なんかハリー・パーチという言葉が聞こえてきたような気が

 by 奥田亮

2010年ごろの作りかけ。

昨年末の「でれろん暮らし」(12月23日)で、ハリー・パーチのことをひょうたん楽器の大先輩、などとご紹介をさせていただきました。それで、あらためて『いまこそ聴きたい  孤高(マーヴェリック)の響き〜僕が出会ったアメリカ実験音楽家たち』(藤枝守著 字像舎, 2024) のハリー・パーチの項を読んだり、ネットで調べたりしてみたのです。いや、大先輩などと申し上げたこと、ホントにすみません。おこがましいにもホドがあります。

ひとつだけ、大先輩と呼ぶことをお許しいただけるとすれば、へんてこな楽器を作って新しい音楽を作ろうとした人、ひょうたんで楽器作ってるし。とむちゃくちゃ大くくりな分類に混ぜてもらえるかな。43微分音階とか、非西洋世界とか、アメリカ実験音楽の祖とかいうことは完全にすっ飛ばして、ですが。いや、すみません。

ということで、どこまでいっても何をやってもなんちゃって。王道を歩むということはありません。逆にこのなんちゃって道を極めるという道もあるんじゃないかと、開き直っております。あらためてこの開き直り目線でハリー・パーチの動画のYouTubeを眺めておりましたら、閃いたことがありました。ずいぶん昔、たぶん2010年ごろに作りかけたまま放置していた楽器です。できそこないの小ぶりの長瓢を縦に切って板を貼り付けたもの。これにあーしてこーして、これを付けたりしたら、こんな音の楽器になって面白いかも…、と頭の中に妄想が広がったのでした。

15年越しに完成か!?

そんなことを考えながら、昨秋発売になったあがた森魚の新譜『オリオンの森』をぼんやり聴いていたら、なんかハリー・パーチという言葉が聞こえてきたような気がしたんです。ん? 急いでジャケットを見てみると、6曲目のタイトルが「ハリー・パーチのお嫁さん」。なんじゃ? さっそく歌詞を読んでみたのですが、巻貝のお家とか、貨物列車とか、よくわからない。もう少ししらべていたら、細馬宏通さんがあがた森魚に新譜についてインタビューしている記事がみつかりました。インタビューはとても面白かったのですが、ハリー・パーチについてはやっぱりよくわからなかったのでした。ハリー・パーチはオノマトペの人、ということらしい。あがた森魚って、やっぱりとんでもないよ!

たまたま出会ったハリー・パーチというキーワードが、妙なところで妙に付合してしまいました。アメリカ実験音楽、もう少し深く掘り下げてみたくなりました。前掲書もさることながら、『アメリカ実験音楽は民族音楽だった:9人の魂の冒険者たち』(柿沼敏江  フィルムアート社, 2005)も気になるのですが、絶版で古本も見当たりません。う〜ん。どこかにないかな。でれろん。

(1273日目∞ 1月27日)