ひょうたんな街・長浜(9)曳山博物館とは?
by 丸黄うりほ
前回(10月30日、385日目)の日記から少し間が空いてしまいましたが、きょうから再び「ひょうたんな街・長浜」レポートの続きをお届けします。
ヒョウタン総合研究所・所員のふじっこさんと私の二人が次に向かったのは、「曳山博物館」です。
先週水曜日の日記にも登場した「長浜八幡宮」。その春の祭礼が「長浜曳山祭」です。羽柴(豊臣)秀吉が、八幡宮の建立を提案したと伝えられる源義家の武者行列を再現させたのがはじまりだと言われているそうで、現在はユネスコの無形文化財にも指定されています。お祭りの日には、長浜の町を13に分けた山組ごとに伝わる13基の曳山が、毎年4つごと順番に出場するらしい。そして、この「曳山博物館」では、翌年の祭に出場する実物4基の曳山を展示し、紹介しています。
曳山はそれぞれ高さ6〜9メートルもあり、重さは4.5〜6.2トン。多くは江戸時代に作られたものだそうです。近くからだと首を反り返して見上げる大きさで、それはそれは壮麗なものでした。パンフレットで見るとひょうたんの飾りがついたものもあるようでしたが、この時には気がつきませんでした。大きさに圧倒されて見逃してしまったのかもしれません。できれば来年4月のお祭りの日に再び長浜を訪れて、しっかりとこの目で確認したいと思います。
博物館では、お祭りの日に曳山の上で演じられる子ども歌舞伎の展示や、長浜の町、そして秀吉にまつわる展示物もありました。そのなかには木彫の秀吉坐像も。坐像の前には賽銭箱が置かれ、長浜の人々が本当に彼を神様だと崇めていることがここでもよく伝わってきました。
秀吉の家紋は桐ですが、この坐像にかけられた幕には千成ひょうたんの紋がついていました。そして、その向かい側には馬印のレプリカが。
秀吉といえば千成ひょうたんの馬印。もうこれはこの日記でも何度も書いてきましたね。この博物館に展示された馬印の特筆すべき点は、これがすべて本物のひょうたんで作られていたことです。近づいてみると、一つ一つ形の微妙に違う天然のひょうたんに、金色の塗料が塗られているのがはっきりとわかります。
さらに、びっくりしたのがその馬印を立てかけてある台までひょうたんでできていたことです。脚は2本の長ひょうたん、そこに木の板を2枚横にわたして、床にふれる底の部分にもタテ割りにしたひょうたんが使われていました。こんな目立たないところまで、ひょうたん、ひょうたん……!長浜のひょうたん愛のディープさがよくわかりますよね!
さらに、この「曳山博物館」では、建物そのものにもたくさんのひょうたんモチーフが発見できました。明日は、そのことについて書きます。
(388日目∞ 11月5日)