12月2日|でれろん暮らし|その214「まともな楽器の方が数少ない」 by 奥田亮

なかなか腰が上がりません

 by 奥田亮

左から《瓢立琴 銘 剥き身》《瓢立琴 銘 電柱》。

先週は、《芳一》のメンテ(改造?)はもう降参、というご報告でした。その後もYouTubeで kse diev の図面のようなものが見つかって、その通り作ればおそらく近いものができるのだろうとは思ったのですが、音の出し方がどうにもよくわからない。それで、苦し紛れにもう一度、棹を自然木に戻したり、弦を張り替えたりしてみたのですが、やっぱりお手上げ。しばらくあきらめて放置することにしました。

メンテしなければならない楽器は他にもいくつかあります。というか、だいたいの楽器はどこかが壊れていたり取れていたり、弦が切れたままになっていたりとまともな楽器の方が数少ないのです。なかでも喫緊(というほどでもないけれど)にメンテしたいのは、瓢立琴の2棹《剥き身》と《電柱》です。

瓢立琴は、長瓢に心棒を通し、数本の弦をダイレクトにひょうたんに響かせる構造の發弦楽器で、マダガスカルのヴァリハに想を得ています。同じ構造の楽器を2つ作りましたが、使った長瓢の都合で多少見た目に違いがあり、それぞれに銘をつけました。一つは食べかけの魚の骨のようなので《剥き身》、もう一つは見た目通り《電柱》です。

使っている弦は、《剥き身》が建築用墨壺糸、《電柱》がたこ糸。どちらもホームセンターで購入可能。しかも複数の太さがあります。弦の数は決めていませんが、だいたい5〜6本。7本まで張れるように穴だけはあけています。

弦は7弦張れるようになってはいます。

弦の響きを胴体に伝えるための琴柱は丸棒を削って作っていますが、可動式にすべく、両面テープで取り付けています。この琴柱が当然のことながらよく取れるんです。で、いつの間にかなくなってしまうのですが、この丸棒を削るのが意外と面倒なので、しばらく放置してしまっています。作り直してもう一度ちゃんと弦を張ったら弦の太さや調弦についても、もう一度考えてみようと思います。そういえば7弦全部を張ったことは一度もないかも。

琴柱が取れてなくなってしまうのです。

実は《剥き身》にはもう一つの課題があります。心棒がまっすぐ垂直に立っていないのです。というか、よく立ってるなと思うぐらいギリギリを攻めてます。最初からまっすぐではなかったのか、だんだん倒れてきたのか、よくわからないのですが、これも修正した方がいいだろうと思います。でも、これを直すのはまたひと苦労だろうなと思うとなかなか腰が上がりません。

まるでピサの斜塔。

この糸巻きも適当すぎるやろ!

ちなみに、この瓢立琴に使っている長瓢は、滋賀県栗東町の名産「目川ひょうたん」。江戸時代から名産品として作られていたようです。いつだったか忘れてしまいましたが、たぶん20年以上前、栗東町のイベントに呼ばれてひょうたん楽器作りのワークショップを開いた時にギャラとしていただいたものでした。ということは、楽器にしたのは、もらってから10年以上たってからだったのでした。でれろん。

(1254日目∞ 12月2日)

これまでの『でれろん暮らし』はこちら

  • 奥田亮 ∞ 1958年大阪生まれ。中学生の頃ビートルズ経由でインド音楽に触れ、民族音楽、即興演奏に開眼。その後会社に勤めながら、いくつのかバンドやユニットに参加して音楽活動を続ける。1993年頃ひょうたんを栽培し楽器を作って演奏を始め、1997年「ひょうたんオーケストラプロジェクト」結成、断続的に活動。2009年金沢21世紀美術館「愛についての100の物語」展に「栽培から始める音楽」出展。2012年長野県小布施町に移住し、デザイン業の傍ら古本屋スワロー亭を営む。2019年還暦記念にCD『とちうで、ちょっと』を自主制作上梓。