兵庫県姫路市の郊外、香寺町にある「日本玩具博物館」。土蔵造り6棟の建物に、世界160カ国から集められた9万点もの玩具や人形を所蔵。館長の井上重義さんが会社勤めをしながら個人で始めたというこの館は、現在では世界屈指の玩具博物館として評価され、2016年にはミシュラン・グリーンガイド二つ星にも選定されています。尾崎織女さんは、「日本玩具博物館」の学芸員として世界各地の民芸玩具の調査と収集を担当。約30年にわたり館内外での企画展も手がけてこられました。今年9月には『世界の民芸玩具 日本玩具博物館コレクション』(大福書林)を上梓。この本のページをめくっていると、実際に博物館に行ってみたくなりました。博物館のマークはコマ。「コマ好き」でもある塚村編集長とともに博物館を訪れ、たっぷりとお話をうかがってきました。(丸黄うりほ)
20世紀の品々を、博物館や本の形で記録してとどめておくこと
——『世界の民芸玩具 日本玩具博物館コレクション』(大福書林)を読ませていただきました。写真や装丁がとても美しく、ビジュアル本としても素敵ですね。初めて見る玩具ばかりなのに懐かしい気持ちになります。造形のおもしろさ、愛らしさだけでなく、解説を読むと、文化的な背景が気になってますます興味がわいてきます。まず、この本を出版されることになったいきさつからお話いただけますでしょうか。
尾崎織女さん(以下、尾崎) この本のデザインを担当していただいた軸原ヨウスケさん、こけしブームの火付け役の一人ともいわれている方なんですが、何度か日本玩具博物館をお訪ねくださり、日本や世界の玩具がもつ “民衆的工芸の美” に深い関心をもってくださいました。その軸原さんが「民藝」の世界に玩具の存在を加えていきたいとの思いから、「本を作ってみませんか」という企画を持ちかけてくださったんです。それが2017年のことでした。編集者の大福書林の瀧亮子さんとともにお越しになられましたので、まずは、日本玩具博物館の収集活動に込める私たちの思いをお伝えしました。本づくりのコンセプトについて、軸原さんとも、瀧さんとも考えが一致し、館長も「当館の所蔵品が語る世界をご紹介できるよい機会。意義のある本になりそうですね」と喜んでくれまして、そこから本づくりがスタートしました。
塚村編集長(以下、塚村) 軸原さんのテキストでは、「民藝」という括りからみると、民芸玩具はアウトオブ「民藝」だけれど、優れた玩具は民藝の仲間だという捉え方ですね。尾崎さんの書かれた一つ一つの解説を読むにつけ、別に「民藝」に入れてもらわなくてもいい(笑)ような気がしました。紹介されている民芸玩具の多くは、表層的なデザインや用の美ではなく、祈りのようなものが込められていますね。
尾崎 大正末期にから昭和初期にかけて、柳宗悦氏が中心となって取り組まれた生活文化運動は、名も知られぬ職人の手によって丁寧に作られた生活道具の数々を「民藝」と名づけ、暮らしのなかの美をすくいあげていくものでした。「藝」という漢字は難しい旧字体を使います。その「民藝」について語られるときには、カッコつきで、“いわゆる「民藝」は……” という言い方がなされる。「民藝」は特別の存在なんですよね。私も東京や大阪、倉敷や鳥取や熊本などの民藝館の展示を拝見すると、ああ、人々はこんなにも丁寧に、心をこめて日常の道具を作り、他者の鑑賞の目を意識することなく美しいものを生み出してきたんだという感動に満たされます。ただ、それと同じような感慨を、私が日々扱っている玩具に対してももつわけで、当館が所蔵する玩具たちも「民藝」とつながりのある世界の住人なのではないかと、私自身ずっと思っておりました。なので、軸原さんの、世界各地の民衆が暮らしのなかから生み出し、作り伝えてきた優れた玩具は「民藝」の範疇に入れていいんじゃないか、という呼びかけに私も感応するところがありました。
ただ、本づくりにおいてはそのことが目的ではなく、それぞれの玩具や人形自体がもっている優しさや、作り手の祈りの深さや、美を意識しない素朴な美しさや……、品々が自ら放っている魅力に触れてもらいたいという思いが強くありました。まずは先入観なしに品々が伝えるメッセージに向き合ってもらえたら、と。
