ひょうたんが「ひょうたん」になったわけ
by 丸黄うりほ
昨日の日記ではウェスパシアヌスの危機について書きました。心配なんですが、そのことばかり考えているとますます心配になります。見つめる鍋は煮立たない、というわけで気をそらすために雑学コーナー!いきましょう。
私はひょうたんそのものが大好きですが、ひょうたんという言葉も大好きです。「ひょうたん」と口に出してつぶやくだけで、気持ちがいい。「ひょう」という音で息が抜け、「たん」という音で軽く落ちて止まる感じ。さあ、あなたもつぶやいてみましょう、「ひょう」「たん」。
ひょうたんがひょうたんと広く呼ばれるようになったのは、室町時代のようです。それまでは「ひさご」という和語のほうが一般的でした。ひょうたんという言葉は平安時代の書物にも出てきますが、外来語のように使われていました。今の英語やフランス語みたいにちょっと気取った言い方だったのに違いありません。しかし、語源をひもといてみると、「ひょうたん」というのは間違いから生じた言葉のようです。
ひょうたんの語源は『論語』にあって、孔子の弟子で、若くして亡くなった顔回という人の、暮らしの清貧さを詠じた「子曰く、賢なる哉回や、一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り」からきています。もともと「箪」というのは竹で編んだ弁当箱をいい、「一箪の食」は一盛りの飯くらいの意味です。「瓢」はひょうたんのことで、「一瓢の飲」はひょうたん一つ分の水のこと。1日にそれだけしか食べてなかったという顔回さんは貧しくて、それでも大変賢い人だったようです。
のちに、この『論語』がもとになって「箪瓢」ということばが生まれました。それが日本に伝わったときに、間違って返し点を入れて読んでしまい、「瓢箪」になったようです。さらにもともとは別々の容器だった「箪」と「瓢」が一つのものとして理解されてしまったらしい。
しかし、「たんひょう」よりも「ひょうたん」のほうが、ひょうたんらしい。あの風情によくあっていると思います。もともと間違いから生まれた言葉だというのもまた、ひょうたんらしくていいと思うのです。