瓢箪山稲荷神社と瓢箪町
by 丸黄うりほ
江戸時代の大坂に、幕府公認の花街「新町遊廓」があったことをご存知でしょうか?
その紋章がひょうたんで、中心部に「瓢箪町」という町があったことも?
江戸の吉原や京都の島原は有名ですが、なぜか大坂の新町についてはそれほど知られていないように思います。現在、「瓢箪町」があったといわれている場所(大阪市西区新町1丁目、2丁目あたり)に行ってみても、そのような雰囲気はまったくありません。井原西鶴や近松門左衛門の作品や、落語の舞台にもなり、江戸期の大坂文化を語る上では重要な場所なのですが、昭和20年の大阪大空襲でほぼ焼けてしまったようです。
先日、調べものをしていると、その「瓢箪町」の人々が東大阪の瓢箪山稲荷神社を厚く信仰していたという説をみつけました。商売をしている人が稲荷を信仰するのはよくあることだと思いますが、わざわざ瓢箪山稲荷神社に参るのは「ひょうたんつながり」ということらしい。
そこで、6月30日に夏越の大祓に参った際に、私はなにか「瓢箪町」に関するものが見つからないかと境内をよくよく探してみました。
すると、「新町 光瓢」と書かれた鳥居と稲荷を見つけたのです!さらに「大阪新町 美津ひさご」と彫られた石もありました。そのどちらにも同じ苗字の人名があります。
神職の方にお話をうかがうと、これらは摂社・末社ではなく信者によって奉納されたものなのだそう。そういえば、境内には同じようなミニ稲荷が新旧含めてたくさんあります。そこに企業や実業家の名前が書かれていることも多い。「いわばマイ稲荷ということですね」とわかりやすく教えてくださいました。
もしかしたら、2月の節分のときに見かけて気になっていた「千成大明神」と書かれた神様(「ひょうたん日記」452日目)も、同じかなと思って尋ねると、「あれは塚です」とのこと。やはり信者が奉納されたもののようです。
今や新町に「瓢箪町」を感じさせるものはほとんど残っていませんが、そこにいた人々の祈りの心は、この神社におられる神様が今も受け止めてくださっているのでしょう。
(547日目∞ 7月2日)
※次回548日目は奥田亮「でれろん暮らし」、7月5日(月)にアップ。
549日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、7月6日(火)にアップします。