——いろんな人に見てもらいたいという思いから、この企画にのられたということでしょうか。
尾崎 そうですね。展示を通して品物そのものと向き合っていただくことはとても大事にしているんですけども、やはり足を運んでいただかないと出合ってもらえない。その点、出版物になると、広くみなさんによい出合いを提供できるかなと。玩具博物館もこのコロナ禍において、来てくださいと呼びかけられない時期でもありましたので。
——姫路といってもここは奥まっていて、アクセスがいいとは言えないですよね。でも、この本を見ると実物に会いたくなる。出向くための取っかかりになりますね。
尾崎 この本に出合われ、求めてくださった方の多くは、もともとこうした民族造形がお好きだとか、それらがどういう背景から生まれたものなのかについて関心をもっていらした方だと思うんですよ。先日は、「こんなに自分の好きなものが一堂に集まっている博物館があるなんて知らなかった」と、本を片手に来館してくださる方があり、すごくうれしく思いました。これは出版の力だなと。
——まとまってこれだけのコレクションをされている所はまずないと思います。掲載された玩具の一つずつは造形としてきれいだな、可愛いなというのもありますけれど、これはなんだろうという好奇心のきっかけにもなりそうです。
尾崎 この本に取り上げているのは、1920年代から30年代のものがいちばん古くて、新しいものは1990年代製ですから、いずれも20世紀の品々です。20世紀の終わりからはグローバリゼーションがものすごく加速しましたよね。そのようななかで地域とか、地縁集団とか、狭い範囲のコミュニティが長く育んできた造形感覚や美意識から生まれてくる品々がどんどんと失われ、生活道具や玩具などにおける民族色が薄まっていくように思うんですね。で、そんな時代だからこそ、博物館には、20世紀にこんなに個性的で素晴らしいものがあったんだということを記録してとどめておく役割があると思うんですよね。
造形の変転については、さまざまな考えがあると思います。いくら素晴らしいものであっても、一切変わらず、同じものを作り伝えていくことばかりがよいともいえません。メキシコの民衆工芸は、もともと暮らしていた先住民たちの宗教観や造形感覚に大航海時代スペインがもたらした南欧の装飾的美意識やキリスト教的世界観が合体して生まれたもので、そこに品々のきらめきがあり、メキシコらしい素晴らしさがある。メキシコのオリジナリティを求めるときに、ヨーロッパからもたらされた文化を今さら排除することはできません。経てきた歴史そのものが造形の中に現れていて、それを否定することはできないと思います。ひるがえって、20世紀末期、アメリカ人のデザイナーがメキシコ民芸の題材にアドバイスを加えるとか、21世紀になってそれらが世界市場へ出ていくため、買い手の目線に合わせて品々の彩りがカラフルに変化するというようなことも、文化継承の弊害になるからよくない!と否定してしまえるのかというとそうではない……。造形の変転は私たちの歴史として受け入れなくてはならいように思います。
けれども、いや、だからこそ、博物館は失われていく良いものをすくいあげて、大切に後世に伝える役割がある。この本もまた、20世紀の造形を書物の力を借りて後世に遺すという博物館的な意義に照らして作らせていただきました。
——なるほど。20世紀の世界の民芸を博物館や本の形でとどめておくということですね。
本国には遺っていない、長春(チャンチュン)の布老虎(プーラオフー)
——この館の世界の民芸コレクションはどのくらいあるんですか?
尾崎 3万点くらいです。全体では9万点くらいあります。
——そのなかから、この本に選ばれているのは?
尾崎 単体では56種類。そして、「民芸玩具の宝庫」というコラムで5つの国、中国・インド・ドイツ・ロシア・メキシコの民芸を紹介し、「世界に広がる玩具のきょうだいたち」というコラムで10の項目を取り上げています。みんな含めたら120点ほどです。
——そのセレクトはものすごく難しかったんじゃないかと思うんですが、どのようにして選ばれたのですか?
