大分・ひょうたん祭り(9)ひょうたん祭りを見て思ったこと
by 丸黄うりほ
ひょうたん日記165日目(12月3日)から始まった「大分・ひょうたん祭り」のレポートは今回で終わりです。昨日まではお祭りで見たことを時系列で書いてきたのですが、今日は自分が感じたことを書こうと思います。
ひとことで言うと不思議な祭りでした。このお祭りの紹介文などによく使われている「奇祭」という言葉に偽りはないでしょう。ひょうたんをシンボルとして取り入れている祭りなら他にもあるかもしれませんが、ひょうたんが主役の祭りって世界的に見ても稀有なんじゃないか。
柴山八幡社の立て札には神社と祭りの由緒が書かれていましたが、ひょうたんについては「ひょうたんに清酒をつめて」としか書かれていませんでした。なぜ神様がひょうたんでなければならなかったのかは、祭りを見てもよくわかりません。
でも、ひょうたん様が千歳町の人々に愛されていることはとてもよくわかりました。あのユーモラスな出で立ちは、思わず人を笑顔にします。ひょうたん様の役目をする人は大変だろうけど、普段は尊敬されているはずの村の長老が大わらじと格闘している様子とか、誰にでもお酒を振舞ってくださるとかっていうのは、上下関係がビシッときまった日常にちょっとだけ揺さぶりをかけてくるもの。底にあるのは、まさに祭り本来のスピリット。
また、私は不勉強で、このお祭りに行くまでよく知らなかったのですが、豊後大野はとても興味深い土地なのですね。柴山八幡社の立て札にも出てきた大友氏はキリシタン大名で、隣の竹田市とともにこのあたり一帯は隠れキリシタンの遺跡が多いようです。同時に、作者のわからない磨崖仏などの遺跡も多いのです。平地を流れる大野川がいきなり陥没して滝になった「原尻の滝」など、変わった地形の場所もあって、ひょうたん祭りの帰りに短時間立ち寄っただけなのですが、そこには鳥居が立っていました。
いろいろな宗教、民衆の祈り。それらが習合し、混ざり合って、独特のお祭りや神様が生まれやすいところなのかもしれません。
私は長ひょうたんで作られた、赤い髪のひょうたん様の風貌がキリストっぽいな……と思ったんですけど、みなさんはどう思われたでしょうか?
※次回174日目は12月16日(月)にアップします。