空堀商店街でひょうたん探し[3]端から端まで歩いてみた

by 丸黄うりほ

①谷町筋の西側アーケードで見つけたひょうたんマーク

②空堀商店街の西端、「骨屋町筋」に面したアーケード

③ここにも同じひょうたんマークがありました!

④さらにその足元には、六ひょうたんを描いた道しるべが!

⑤「御祓筋」の道しるべ。ひょうたんはなし

⑥「善安筋」の道しるべ

⑦ポストの横に、豊臣秀吉の千成ひょうたんが!

⑧「五十軒筋」の道しるべ

⑨「五十軒筋」は「旧熊野街道」でもある

 昨日の続きです。「宇治茶園」のご主人は、私にアーケードのひょうたんマークについても教えてくださいました。そう、「ひょうたんグルメ班」で前日訪れた時に気がついた写真①です(「ひょうたん日記」2025年3月19日)。

あれは、「空堀のKとひょうたんを組み合わせたデザイン」で、一般公募で選ばれたのだとか。

私は、それを聞いて「空堀商店街をもっとよく探せば、他にもひょうたん物件が見つかるかもしれない」と思いました。

写真①は、東西に伸びる空堀商店街のちょうど中間あたり、谷町筋に面した西側入口で見つけたので、私はまず反対側の、松屋町筋方面のアーケードを確認するべく、さらに西に足を運んでみました。

するとやはりこちら側のアーケードにも同じひょうたんマークを発見(写真②③)。さらに下を向いてその足元のタイルをよく見ると……。六ひょうたんが描かれた道しるべがあるではないですか!! そこには、「空堀通り」「骨屋町筋」という文字も書かれています。(写真④)

もしかしたら、「空堀通り」と南北の道が交差する地点には、すべてこの六ひょうたんの道しるべがあるのかもしれない。

そう思った私は、今度は足元に気を配りながら、東へ戻っていきました。先ほど千成ひょうたんの馬印を見せてもらった「宇治茶園」の前を通り過ぎ、次に交差するのは「御祓筋」です。

やはり道しるべはありました! ……が、町家の絵が描かれ、おそらくこれは由緒があるのでしょうが、ひょうたんデザインではありませんでした。(写真⑤)

次に交差する道は南だけに伸び、道しるべはなし。その次の「善安筋」は北だけに伸びています。ちょうど有名なカレー店「旧ヤム邸」の前に道しるべがありましたが、こちらもひょうたんではありませんでした。(写真⑥)

その次の交差点は南だけ。ここも道しるべはありませんでしたが、「こんぶ土居」の角には「南空堀町旧町名継承碑」が立ち、郵便ポストがありました。そして、その横には「宇治茶園」さんにあったものと同じ、豊臣秀吉の馬印、千成ひょうたんが立てられていました!(写真⑦)

やはり、あった!ひょうたんが見つかった!

うれしさについ口元が緩みます。私は谷町筋を渡り、さらに東へと歩きました。しかし、谷町筋東側のアーケードには、「空堀のKとひょうたんを組み合わせたデザイン」のマークが見当たりません。

その先の「五十軒筋」との交差点には道しるべがありましたが、これもひょうたんではありませんでした(写真⑧)。「五十軒筋」は「旧熊野街道」でもあり、「熊野かいどう」と書かれたプレートも地面に発見(写真⑨)。結局、ひょうたんが描かれた道しるべは、いちばん西側だけだったとわかりました。

その後自宅へ戻って調べてみると、空堀商店街は、西の「骨屋町筋」から「南空堀町旧町名継承碑」の立っているところまでが「からほり商店街」。そこから谷町筋までが「はいからほり商店街」。谷町筋をはさんで東側は「からほりど〜り商店街」と表記され、それぞれアーケードの形も違うことがわかりました。

大阪城を守る南側の堀でありながら、あえて水を入れずに敵の襲撃に備えたという「空堀」は、豊臣秀吉の知恵をよく示しています。第二次世界大戦の大空襲でもこのあたりは戦火を逃れたそうで、町並みがよく保存されています。歴史とともに、今もひょうたんが愛されているのがとてもうれしいです。

(1297日目∞ 3月27日)

※次回1298日目は奥田亮「でれろん暮らし」3月31日(月)にアップ。

1299日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、4月2日(水)にアップします。