船場・平野町通の千成ひょうたん

by 丸黄うりほ

▲船場・平野町通の西端にひょうたんモニュメントが!

▲千成ひょうたんは街路灯だった!

▲豊臣秀吉作?いくらなんでもそれは……。

▲御意。ゴミ捨て場になっては困ります。

 

「船場の御霊神社の近く、平野町でひょうたんを見かけたよ!」と聞いたのが4月か5月ごろ。教えてくださったのは、我が家で苗まで育てたひょうたんUFOを引き取り、現在店先で栽培してくださっている船場淡路町・フレイムハウスの美佐子さんです。少し遅くなってしまいましたが、ようやくこの日記で紹介できる日がやってきました。

大阪の中心部に位置する船場界隈は、街が碁盤の目のようになっていて、南北の道が「筋」、東西の道が「通」と呼ばれています。そのなかで、平野町通は大阪城からまっすぐ西へ伸び、船場の中心を貫いています。今はオフィス街というイメージが強いですが、昭和初期は多くの人が買い物を楽しむ商店街だったらしい。「平ブラ」という言葉もあったそうですから、心斎橋の「心ブラ」に匹敵する賑わいだったんでしょうね。

その平野町通の西端、阪神高速1号線の高架下(旧・西横堀川)近くにひょうたんモニュメントはありました!

コンクリートで固定されたモニュメントは銀色をしていて、4方向に4つのカボチャ型、中央にはひょうたん型が集まっています。これはいったい何を現しているのだろう?と見ると、横に説明書きが。

「趣意 此の街路燈の頭は平野町商店街が大阪城の正面に当たる道路なので特別誂えの千成瓢箪を型取った記念すべき作品で、永く保存して置きたい品物です」

ひょうたんモニュメントは、街路灯の頭だった!

あとで調べたのですが、この街路灯が平野町通に設置されたのは昭和4年のこと。街路灯が点けられたために通りは夜になっても明るく照らされて、大変な賑わいだったらしいです。デザインにひょうたんが取り入れられているのは、ここにも書かれているように大阪城、つまり豊臣秀吉の馬印から取られていることは明白ですね。

とはいうものの、その横に立てかけられた筆文字には……。

「ごみを捨てないで下さい。千成瓢箪を型取って記念すべき作品です。(豊臣秀吉作)」

うーん。いくらなんでも秀吉作と言い切るとは大胆な。

しかし、この場所にゴミを捨てる人がいて商店街の方々はきっと手を焼いてらっしゃるのでしょうね。秀吉が愛した、縁起の良いひょうたんの周りにゴミを捨てるとは、本当にけしからんことであります。

みなさんも、船場界隈にお出かけの際は、街を優しく照らしてきたこの千成ひょうたんを一目観に立ち寄ってみてくださいね。

(337日目∞ 8月21日)

 

※次回338日目は奥田亮「でれろん暮らし」、824日(月)にアップ。

339日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、825日(火)にアップします。