戯瓢(けほん)踊を見たくて御坊まで[5]「御坊さんこと本願寺日高別院」
by 丸黄うりほ
和歌山県御坊市「御坊祭」レポートの3週目、先週の続きです。
寺内町の本町界隈を離れて、私はいよいよ「戯瓢(けほん)踊」が奉納される「本願寺日高別院」へと向かいました。
「日高別院」は、天文年間(1532-55年)に亀山城主の湯川直光が美浜町吉原に建立した浄土真宗本願寺派の寺で、文禄4年(1595年)には現在地に移転し、人々から「御坊さん」と呼ばれるようになったそうです。現在の「御坊市」や「御坊町」という名称も、これに由来するのだそう。
正門前に建つ立派な本堂は文政8年(1825年)に再建されたもので、明治10年(1877年)に本山より別院の称号を受けて「本願寺日高別院」と称されるようになりました。境内には和歌山県の天然記念物に指定されている樹齢400年のイチョウの巨木もあります。また、芝生と砂地の広場があり、そこで舞や踊りが執り行われるとのこと。お堂の横には幼稚園もありました。(写真①)
奥にある鼓楼と呼ばれる古い建物の前には、「小竹八幡神社」で見たのと同じような大きなノボリが高々と掲げられていました。(写真②)
そして、その前には花笠を被った、華やかな祭礼衣装の人々が数人集まっていました……。近づいてみると……!
腰にひょうたんをぶら下げた人がいます!
ひょうたん柄の衣装を着た人も!
花笠にひょうたんをつけた人もいらっしゃいます!
手に鉦や鼓などの鳴り物を持った人。さらには、とても不思議な形をした、茶色の木の棒を抱えている人も!
祭礼衣装を着た方々は全員が年配の男性たちです。戯瓢踊の踊り手は御坊町に住む50代以上の男性に限られるときいています。この方たちが、戯瓢踊を踊られるのに違いありません。
戯瓢踊の開始時間まではまだ少し間があるようで、踊り手の男性たちは談笑しながら境内を歩いたりもされていました。声をかけさせていただくと、気さくに撮影にも応じてくださいました。(写真③〜⑨)
ひょうたん柄の素敵な衣装を着た方は60代で、この中で最年少。つい最近までは大阪でお勤めをされていたそうですが、地元の御坊に戻ってきて、今年初めて戯瓢踊を踊るのだとおっしゃってました。衣装のひょうたん柄は、男性のお父様が自ら手描きされたものだそうです。
また、最年長の方は90代で、もう今年で引退するとおっしゃっていました。しかし90代でまだ踊りが踊れるとはなんとお元気なのでしょう。もしかしたら、毎年踊りの稽古をなさっているからお元気なのかもしれません。
鉦や鼓、太鼓などの鳴り物も見せてくださいました。そして、さっきからずっと気になっていた、変わった形をした茶色の木の棒についても尋ねてみたところ……。
なんと、これがひょうたんの代わりだとおっしゃるのです!
戯瓢踊は「瓢」の字が入っていることからわかるように、ひょうたんを持って踊ると聞いていました。「これ、もとは本物のひょうたんだったんでしょうか?」と尋ねると、「いや、もうずっと前からこれやで」と踊り手のお一人。
「もっとずっと前は本物のひょうたんだったんでしょうか?」ともう一度尋ねてみましたが、その方が踊り始めた時にはすでにこのような木製だったとのこと。
おそらく、ひょうたんを叩くと割れてしまうことも多いので、丈夫な木で作った棒が代わりをつとめることになったのでしょう。木に刻まれているぐねぐねとひねったような形は、ひょうたんが何個か重ねられて突き刺さっているようにも見えます。
いよいよ奉納の時間が近づいてきたらしく、踊り手の男性たちは正門の外へそろそろと移動されました(写真⑩)。雨も止み、境内には観客の数もだんだんと増えてきました。
(1258日目∞ 12月11日)
*続きます