ぜったい自分のオリジナルな楽器だと確信していたのですが
by 奥田亮

新しく生まれ変わった《3.5弦》
このブログがアップされるころ、以前ここ(ここ とか ここ とか)でも紹介したリアノン・ギデンズの公演が東京であるようで、行きたい気持ちもあったのですが、今回は涙をのんで諦めました。リアノン・ギデンズは、ひょうたんバンジョーのことを調べていて、たまたまYouTubeで見つけたアーティスト。そこからバンジョーのルーツなどへと深掘りしていくきっかけになりました。
ところがこのギデンズさん、先般のグラミー賞のカントリーミュージック部門で受賞したビヨンセのアルバム『COWBOY CARTER』で古いスタイルのバンジョーを弾いていて、にわかに話題に上がっていたのでした。残念ながらここで弾いているのは、ひょうたんバンジョーではなくて、木枠でガット弦(あるいはナイロン弦)のバンジョーのようですが。それはともかく、バンジョーがアフリカ・ルーツの楽器であり、カントリー・ミュージックと黒人文化は、じつは深い繋がりがあるということを、アメリカ人もあまり認識していなかったということだったようなのでした。そこには人種の問題も複雑に絡まっているようでした。おかげで期せずしてひょうたんバンジョーが一機に時代の最先端に躍り出たようで、わがことのように喜んでおります。
さて、それで思い出したのが最初期に作って弾いていたひょうたん楽器《3.5弦》のことでした。これを作ったのはたぶん1996年ごろ。かれこれ30年ぐらい前ということになります。当時の写真は残ってなくて説明が難しいのですが、とにかくその辺の適当な材でいい加減に楽器を作るということに腐心していた頃で、グネった枝をネックに、かなり成長が悪くて皮が薄いひょうたんをボディにして作った三味線様の楽器でしたが、5弦バンジョーという存在に興味を持っていたこともあり、歪んだネックの窪みに糸巻きを付けて短い開放弦を張って《3.5弦》と名付けました。
これが思った以上にいい感じで、気に入ってずっと弾いていたのです。気に入れば弾く機会も増え、あちらこちらで落としたりぶつけたりして、ただでさえ弱かったひょうたんは何度も割れ、その度に張り合わせたり、塗装して補強したりしたのですが、最終的にすっかり崩壊してしまって修復すら叶わぬ状態に。
長らくネックだけの状態で放置されていたのですが、ふと思い立って新たな《3.5弦》を作ったのが2016年頃でした。ボディのひょうたんは大阪時代にベランダで育てたIPU。表皮がかなり分厚くて硬いので、これなら壊れることはなさそうです。

使っているのはIPU。わりと大きくて丈夫
天板は私の弦楽器作りの定番になっているバルサ材。5ミリ厚の材を使いました。バルサ材は普通の木材とは比べものにならないほど軽くて柔らかい材。厚みがあっても中がスカスカなので木材というより皮を張ったような響きになります。ひょうたんの響きとも相性がいいのです。しばらく楽しんでいましたが、弦が切れたのをきっかけに、なんとなくまたまた放置していたのでした。

天板はバルサ材。柔らかくて加工も容易なのでサウンドホールも面白く。ブリッジは桐材。これも柔らかい材
ということで、ようやく現状の話になります。リアノン・ギデンズが思い出させてくれたこの《3.5弦》、弦を張り替えれば使えるではありませんか。タイミングのよいことに、前回ご紹介した《瓢立琴》に張った墨坪糸が何種類も手元にあるので、それを張ってみることにしました。これがなかなかよかったのです。切れるまでは三味線の弦を使っていたのですが、どうも墨坪糸の方が相性がよさそうです。素材は同じ絹なのですが、朴訥としたケレン味のない音がひょうたんに合うのかもしれません。いい音を出すために加工された素材は、手作りひょうたん楽器にとっては返ってそぐわないのかもしれませんね。
ひょうたんの《3.5弦》は、ぜったい自分のオリジナルな楽器だと確信していたのですが、なんとバンジョーのルーツに遡る原初的な楽器だったということが30年後にわかったというのも、なにやら味わい深いもんでありますな。でれろん。
(1287日目∞ 3月3日)
- 奥田亮 ∞ 1958年大阪生まれ。中学生の頃ビートルズ経由でインド音楽に触れ、民族音楽、即興演奏に開眼。その後会社に勤めながら、いくつのかバンドやユニットに参加して音楽活動を続ける。1993年頃ひょうたんを栽培し楽器を作って演奏を始め、1997年「ひょうたんオーケストラプロジェクト」結成、断続的に活動。2009年金沢21世紀美術館「愛についての100の物語」展に「栽培から始める音楽」出展。2012年長野県小布施町に移住し、デザイン業の傍ら古本屋スワロー亭を営む。2019年還暦記念にCD『とちうで、ちょっと』を自主制作上梓。