尾崎 そうですね、これまであまり取り上げられてこなかったものを選びました。もちろん「あ、これ、知っている!」というものもあると思いますが、この本では、皆さんが触れる機会が少ないものを紹介しようと思いました。
——その中でこんなものも出ていますよ、というのをいくつかピックアップしていただけますでしょうか。
尾崎 はい。ではまずこれを……。中国のぬいぐるみのトラで、布老虎(プーラオフー)といいます。1930年代の吉林省長春(チャンチュン)市で作られました(当時は新京市)。今でも、布老虎は陝西省などで作られているんですが、20世紀前半の品々は中国国内にはもうほとんど遺されていないんじゃないかと思います。1966年から約10年間にわたって文化大革命の嵐が吹き荒れたときに、「民間玩具」と呼ばれるもの、ちょうど日本の「郷土玩具」に対応する品々ですが、それらがことごとく打ち壊されて、産地は壊滅的な打撃をうけたといわれています。当時、収集して楽しむ方や研究対象として貴重な品々を持っておられた方もありましたが、皆、没収され、壊されたり、燃やされたりして失われてしまったと聞きます。そういう歴史を経ているので、なかなか本国には遺っていないんです。
けれど、これを不幸中の幸いというのも心ない言いまわしですが、日本が「満州」と呼んで、中国東北部を占領していた時代、そこに日本の郷土玩具の収集家たちが入ったんですね。そして当時は日本の国の一地方として満州を捉えていましたので、九州のもの、四国のもの、近畿のもの……と同じように、収集家たちは、満州のものを収集しようとしました。これまで触れたことのない個性あふれる中国東北部の玩具文化に魅了された 「満洲郷土色研究会」の人たちは東北部の広野を駆けまわり、各地の祭礼におもむいては懸命になって民間の玩具を収集したのですが、その品々が、日本国内で販売され、郷土玩具収集家のもとに遺されたということなんですね。「大陸にはこんなにも力強く、優しく、民衆の祈りと美に満ちた玩具があるのか!」と、感動を呼んだと聞いています。そのなかの一つがこの布老虎です。
——このトラ、面構えといい、身体の模様といい、なかなかおもしろいですよね。
塚村 触らせていただくと、すごくしっかりとしていますね。カッチカチです。
尾崎 はい。ぬいぐるみにはもみ殻などがぎっしり詰められていて、しっかりとしています。百獣の王であるトラは中国の人たちにとっては特別な動物で、必ず「老」という漢字をつけるんです。「老」はお年寄りを表すのではなくて、尊敬を示す言葉です。トラは子どもに降りかかる邪気を払ってくれるものだと考えられていて、とくに中国東北部では赤ちゃんが生まれて三日後くらいに行われるお祝いの日に、おばあちゃんたちが孫の成長を願って手作りし、これを贈る風習がありました。専門の職人さんが作ったものを求めることもあったようですが。
布老虎は赤ちゃんの枕元に置きます。大きな目には魔除けの力がこもっていて、赤ちゃんに襲いかかる病魔や災厄を払いのけてくれる。やがて赤ちゃんが動き回れるようになると、布老虎を抱っこしたり、枕にしたりして遊ぶことになるでしょう。赤ちゃんに寄り添って成長を見守るトラなんですね。こうした心優しい玩具が家庭の手作りからはじまっていることも素晴らしいし、地域の風習に支えられ、独自性のあるデザインが育まれていたことも素敵です。らんらんと輝く目も装飾性豊かな口の表現もとてもいいですね。
そうそう、中国では端午の節句にトラは大活躍するんですよ。“端午のトラは五毒を踏みつける” といわれ、ムカデやサソリ、トカゲ、ガマ、ヘビを全部踏みつけ、目に見えない魔も払ってくれるとして、トラの造形物を盛んに用いてきました。
長春の布老虎には、そうした中国の生活文化がいっぱい詰まっています。
人類の普遍的な造形、スペイン・アンダルシア州のハエンの騎馬笛
