玉造黒門越瓜 “ツルつなぎ” 収穫祭におじゃましました(2)

by 丸黄うりほ

①玉造黒門越瓜のサンドウイッチ。上品でさっぱりした味!

②こちらは玉造黒門越瓜のパウンドケーキ

③玉造黒門越瓜のジャム(手前)もおいしかったです

④第二部のリレートーク。勉強になりました

⑤クロージングでは「玉造くろもんしろうりうた」を斉唱!

⑥お土産にいただいた玉造黒門越瓜

昨日の続きです。「玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり) “ツルつなぎ” 収穫祭」第一部のあとはうれしいティータイム。

参加者全員に、待望のしろうり料理&スイーツがふるまわれました。すべて畑から届いて間もない新鮮な玉造黒門越瓜が使われています。作ってくださったのは “ツルつなぎ” の守り人の一人・Uri_miさんとそのお友だちとのこと。もちろん、Uri_miさんもしろうりを育てている方です。

サンドウィッチは、キュウリのサンドよりもまろやかで、さっぱりとした味でした。パウンドケーキは、クセがまったくない優しいおいしさ。ジャムも上品な味で、誰にでも好まれそうな感じがしました。

もともとこの玉造黒門越瓜は、江戸時代に大坂城の玉造門(通称・黒門)付近で栽培され、地域の有力者であった高津屋吉右衛門が開いた畑で生産され、加工・販売も盛んに行われていたそうです当時の玉造には酒造業者も多く、良質なウリと酒粕が組み合わされて名物の奈良漬が生まれ、それが伊勢参りの旅人や食通の間で話題となりました。当時はそのくらいおいしいウリとして知られていたのですね。

ところが、明治以降この地域には工場が建ち並ぶようになり、酒造業者や市場はなくなって、玉造黒門越瓜もいったんは姿を消してしまいます。その幻のウリに再注目したのが玉造稲荷神社の禰宜・鈴木伸廣さんでした。そして、鈴木さんが玉造の地でこのウリを復活させることはできないかと相談したのが、農学博士の森下正博先生だったそうです。

大阪府内で保存されていたタネをまき、玉造稲荷神社の境内で玉造黒門越瓜の栽培が復活したのは2003年のことでした。その後、大阪ガスネットワーク エネルギー・文化研究所(CEL)/ U-CoRo の研究活動と連携して、「玉造黒門越瓜 “ツルつなぎ”」プロジェクトが始動。上町台地界隈でタネが配られ、施設や家庭菜園での栽培がスタート。参加者は年々増加して現在に至るそうです。

そんなエピソードのある玉造黒門越瓜は、味もおいしく、見た目もかわいく、由緒正しいなにわの伝統野菜。もっと多くの人に知られてほしい!

ティータイム後の第二部では、「しろうり、そして食・農でつながるサードプレイス」と題したリレートークが行われました。サードプレイスとしてのコミュニティ農園・菜園の広がりや、そうした活動をされている方の思いを聞かせていただくという内容でした。「もりのみやキューズモールBASE」でのシェア型菜園活動や、大阪市生野区の「松野農園」「はたけもり」など近隣のケースをはじめ、西宮市、阪南市、奈良県からも報告があり、会場にいらっしゃる参加者からも質問や提案が飛び出して、「ウリのみなさんは、熱い!」と感じました。

クロージングでは、森下先生のヴァイオリン伴奏で、玉造小学校作詞作曲による「玉造くろもんしろうりうた」をみんなで斉唱。ウリの歌が作られていることにも驚きましたが、参加者のみなさんがその歌詞もメロディもちゃんと覚えていらっしゃるのが素晴らしかったです。

さらには、「たくさん収穫できたから」と、近くに座っていらした方に大切なウリを1本いただきました。ひょうたんと同じで、ここまで実を大きく育てるのは大変だったろうに、見知らぬ私のような者にまで惜しげもなくふるまってくださる。その精神にも心打たれました。

イベント終了後、「みなさんのウリ愛に感動しました」と司会の弘本さんに正直にお伝えしたら、「ウリは文化もふくめて面白いんですよ」と教えてくださいました。「たとえば、豊臣秀吉はウリが大好きだったらしく、当時の仮装大会では瓜売りの格好をしたそうなんです」とのこと!

ここで、また出てきたのが豊臣秀吉です!

秀吉といえば、千成ひょうたんの馬印。ひょうたん好きとして知られていますが、ウリ好きでもあったのですね……!

ウリを愛し、地元・玉造を愛するみなさん。ひょうたんがおじゃまいたしました。このたびは本当にありがとうございました!

(1043日目∞ 8月24日)