ひょうたんの最大の魅力は、やはり天然自然の不定形な造形でしょう
by 奥田亮
またまた少し時間が空きました。その間に一気に季節が移り変わって、「暑い暑い」が「寒い寒い」に変わってしまいました。きょう(11月9日)の明け方にはとうとう気温が氷点下に。いよいよストーブを出さないと。
さて、今年のひょうたん栽培。10月1日に収穫を終え、寒くならないうちに水浸けしてしまおうと、すぐに作業に取りかかったので、11月初旬には表皮も取れてすっかり中身も出し終え、11月9日現在、乾燥中という状況です。おかげさまできれいな仕上がりになりそうです。10月に入ってから結実した百成2つは、十分成長することができなかったため、おそらく水に浸けると崩壊してしまいそうなので、自然乾燥させようと思います。
どうもここ数年、栽培にいまひとつ身が入らず、収穫したまま数カ月放置したり、水に浸けたまま氷浸けになったりして、黒いカビだらけのひょうたんばかりだったので、久しぶりに肌のきれいなひょうたんを見ると、ちょっとアガリます。愛瓢会の皆さまがつくる傷ひとつない美しいひょうたんとは比べものになりませんが、美しい仕上がりに心血を注がれるのも、もっともなことだなと改めて思いました。
ところが、美しく仕上がってしまうと楽器にするのがもったいなくなってしまうという問題が起こります。とくに今年できた〈大寿〉は、そこそこ大きくて、深いくびれのある形状も美しく、その上肌も美しいとなると、このまま何ものにもならず、床の間にでも鎮座していただくのが最上ではないかと思うのです。
「楽器(など用途のある道具)をつくるため」なのか、「形状や出来栄えを観賞するため」なのか。ひょうたんはどちらの要素も兼ね備えているという点で栽培植物の中でも特異な存在です。形状が美しかったり面白かったりすると、もうそれだけで十分存在意義があるので、何かに加工したり、道具として使ったりすることが憚られるのです。
そういえば、自分がひょうたんで楽器を作り始めた時も、まずは成長不良で表皮の薄いものや、虫食いで穴が空いたり欠けてしまったりしたもの、カビなどで汚れてしまったもの、割れた破片などを使っていました。形状が魅力的でとても気に入っていた百成ひょうたんを、縦に切ってウクレレ状の弦楽器にしたらさぞ素敵だろうなと思いながら、どうしても切ることができず、ようやく決断したのはその2年後だったりもしました。
形状を愛でることと、楽器としての要件を満たすことは、往々にして両立が難しく、さらに言うと、ひょうたんが楽器の素材として最良かというとそうとも限りません。ひょうたんの最大の魅力は、やはり天然自然の不定形な造形でしょう(独断)。形状を優先させないとひょうたんを用いる理由がなくなってしまうではありませんか! でれろん。
(1245日目∞ 11月11日)
- 奥田亮 ∞ 1958年大阪生まれ。中学生の頃ビートルズ経由でインド音楽に触れ、民族音楽、即興演奏に開眼。その後会社に勤めながら、いくつのかバンドやユニットに参加して音楽活動を続ける。1993年頃ひょうたんを栽培し楽器を作って演奏を始め、1997年「ひょうたんオーケストラプロジェクト」結成、断続的に活動。2009年金沢21世紀美術館「愛についての100の物語」展に「栽培から始める音楽」出展。2012年長野県小布施町に移住し、デザイン業の傍ら古本屋スワロー亭を営む。2019年還暦記念にCD『とちうで、ちょっと』を自主制作上梓。