと思うのです。
さて、先週の「安市」のご紹介から引き続き、北信州の冬をご紹介してまいりましたが、そろそろひょうたん話に戻った方がいいでしょうか。とはいえ、この雪の中、水浸けひょうたんは氷詰めになっていますし、寒くて楽器を作るのはおろか、触る気にもなりません。
こんな時は暖かい部屋に籠もって読書が一番です。そういえば、昨年末の83号で、ひょうたんの由来について考察していましたが、途中になっておりました。アフリカ原産のひょうたんが、人類の移動とともにユーラシア大陸に広がり、さらにはアメリカ大陸に渡ったとされていますが、具体的にどうやってアメリカ大陸にまでやってきたのかということについては、考古学の成果から想像するしかないと思っておりましたが、その記録の一端ともいえる資料があったのです。『1万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史』(ポーラ・アンダーウッド著 星川淳訳 1998年 翔泳社刊)翔泳社へ 。ネイティヴ・アメリカンのイロコイ族の末裔である著者が、代々口承で伝えられてきた壮大な部族の歴史を文字化した本です。
そこには、1万年前にベーリング海峡を渡った一つの部族の歴史が事細かに語られています。A5版で500ページ以上の内容が、すべて口承で伝えられているということに、そんなことありえないんじゃないか、と最初は思いました。著者は、幼少の頃から父親に記憶力を高める訓練をされていて、どんな風に覚えていったのかということが序文などで語られていて、訳者の解説と合わせて、これは本当のことなんだろうなと思いながら読み進めています。
たしかに古事記も元々は口承伝承を編纂したものとされていますし、アイヌの神謡など各地の伝承も歌として語り継がれてきました。文字がないと記録は残せないというのは思い込みで、長い長い伝承も覚える技術と伝える仕組みがあれば、ちゃんと残せるのだと思い至りました。その仕組みは「歌」だったようです。みんなで火を囲んで一族の歴史を歌として何度も暗唱して覚えていくのです。この本の原文も、元はイロコイ族のことばで歌われる歌だったとか。「歌」というものの存在理由がここにあるのかもしれません。
成り立ちの真偽は置くとしても、ベーリング海峡を渡った時のエピソードや風景などの具体的な描写は興味深く、さらにそれ以前の、出アフリカのこととも思われる話が、歌い継がれてきた歌として描かれていたりもします。人類がアフリカ大陸を離れたのは、気候変動により大地が乾燥し、水を求めて移動したということらしいのです。水といえばひょうたんではないか!
残念ながら具体的にひょうたんは出てきませんが、南アメリカにひょうたんが伝播した事実と合わせて、このイロコイ族のような人々がひょうたんとともに移動してきたと考えるのが妥当でしょう。じつはまだ全部読み切れていないので、もしかしてこの先、ひょうたんのことが出てくるかもしれません。カボチャの種を持ち歩いたという話は出てくるので、きっとひょうたんのタネも持ち歩いたに違いありません。
人類とともに移動してきたひょうたんの具体的な足跡がわかれば、ひょうたんへの思いもまた格別になります。でれろん。
(680日目 ∞ 1月24日)