ひょうたん師匠、奥田さんのこと (1)

by 丸黄うりほ

▲奥田さんと、数々の自作ひょうたん楽器。

 

きょうは私のひょうたん師匠、奥田さんのことを紹介します。本名は奥田亮さんとおっしゃいますが、かつて私たちひょうたんピープルは奥田扇久さんと呼んでいて、その界隈ではその名で知られていました。

奥田さんは現在、長野県の小布施にお住まいで、妻の敏子さんとともにデザインや編集・執筆を手がける「燕游舎(えんゆうしゃ)」と、古書や雑貨を扱いときどきライブも行うお店「スワロー亭」を営まれています。もちろん、ひょうたん活動はいまも続けられていて、この秋に「おくだりょうとひとりひょうたん楽団」名義でCD を出されることになっています。

私が奥田さんと知り合ったのは、もう18年も前。花形文化通信の終刊後に繁昌花形本舗が始めたカフェ「ワークルーム」の、はんこ絵教室でした。当時の奥田さんは印刷会社勤務でしたが、はんこのデザインと篆刻にすごい技をもってらっしゃったのです。好奇心だけで参加してみた私は、たった1回の講座で挫折し、自分の不器用さを思い知りましたが、そのかわりひょうたんと出会いました。

私はワークルームで奥田さんの「ひょうたん講座」を受講し、ひょうたん栽培についての手ほどきを受け、さらにひょうたん楽器の作り方を教わりました。そして、受講していた仲間たちとともに、奥田さん主導の自作ひょうたん楽器だけの楽団「ひょうたんオーケストラプロジェクト21( HOP 21)」に参加。テレビ番組で取材を受けたり、金沢21世紀美術館のイベントによんでいただいたりしたこともありました。

その後、奥田さんはお仕事の関係で千葉県に転居され、さらに会社を辞めて長野県の小布施へ。私は自分で別のひょうたん音楽のユニット「ヒョウタン総研インターナショナル」や「オール電化ひょうたん」を始めました。

昨年12月、私は「スワロー亭」で「ヒョウタン総研インターナショナル」のライブをさせていただきました。久しぶりの再会でした。

奥田さんは、小布施でもひょうたん栽培を行い、収穫したひょうたんからたくさんの楽器を作ってらっしゃいました。その楽器の工夫に満ちたおもしろさ、意外性、美しさと完成度は、大阪時代よりもさらに高まっていました。