浮かびの宮・堤根神社の茨田堤祭(2)
by 丸黄うりほ
昨日の続きです。
午前10時、「茨田堤祭(まんだのつつみさい)」の神事が行われるということで、宮司さんと巫女さんに続いて、20人ほどの氏子さんたちが社殿に入られました。私を含む氏子以外の見学者もそのあとに続きました(写真①)。中に並べられた椅子のひとつに座らせてもらい、周りを見渡すと、あちこちに大きなひょうたんがありました。祭壇の左右にもかなり大きなひょうたんが捧げられています。
まず、宮司さんが祝詞を奏上されました。祝詞は神社に伝わる茨田堤と、茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)、浮かびのひょうたんの伝説についてであるとわかりました。続いて禰宜さんがお祓いをされ、氏子さんたちが順に玉串を奉納されました。そして、最後に見学者の私たちにも玉串が渡され、その場にいる全員が神事に参加させていただきました。
さらに境内に建つ茨田堤の顕彰碑前でも祝詞があげられて、神事はつつがなく終了しました(写真②)。
茨田堤の顕彰碑の近く、社殿の壁には、古代の河内平野の地図、茨田堤関連年表、江戸時代や明治時代の淀川水害被害図、また堤根神社周辺の古い写真なども掲示されていました(写真③④⑤)。
他の見学者のみなさんとそれを見ていたら、氏子のお一人が「昭和三十年代の堤根神社前」という写真を指差して、「この風景に見覚えがあります」とおっしゃいました。現在の鳥居前のぎりぎりまで川があったこと。度重なる水害や台風などで、このあたり一帯に、神社の御神木の根が出てしまうほどの被害があったこと。今の形に整備されたのは昭和四十年代に入ってからだということも教えていただきました。
少しの間をはさんで、11時からは社殿で「淀川今昔 〜人と洪水のつながり〜」と題した歴史講演会が行われました。講師は淀川資料館の小関博子さんです。
滋賀県、京都府、奈良県、大阪府にまたがる淀川水系は地域の発展に寄与してきましたが、反面何度も氾濫を起こし、大きな洪水の被害を出してきました。その治水工事の歴史と防災についてが講演会のテーマです。古く仁徳天皇の時代に堤防を築こうとし、その時に知恵を絞って助かった茨田連衫子の「浮かびのひょうたん」の伝説が、時をこえて今の淀川とつながっている。そのことが、お話をきいているとよくわかりました。茨田堤の石碑は、この神社境内のほか、淀川の河川敷にも一基建てられているそうです。
講演会が終わって境内へ出るとちょうど正午でした。太陽がまぶしく、夏雲がむくむくと湧く晴天です。私は社務所で「浮かび守り」を授与していただきました。境内で大切に育てられた千成ひょうたんから、手作りされた稀少なお守り。どれひとつとして同じ形のものはありません(写真⑥)。
迷った末、持ち帰らせていただいたのは写真⑦の、ころころとまるっこいひょうたんでした。
ひょうたんには表に「浮守」、裏に「堤根神社」という字が焼き付けられており、「祈願」、「感謝」と書かれた2枚の紙が添えられていました。
「祈願」の用紙には願いを書き、お守りの栓をはずして中に納め、神棚などに置き、日々お守りをなでて祈る。その願いが叶ったら、「感謝」の用紙にお礼の言葉を記し、神社にお礼参りをして納めること……。
茨田連衫子の伝説にあやかって、私もほんの少し、その知恵と勇気と強運を分けていただけますように。
(1039日目∞ 8月18日)
※次回1040日目は奥田亮「でれろん暮らし」8月21日(月)にアップ。
1041日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、8月22日(火)にアップします。