ひょうたんな古墳を探し求めて②瓢箪山古墳

by 丸黄うりほ

①この形、ネーミングに偽りなし!「瓢箪山古墳」

②西側から見たところ。墳丘ギリギリまで田んぼです

③黒い石碑が建っているのが見えます

④表には「福龍大神 開祖龍泰仙人 武永大神」

⑤裏には「昭和四十八年四月十二日」という文字が

⑥「白次大神」と刻まれた石も

⑦こちらは「白木大神」と読めます

⑧「三宅古墳群 瓢箪山古墳」説明ボードも立っていました

昨日の続きです。私たち三人は塚村編集長の運転で次なる目的地へと向かいました。目指すのは、その名もずばり瓢箪山古墳。磯城郡三宅町、川西町、田原本町にかけて広がる三宅古墳群の一つです。

それにしても奈良盆地は本当に古墳だらけですね。奈良市の佐紀盾列古墳群にも瓢箪山古墳という名の古墳があり、「ひょうたん日記」422日目と、423日目で紹介したことがありますが、今回はそれとは別の古墳です。

どうやら、瓢箪山古墳という名の古墳はこの二つの他にもあちこちにあるようで、東大阪市の瓢箪山稲荷神社も神社が建つ前は瓢箪山古墳だったそうですし、名古屋市にも同名の古墳があるときいています。だいたい前方後円墳という名称自体が明治時代以降に普及したもので、江戸時代まではこのタイプの古墳のことを瓢箪山とか茶臼山と呼ぶほうが一般的だったらしい。いいですね、私は江戸時代までの呼び方のほうを断然支持したいと思います!

まあそれはおいといて。飛鳥時代に聖徳太子が往来したといわれる「太子道」を曲がると、のどかな田園風景のなかに、こんもりとした緑の丘が見えてきました。

その形から、それが私たちが探している古墳だということがすぐにわかりました!

いやー、これは本当にひょうたんそのものです……ネーミングに偽りなし!

写真①は、北側から瓢箪山古墳を見たところです。古墳を囲む堀や林などはなく、墳丘だけが剥き出し状態で、さらに驚くべきことには古墳のギリギリのところまで田んぼです!

写真②は、西側から見たところ。畝が古墳をぐるぐると囲んでいて、まるで禅寺の石庭みたい……。こんな田んぼは初めて見ました。

二つの墳丘の東側のほうには、黒い石碑が建っていました。何か文字が刻まれているようです。(写真③)

近づいて見てみると、表側には「福龍大神 開祖龍泰仙人 武永大神」、裏面には「昭和四十八年四月十二日」という日付が読みとれました。続いての文字は少し読みにくく、「祭神西仲武二?」でしょうか?(写真④⑤)さらに、草むらのなかには「白次大神」「白木大神」と刻まれた石もありました。(写真⑥⑦)

古墳の南側には「三宅古墳群 瓢箪山古墳」という説明ボードも立てられ、それにはこのように書かれていました。(写真⑧)

「全長約40m、後円部径約26m、前方部幅約24mで、周濠まで含めると55m以上の前方後円墳である。円筒埴輪をはじめ、盾・靭・人物・鹿・犬・馬などの形象埴輪も出土している。特に犬形埴輪は、額から鼻先に向かって綾杉文状の線刻が描かれているのが特徴で、このような例は今まで見つかっていない。築造時期は6世紀前半と考えられる。三宅町教育委員会」

たくさんの埴輪が出土し、なかには珍しい線刻のあるものもあったそうですが、誰が埋葬されているのかは不明のようです。帰ってから、古墳に建てられていた石碑の文字についても調べてみたのですが、ほとんど何もわかりませんでした。

今回の小さな旅では、巣山古墳の出島状遺構にあるひょうたん型を見ることはできませんでしたが、瓢箪山古墳の完璧なひょうたん型のプロポーションをしっかりと見せてもらうことができました。同行いただいた塚村さん、あるどろばんでぃ氏に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました!

(1015日目∞ 7月7日)

※次回1016日目は奥田亮「でれろん暮らし」7月10日(月)にアップ。

1017日目は丸黄うりほ「ひょうたん日記」、7月11日(火)にアップします。