なにわ伝統野菜・玉造黒門越瓜の記念碑

by 丸黄うりほ

①玉造稲荷神社にやってきました

②まずは朱塗りの社殿にお参り

③豊臣家に厚く信仰されていたということで、秀頼像が建っています

④境内には難波・玉造資料館もあります

⑤玉造黒門越瓜の記念碑は、意外なところにありました!

⑥ウリのシマシマまで再現された記念碑。可愛い!

⑦なにわの伝統野菜・玉造黒門越瓜の由来が説明されています

⑧ウリのゆるキャラ「玉造稲荷くろもんちゃん」

なにわの伝統野菜・玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)。その復活に尽力されているみなさんによる「玉造黒門越瓜 “ツルつなぎ” 収穫祭」が8月に行われ、ウリ科の仲間として、ひょうたんな私もおじゃまさせていただいたことを「ひょうたん日記」8月23日と、24日に書きました。

江戸時代は玉造界隈で栽培され、とてもおいしいウリとして当時の食通にもよく知られていたという玉造黒門越瓜ですが、明治時代以降は衰退。その幻のウリに最注目したのが玉造稲荷神社の禰宜さんで、2003年には神社の境内で栽培を復活させたのだそうです。そして、境内にその記念碑も建てられたとのこと。

私は、ウリ科の仲間として、玉造黒門越瓜復活の地にお参りしなければならないと思いました。収穫祭の後ですから栽培はすでに終わっているかもしれませんが、記念碑には会っておきたいと思ったのです。

玉造稲荷神社の最寄駅である森ノ宮駅からは、大阪市の「歴史の散歩道」の道しるべがあって歩きやすく、迷うことなく到着することができました。少し高台になった玉造稲荷神社の鳥居を目指して階段を登っていきますと、朱塗りの社殿が見えてきます。稲荷ですから主祭神はウカノミタマ。まず、こちらにお参りをさせていただきました。

豊臣家が厚く信仰していた神社でもあるということで、境内には豊臣秀頼の銅像がありました。また、4世紀頃には大和朝廷の玉作部の住居地であった関連から「難波・玉造資料館」も建てられています。江戸時代には伊勢参りの出発点でもあり、お伊勢参りの立て札も。また千利休の記念碑や、上方笑いの父と呼ばれる秋田實の笑魂碑もありました。

しかし、玉造黒門越瓜の記念碑はどこにあるのでしょう?私は神社を一旦出て、駐車場の付近を見て回りましたがそこにも見つかりません。周囲をぐるっと回り、東側の鳥居からもう一度入ろうとしたときに、その階段横で稲を栽培されているのが見えました。その奥に……。

緑色のノボリと、目当ての記念碑がありました!

ウリをかたどった記念碑には「玉造黒門越瓜」という文字と、「(社)大阪外食産業協会」という文字が刻まれていました。ちゃんとウリのシマシマ模様まで再現されていて、可愛い……!

その前には説明文があり、「玉造稲荷くろもんちゃん」というゆるキャラのイラストも添えられていました。そうか、先日収穫祭にうかがったときに会場に並べられていた、顔のついたウリはこの子の再現だったのだとやっと理解できました。

おそらく、この記念碑の手前の空き地、稲が栽培されている隣のあたりに、夏の間は玉造黒門越瓜の畑があったのでしょう。

ひょうたん栽培は果肉を食べるのではなく、かたくなった皮を残すのが目的であるため、結実してから約2ヶ月を待たないと収穫することができませんが、ウリは実が大きくなってきたら食べごろですから、おそらく収穫も1〜2カ月ほど早いのでしょうね。

来年は忘れないよう7月に神社を訪れて、最盛期のウリ栽培を見せてもらおうと思います。

(1059日目∞ 9月15日)

 

※次回1060日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、9月19日(火)にアップします。9月18日(月・祝)の奥田亮「でれろん暮らし」はお休みです。