足で描くダイナミックなアクション・ペインティングで世界的に知られる画家、白髪一雄(1924-2008)。出身地・尼崎市の尼崎市総合文化センター5階美術ホール=兵庫県尼崎市昭和通2-7-16=で開催の、没後10年を節目とした絵画展を訪れた。(塚村真美)

 

市のホールで美術館クラスの展示


 会場は尼崎市総合文化センター美術ホール5階。美術館ではない。しかし、美術館クラスの圧巻の展覧会である。これまでも同ホール(20184月公益財団法人 尼崎市文化振興財団に名称変更)は、巡回展として美術館で開かれる規模の白髪一雄展を開催した実績がある。

 戦後日本の美術シーンを代表するグループ「具体(具体美術協会)」の中心メンバーであり、早くからその才能を開花させ、海外でも評価が高かった白髪一雄は、「フット・ペインティング」と称される、足で描くダイナミックな絵画で知られている。尼崎出身で、生涯自宅のアトリエで描き続けた。同センターには2013年に開設された白髪一雄記念室があり、市が所蔵する作品(絵画・版画など)約90点に加え、遺族から寄贈、寄託された多数の作品・資料(デッサン、スケッチブック、書籍、写真など)約4,000点を中心に、整理・調査をしながら、年に2回ほどテーマを変え、公開展示を行っている。小規模ながらも研究が継続されていることで、白髪一雄のオフィシャルな窓口として国内外に認知された文化機関だ。

5億円!窃盗団?10年で大きく変わったアート市場


没後10年。10年の間に白髪を巡る状況は大きく変わった。評価がさらに高まり、市場では絵画の価格が高騰した。2014年、米ニューヨークのオークション、サザビーズでの落札価格は530万ドル、日本円で54,590万円の値がついた。それまでにも100ドルを超える落札は少なくなかったという。作品価値が高まったのは、2013年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で「GUTAI」の大規模な展覧会が行われたのを皮切りに、欧米の著名な美術館やギャラリーで、具体の展覧会が次々に開かれてきたからだ。また、価格高騰が影響し、2017年には窃盗事件まで起こった。京阪枚方市駅の構内に飾られていた油絵が工事業者を装った男に盗まれ、共謀犯らが海外のオークションに出品しようとしたという。評価額は5,000万円とされる。また、市場には贋作が出回っており、鑑定を依頼されたと嘆く美術館関係者もいる。ほかにも2016年、美術館構想が頓挫した加西市では、所蔵していた白髪作品を競売にかける議案が可決されたが、翌2017年には「国内で多くの人が絵画を楽しめることを優先する」として尼崎市に作品2点が寄託された。

いちばん油の乗った最も勢いのある作品群から20点が集結


アート市場が賑わった10年が過ぎ、節目の記念展として開催された展覧会タイトルは、「水滸伝豪傑シリーズ」アクション・ペインティングによる豪放の世界。展覧会を監修した平井章一さん(関西大学教授。兵庫県立美術館、国立新美術館、京都国立近代美術館等で30年間学芸員として「具体」を研究・展覧)は、本展図録の解説にあたり、書き出しにこう書く。白髪の半世紀にわたる画業のなかで、彼の芸術性がひときわ際立つ作品群が「水滸伝豪傑シリーズ」である

また展覧会を企画した妹尾綾さん(尼崎市文化振興財団学芸員・白髪一雄記念室担当)は、白髪のアクション・ペインティングの代表作「水滸伝豪傑シリーズ」に焦点を絞って紹介する初めての展覧会であると同時に、『水滸伝』という物語が白髪の創作にどのように関係しているかを探る試みでもあるとし、全108点のシリーズのほとんどは–1959年から1965年までの短期間に描かれた作品であり、長年にわたって取り組まれたものではないという。

つまり、白髪といえば、やはりアクション・ペインティングであり、その最たるものがフット・ペインティングである、その中でもいちばん油の乗った時期の、最も勢いのある作品群が、今回のテーマである「水滸伝豪傑シリーズ」というわけだ。マグロの部位にたとえると大トロといったところか。展覧会には20点が集められた。もっと俗にいうと、15億としたら100億、1億なら20億、5,000万なら10億円が並んでいるともいえる。うち尼崎市所蔵は2点、兵庫県立美術館から4点、国立国際美術館から3点、芦屋市立美術博物館から2点、京都国立近代美術館から2点、ほか7館から7点が出品された。

《天暴星両頭蛇》1962年 京都国立近代美術館蔵

そもそも「水滸伝」ではなかったはず?