尾崎 もう一つ紹介しましょうね。これは、スペイン・アンダルシア州のハエンの騎馬笛です。こんな音が鳴ります。
——高い、いい音がしますね。
尾崎 ヨーロッパの土笛のなかで、一音だけを奏でるものは結構、高音が多いんです。日本の郷土玩具の鳩笛などは、ホーホーと中低音で温かく優しく響くというイメージがありますけれど、この騎馬笛は、警戒音のような音を発しますよね。
塚村 鳥の警戒音に似ていますね。
尾崎 そうですね。「今、動いてはダメ!」というような、親鳥の雛鳥への愛情が詰まった音。ヨーロッパでは、笛には魔を除け、善霊を呼び寄せる力があるという古い信仰があると聞いたことがあります。
このハエンの騎馬笛について、おもしろいなと思うのは、古代の土笛に非常に似ているというところです。
この『Children’s Toys of Bygone Days』という文献は、ヨーロッパの玩具を研究する方にはよく知られているんですが、こちらに紹介されているこの写真をご覧ください。4世紀ごろの古代ローマ時代の遺跡より出土したものです。この出土品とハエンの騎馬笛は造形的にそっくりです。長い歳月、同じものが作り伝えられてきたのか、あるいはまた新たに騎馬人形を作ってみたら同じ形なったのか……。いずれにしても、長い時をこえ、時代精神の隔たりをこえて、造形感覚がつながっていく、その普遍性に触れると感動します。
そして、これ以外にも、この本で紹介しているようにペルー、ウクライナ、ロシア、インドなどさまざまなところで騎馬笛が作られていて、同じような雰囲気をもつものが出来上がっているんですね。どういうことでしょうね? 人間がてのひらから作り出す形というのが変わらないということなのかと思ったりします。素朴な土笛は、人間にとっての造形感覚の基本みたいなものを教えてくれているんじゃないかなと思ったりします。そういう意味でも、この騎馬笛は興味深いですね。
——いま見せてもらったものだけでも、時代が変わっても国が違っても同じような発想なんだなというのを感じますね。
尾崎 そうですね。そして、基本的には同じ造形と思えても、一歩近づいて観察すると、作られた国や地域の色があり、描かれた模様にはその土地ならではのメッセージが託されていて、その民族性の違いが興味深く、おもしろいですね。普遍性と独自性が重なり合っているところが、こうした造形物の魅力なんだと思います。
——たくさん集めないとこういうのはわからないですね。
尾崎 おっしゃる通りですね。その1点だけ見ていたらわからないところですね。たとえばコマもそうです。日本のコマばかり見ていたらコマは日本オリジナルだと思ってしまいますよね。ですが世界に目を向けてみると、ああ、コマはどの国にもあるんだということに驚きますし、回し方によって分類してみると、ここは投げコマが好きな地域だとわかったり、あるいは形によって分類してみると、大航海時代にスペインやポルトガルが全世界に伝えたのかなと思える砲弾型のコマが中南米の国々に数多く伝わっていることがわかったりします。日本でも九州北部のコマは、スペインやポルトガルのコマに形がよく似ているんですよ。鎖国時代に長崎港から入ってきたコマが歳月を経て日本化したものかもしれません。
——こんなふうに、収集することで、見えてくる世界がありますね。
この本では、この騎馬笛のように、またコマのように、国境をこえて普遍性があり、よくみると民族性がきらきらと立ち上がってくる品々を集めて「世界に広がる玩具のきょうだいたち」というコラムで10の項目を取り上げています。また、中国、インド、ドイツ、ロシア、メキシコの5カ国、「民芸玩具の宝庫」といわれている国々の玩具文化を概観しています。それらもお読みいただきながら、一点一点の玩具と向き合っていただくと、視点が変わり、より面白さを感じていただけるのではないかと思います。
尾崎織女著『世界の民芸玩具 日本玩具博物館コレクション』(大福書林)はこちら