大分・ひょうたん祭り(2)ひょうたん祭りの由緒とは

by 丸黄うりほ

▲ひょうたん祭りが行われる柴山八幡社。

▲神社の隣家。馬も待機しています。

▲ひょうたん様はじめ関係者が酒盛り中!

▲ひょうたん様の大わらじ。

▲世話役さんたちの法被にもひょうたん様。

 

公民館で道を教えてもらい、ひょうたん色のマーチに乗った私たちは正午ごろ、無事に目的地に到着しました。青い空、こんもりとした森の前に立つのは「柴山八幡社」の鳥居です。そろそろ人が集まってきています。地元の人に混じって大きなカメラをぶら下げた報道陣っぽい人もいます。

と、小型トラックがこちらへ向かってきました。なんと、緋色の衣装に、ひょうたんの被り物、大わらじをつけたひょうたん様が、トラックの荷台に乗ってらっしゃいます!トラックは鳥居の隣家の前で止まりました。ひょうたん様は世話役の人たちに抱えられてトラックを降り、縁側で大わらじと被り物をはずしてもらって、家の中へ入っていかれました。

予想外なほどカジュアルなひょうたん様の登場に、私はぽかーん。同行者・中野さんの話では、これからこの家の中で宴会が始まるのだそうです。覗き込むと、お酒とアテが用意され、ひょうたん様の格好をした人を含め数人の男性が楽しげに酒を酌み交わしています。

ひょうたん様の練り歩きはこの後13時からというので、私はその間に柴山八幡社にお参りすることにしました。立て札には神社とひょうたん祭りの由緒についての説明書きがありました。要約すると……。

今から約800年前、鎌倉幕府の時代。豊前豊後の大友家と薩摩の島津家の間で合戦が続き、この地も戦場となり、農民たちは家も稲田も焼かれて失い、路頭に迷った。これを憂えた宇佐八幡の御神霊は、御分霊にこの地を治めさせようと、地元豪族の夢枕に立った。豪族は身を清め、ひょうたんに清酒をつめて神馬を伴ってお出迎えし、流鏑馬や獅子舞を奉納して御分霊をお祀りした。それ以来、戦火も鎮まり平和がよみがえった。

村人たちはこの故事にならい、毎年旧暦霜月に秋の大祭を催した。そのため、この祭りは正しくは「霜月祭」というのだが、主役のひょうたん様にちなんで、「ひょうたん祭り」とよばれるようになった。

……ひょうたん祭りは、村の平和と繁栄を祈るお祭りなのですね。

イチョウの黄色い葉が風に舞い散る境内はとても気持ちよく、手入れもよくされていて、人々の信仰の篤さがうかがえました。