『水滸伝』は中国の明代初めに書かれたとされる長編の伝奇小説で、108人の豪傑が登場する。白髪はこの物語を少年時代に絵本で読んで気に入り、その後も原書や多くの訳本に触れてきたという。展覧会タイトルだけを見ると、その豪傑たちをイメージした絵画をシリーズで描いていたのか、と思われるだろうが、そうではない。そうではないが、この作品群の絵には、物語に登場する豪傑の綽名(あだな)がそれぞれ付けられている。付けられてはいるが、それは後付けである。例えば、ジャズミュージシャンが即興で曲ができたというような時、それはただ曲が浮かんできたのであって、何かを表現しようとしたわけではない。が、できあがった曲については呼び名が要る、そこでなんとなくそんな雰囲気の曲名を付けておく。あるいは、お茶人が誰が焼いたか分からない器の窯変や形から、見立てで銘を付ける。そのような感覚で、豪傑の綽名が絵の題名に選ばれてきた。

しかし、本当にそれだけか?という問いを、この展覧会は投げている。

展覧会のタイトルを最初に見たとき、抽象絵画としては『水滸伝』自体に関連はないはず、と筆者はまず思った。その〝くくり〟でよいのか、と。作品が描かれた時期、白髪は「具体」の会員であった。リーダーの吉原治良は作品に題名を付けることを、イメージが限定されるという理由で〝御法度〟としたため、本来の作品にはタイトルや特定のイメージがないはず、だからだ。筆者も白髪にインタビューした折(1993年)、自分の覚え書きとして付けたと聞いた。題名を付けるようになったは1958年に来日したフランスのキュレイター、ミシェル・タピエと契約を交わしたことがきっかけで、いざ絵を送る段になり、後で作品ナンバーだけではどれがどの絵か分からなくなると心配になって、自分が思い出すために付けた、と。本展を監修した平井さんも図録に「水滸伝豪放シリーズ」は最初からシリーズとして描かれたものでも、あらかじめイメージして描かれたものでもない。「水滸伝豪放シリーズ」は、生前シリーズとして展示されたことは一度もなかった、と書いている。

しかしまさかの「水滸伝」。だからあえて「水滸伝」


しかし今回の展覧会は、〝あえて〟の水滸伝なのだ。「水滸伝のイメージに引っ張られてしまうのではないか」と思いながらも、会場に入った。しかし、その心配はふっとんだ。絵の迫力が凄すぎる。見たことのある絵は半分くらいあるかもしれないが、一度や二度見て覚えられるような絵ではないし、見たとたん考える頭ではなくなってしまう。ただただ豪快さにのけぞりながら、じいっと見入ってしまう。つまりタイトルなど気にならない。タイトルが目に入っても『水滸伝』を読んだことなどないのだから、そもそも引っ張られようがなかった。

20点の絵画はガラスケースに入っているわけでもなければ、額に納まっているわけでもない。なんと!すべてが〝むき出し〟である。入口で「白線まで下がってご覧ください」と阪神電車のアナウンスのように言われたが、50㎝ほどの近さで見ることができる。会場は天井が低く、凝った照明もない、しかし絵をより近くに感じ、かえって迫力と〝素(す)〟の魅力を引き出しているように思えた。

奥には、浮世絵パネルコーナーと具体アーカイブコーナーが設けられていた。『水滸伝』の説明まで要らないのではないか、と思っていたが、これらの作品群の写真を整理したアルバムが展示されていて、ハッとされられた。白髪自らがまとめている!

それは2000年のこと、翌年の兵庫県立近代美術館での大規模な回顧展を控え、協力者の生田博さんと一冊のアルバム「水滸伝豪傑シリーズ集」にまとめたものだった。自らシリーズとしてとらえていたのだ。そして、1993年の筆者の取材時には108人の豪傑のうち、2人は馬泥棒とスパイだから名前をつける気がしなかったので106点、といっていたが、2001年にロンドンから画商がやってきたのを機に、残りの2人を描いたようだ。

特定の豪傑をイメージして描いているなど他の106点とは異なる点が多く、番外編と見なすのが適当と平井さんはみている。また、妹尾さんはほとんどの豪傑たちの名前を付け終えていた1964年の作品をみると、そこには個々の豪傑を意識して描いたことも憶測されるような、画面と題名の呼応をしっかりと感じさせる作品がいくつか存在すると書いている。

また、2人とも1956年に神戸新聞に寄せた「随想 水滸伝的豪放」に言及している。綽名を付け始める1959年よりも前から、〝水滸伝的豪放さ〟が自分の〝創造精神〟と密接につながっていることを白髪は書き残していた、のだ。

〝豪放〟は体感しなけりゃ分からない


タイトルがあろうがなかろうが、白髪の中には『水滸伝』が染み入って内在しており、作品にはそれが現れてきていた、というわけだ。「具体」のルールにしばられて作品を見ていては、見えてこないことがある。展覧会タイトルを「水滸伝豪放シリーズ」と銘打ったことは、「具体」のくくりから脱皮し、ストレートにど真ん中から白髪の芯をとらえたことになる。

だから、絵を見る人もまっすぐに正面からぶつかっていくつもりで、見てみよう。体感しないと分からない。もし、チマチマとした画面で白髪の絵を見て、知っているといっても、それでは何も知ってはいない。見ても分からない、という絵は確かにある、が、白髪のこのシリーズに関して、それはない。絵の前に立てば、分かる。凄い。

 

 

12月16日(日)まで。12月15日(土)には作品解説会が行われる。また、同センター4階の「白髪一雄記念室」では、2019年3月17日まで、第12回展示「中国への憧れ」を開催中。

詳しくは同センターのホームページで。